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一考 | 島崎博さんのことなど

 内藤三津子さんと話していて思い出したのだが、島崎博さんが「幻影城」を拵えたのは内藤さんの協力の賜物であった。それまでは、島崎さんは文京区白山一丁目の吉本ビルで風林書房という大衆文学と雑誌専門の古書店を営んでいらした。後年、沖積社から「黒死舘殺人事件」の復刻版が出版されたが、あの原本は私の蔵書を譲りしもの、元を正せば島崎さんから購入した書冊であった。島崎さんは「幻影城」の編集人になる前に「麒麟」(1972年7月創刊)や「大衆文学論叢」(1974年10月創刊)で編輯の予行演習はしていたものの、本格的な雑誌の編輯は彼にとってもはじめての経験で、内藤さんが実務をかなり手伝った、いや、むしろ島崎さんを誑かして出版社を起こさせたと、これは島崎さんからお聞きした消息でもある。
 ところで、島崎さんとはじめてお会いしたのがいつだったのかは覚えていない。ただ、紹介者が日暮里の鶉屋書店の飯田さんであり、「麒麟」の創刊に立ち会っているので、おそらく1972年だと思われる。ちなみに、この年には島崎さんと三島瑤子との共編で「定本三島由紀夫書誌」が刊行されている。「幻影城」には断続的にコーベブックスおよび南柯書局の宣伝が掲げられているが、これは後日のはなしである。
 さて、ここで紹介したいのは八木昇さんが編輯した「麒麟」と島崎さんが編輯・発行人を務めた「大衆文学論叢」である。「麒麟」創刊号には「妄言(編集後記に代えて)」と題する一文が添えられている。いささか長くなるが、往事の愛書家の心意気が如実に著されているのでぜひお読みいただきたい、筆者は八木さんである。

 やっと『麒麟』第一号が出来上がりました。東京神田の古書店早出組の定連で、大衆文芸関係に興味をもっている拾人の強者(つわもの)? が、類は友を呼ぶのたとえ通り、いつの間にか知り合いとなり、自然に一つのグループが形成されました。
 名付けて「麒麟の会」――命名者は島崎博です。「みんな畸人(きじん)で唯我独尊、書物道では人にぬきんでていると自称し、麒麟(きりん)の如し、と思っているんだから、語呂も合うし面白いじゃないか」という、何だか妙な理由で提唱し、みんなの暗黙の了解のうちに決まったという次第です。
 「麒麟の会」は淵源を辿ると、遠藤憲昭と井上敬二郎の出合いから始まります。挿絵収集の遠藤と、時代小説収集の井上とは、昭和初年の剣戟映画に共通の話題が生じ、交際が開始、やがて少年物の秋山正美が加わり、別に共存していた探偵物の島崎博と大衆物一般の八木昇の二人が合流し、グループとしての形が出来てきました。そして島崎を介して胡堂物の種市登が加わり、遠藤を介して少年物の藤田清美が、八木を介して花柳物の中嶋光一が、それぞれ参加、春浪物の佐々木信敏、異色物の岩本史郎が加入するに及んで、今日の「麒麟の会」が誕生し親睦の機関誌『麒麟』が出来たわけです。
 この拾人は大衆文芸書収集の点ではエキスパートを自認し、それぞれ火花を散らす激戦を演じています。いささか呉越同舟の感なきにしもあらずの「麒麟の会」ですが、書物を追ってのこけぶりは一面天真爛漫、この世の太平楽でもあります。



投稿者: 一考    日時: 2004年03月23日 00:56 | 固定ページリンク





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