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一考 | 残日を指折りかぞえて

 六十五歳と五十五歳、共に、おそらく、生まれてはじめての熱いバトルを繰り返しました。青春を謳歌したのです。「生きていてよかったね」とふたりで独り言ちながら。

 あなたが現れたのは昨年の二月の八日。少年期に得られなかった欠けたピースを探し求める目つき、ひとの迷惑も顧みずがぶり寄ってゆく貪欲な好奇心。なにを言っても「知ってるよ」「それも知っています」いかように言葉を返そうが「すべて分かってるよ」と畳み込んでくる居丈高な物言い。身勝手、我がまま、傲慢、不遜の権化のような顔をしてあなたは私の前に現われました。でも、ひとを喰ったあなたの眼差しは私にとっては遠い日の懐かしい眼差し、少年の頃のせつなさ、はじめてめぐり会ったときの爽やかさのままに、私はもうひとりの私と出会ったのです。
 相手を傷つけまいとする遠慮もしくは自らの立場という力関係を信じ、話は一方通行に終始し対話になることは滅多にありません。いわんや、傍若無人な言葉のキャッチボールなどしたくても出来ないのが世の常なのです。ところがあなたは断じて原理原則を曲げず、壮絶な虚無感に裏打ちされたセンチメンタリズムを振りかざして挑んできたのです。
 ひとがたまらなく好き、だからこそひとを拒否する。でも拒否するのはあなたではなく、それを選択するのはいつも相手側だったのです。「あっそう、なにも分かっちゃないね」とのあなたのさびしげな口癖がすべてを物語っています。あなたの口をついてでるノンは非難や排撃といった能動的なものではなく、言葉のゲームが出来ないことへの失意だったのです。「分かっちゃないね」とはひとの白々しさに逢着したときの自らへの絶望。見果てぬ夢を、友を捜して、あなたも私も共に繰り返してきたのですよ、数十年のあいだ。
 「勉めて何者かであろうとするタイプと相対するところの者に合わせて何者にでもなれるタイプと二種の人品があるように見受けられます」あなたとのあいだで繰り返されたテーマのひとつでした。まず出逢いがあって、BはAとの同化を願います。自己解体がBのなかで繰り返されます。その解体によってBは「相対するところの者に合わせて何者にでもなれるタイプ」を撰び取り、他方Aは否応もなく、勉めてAであることを強いられます。もちろん、それを強いるのはBということになります。友という眷恋の情が、ひとを慕い募るこころがひとをあやめる。塚本邦雄の「感幻楽」に「馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人恋はば人あやむるこころ」との句がありますが、真に親しく接するとは互いの身を絶巓に押しやり、ときとして奈落の底へと背を衝くことになりかねないのです。友とはそして愛とは残酷なものです。かつて掲示板で「自らに対する偽善を厭うなら、暫時友は切り捨ててゆくのが自らへの、ひいてはその友への唯一のはなむけであり餞別」と著したのにはあなたがご指摘なさったとおりの事情が秘められていたのです。互いが互いを敬い、思慕するがゆえに、精神的には引き裂かれて行く。その距離に絶望を、あまりもの怖ろしさを感じたとき、BはAの元を去るしかないのです。もちろん、Aの精神の躍動を跳梁を願っての行為であり、Bにとっては一種の自傷行為のようなものなのです。だって、そのことによってBは恋人を、もう一人の自分を失うのですから。
 でも、あなたの場合はすべてが異なりました。議論の時のあなたの過剰なまでの方法論、「固着した精神や趣味性を呪い続けた瑞々しい屈折、固執を厭い休むことなく揺れ動く伸縮自在な発想」スポイルド・チャイルド世代固有の自己疎外を意に介せず、「人は終生変わらない」という精神の荒野を躊躇なく踏みにじり、ひとの立場と称するところのすべて、すなわち権威や権力を逆に恫喝してやまなかったのですよ、あなたは。前日、私から剥ぎ取り刮げ落とし簒奪したばかり文言を、今日はみずからの武器として用いる。ひとはなにものにでも為り変る、それ以上の個性がこの世にあったでしょうか。「間断なく繰り返される解体を伴わないかかわりなど、毒にも薬にもなりませんよ」あなたと私はいつのまにか完全な入れ子になってしまったようです。
 あなたはひとの弱味に付け入り、いかに相手を傷つけるかに心血を注ぎました。でも、それを加虐趣味と解釈するのは間違いです。「傷つけられて怒るのは結構だが、怒りに身を震わす自分をあんたは信じているのかね、たわいない存在だねえ」「第一、言葉で傷つくなんて本当かねえ、もう少し自分に正直になれば」との独り言が聞こえてきます。それこそ怒っているのはあなたなのであって「人なんて取るに足らない存在なんだよ」ということを知らしめたい。否、知らしめる必要すらなくて、当たり前のことを当たり前として認識した人とのみ言葉の逢瀬を楽しみたい、ひとの言葉で傷つくような嘘つきの輩に興味はない、というのがあなたの真意であり、曲げることのできない原理原則だったのです。
 「明晰さといっても、いろんな種類の明晰さがあります」などと迂闊に口を滑らそうものなら、大層な反撃を喰らいました。「おもしろいじゃないの、どういう種類があるの、そこを詳しく」。ひとと議論をするときは事前に逃げ道を拵えておくのが常道です。しかし、あなたはそれではゲームにならないと怒りました。宇野邦一さんが「かくまでナイーヴなひとは珍しいね」と一言。そこいらからすでにゲームははじめられているのです。
 糅てて加えて、あなたは私が掲示板に書き散らかした雑文のすべてを対象に論戦を挑んできました。「主要な部分はすべて一人の男のために著されている」と、なにもかもがお見通しでした。双方の論理回路を接続するのに四箇月ほどかかりましたね。それからあとはメタフィジカルな禅問答でした。週のうち最低三日、いや毎日いらしたこともしょっちゅうでした。あなたが見えられたときは朝まで生テレビの有様でした。薫子さんに「いつも遅くなって申し訳ない。でも、今だけだから」そう、分かっていましたよ「今だけ」なのは。あなたは病気を顧みず毎日刺身包丁で魚を下ろしていましたね。あなたは命がけで生きていたのです、残日を指折りかぞえながら。死臭と腐臭を漂わせながら命がけで突っ立っていたのです。だからこそ、私も持てるすべてのエネルギーを傾注したのです。共に、おそらく、生まれてはじめての言葉のゲームのために。
 あなたが写真家であろうが、あなたが仰るように私が思索者であろうが、そんなものはかりそめの装い、個として生まれ、個として生き、個として死んで行くのです。互いの実績など無視しあいましたね。だって、「今だけ」だったのですから。バランス感覚など洒落臭いものをあなたはせせら嗤っていました。生き延びたことに対する唯一の良心は自己欺瞞だけ、あなたは横須賀功光という渦中を濃密に生きたのです。
 私が「今日は私の負けですね」、あなたは「ここのところ二連敗だったからね」と返す。「そっちへ振りますか」「それは想定外だなあ」「さて困った」「今日は用意してきましたからね」ひとを追い詰め追い込んでゆくときの張り詰めた雰囲気、そんなときのあなたの顔は輝いていました。どちらが勝とうが負けようが、横須賀さん、愉しかったね、嬉しかったね、仕合わせだったね。すべては約束された滅びへのみちのり、「年々歳々花相似、歳々年々人不同」間違いなくひとは変わり、最後は土塊へと昇華されてゆくのです。一ツ木通りでどちらからともなく別れ際に交わされた一言「生きていてよかったね」

 あなたもわたしも極端なワイン好き、彼の地で愉しむ酒は限られます。やはり遅摘みのグルナッシュ種ですか。さればルーションのモーリかバニュルス。あなたのことだ、きっとバニュルス・グラン・クリュの四十七年、ペッパーやシナモンのスパイシーな香りがシガーに合いますよね。なんですって、彼の地にあってもひとを煙に巻くんですって。大丈夫、私もじきに追いかけますからね。



投稿者: 一考    日時: 2003年01月29日 14:42 | 固定ページリンク





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