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一考 | 「sai」

 過日紹介した柿沼裕朋さんの「迷宮タネムラの解剖学」(「月刊百科10月号」平凡社)が手に入りにくいようです。平凡社にその旨を伝えたところ、本日ですぺらへ送られてきました。従って、コピーでよろしければお渡しできます。

 黒瀬珂瀾さんや玲はる名さんが参加なさった同人誌「sai」が創刊されました。詳細ならびに入手方法は以下をご覧ください。お薦めです、その理由は後日書かせていただきます。
 http://www.kurosekaran.com/sai/

 このところ多忙で書き込みも思い通りになりません。週明けにはすこし時間が取れそうです。 ですぺらですが、十一月末日で車が使えなくなります。通勤にはバイクを用いる予定ですが、そのバイクを動くように整備しなければなりません。開店当時のように、私は酒が飲めなくなります。飲まないと決めたら飲みませんので、どうかよろしくお願い致します。
 ご来店くださった方にはお分かりいただけたと思うのですが、店の方針を改めました。十一月からはマクレランズのボトルキープをはじめます。どうかよろしくお願いします。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月14日 18:57 | 固定ページリンク




薫子 | ジャパン・アヴァンギャルド

昨年、「ですぺら」も会場の一つとなりました、「ジャパン・アヴァンギャルド--アングラ演劇傑作ポスター100」展。そのときにお世話になったポスターハリス・カンパニー代表の笹目浩之さんが朝日カルチャーセンターで一日講義をされます。

「ジャパン・アヴァンギャルド--1960年~70年代のアングラ演劇ポスターの魅力」
以下、案内チラシより

1960年~70年代にかけて、演劇界ではアングラ演劇(小劇場運動)が勢いを持ち、寺山修司、唐十郎、鈴木忠志、佐藤信、串田和美らが、実験的な舞台を繰り広げていきました。
この頃、舞台と相乗効果をもたらしたのが、天井桟敷、状況劇場、黒テント、自由劇場などの旗印として登場したポスターです。ある意味このポスターがアングラ演劇の先導的な役割を果たし、時代を挑発し、現在その象徴として存在します。そしてこれらは、横尾忠則をはじめとし、赤瀬川原平、宇野亜喜良、林静一、金子國義、篠原勝之など、多くの一流アーティストがかかわりました。彼らの手によるポスターは、アングラ演劇の軌跡にとどまらず、単なる公演告知のポスターの枠を超え、日本の熱かった60年代から70年代を鋭く切り取り、そのポスター自体が発しているメッセージは時代を越え今も輝き続けています。
そんなポスターの魅力を、現代演劇ポスター収集・保存・公開を主宰し、数々のポスター展覧会を手掛ける講師が、自らの貴重なコレクションをもとに熱く語ります。

日時 2005年12月16日(金) 18:00~20:30 全1回
受講料(税込み) 会員 2730円、一般 3250円(入会不要)、ゼスト・学生会員 1000円
場所 新宿住友ビル48階 朝日カルチャーセンター(申し込みは4階受付)

問い合わせ 朝日カルチャーセンター
      163-0204 新宿住友ビル内 私書箱22号
      東京都新宿区西新宿2-6-1 電話03-3344-1945(直)
      インターネット情報接続先 http://www.acc-web.co.jp

講師紹介の欄に「ウルトラポスターハリスター」とありますが、何なんでしょ?



投稿者: 薫子    日時: 2005年10月16日 06:22 | 固定ページリンク




一考 | 高橋康雄さん

 土曜日の深夜、雨のなかを金光寛峯さんが来店。稲垣足穂の単行本未収録の作品を九点お持ちくださった。私の手持ちは幻想文学の「タルホスペシャル」に提供、あれ以来、図書館や古書店で探し回るのはやめた。足穂は高橋康雄さんに委せることにしたのである。その高橋さんが北海道で亡くなられたのが2000年7月4日、59歳だった。
 1985年の秋、私は東京中野新橋へ転居、雪華社で仕事をはじめた。その折、潮出版社の編集長だった高橋さんが「一の会」をつくってくださった。いかに忙しかろうが、毎月一日には一考を囲んで酒を呑もうとの趣旨であった。ほとんどのひとは私を「いっこう」と呼ぶが、高橋さんは最初から最後まで「いちこう」さんと呼んでいた。名前なんぞ単なる記号と思っている私にとって、「いちこう」であろうが「にこう」であろうがどうでもよろしく、逆に聞きなれない呼び方にいたく感激したものだった。
 高橋さんについては改めて書くこともあろう。ただ、久しぶりに高橋さんと一緒に仕事をすることになった。三途の川をはさんでの遣り取りがこれからはじまるのである。

 西巣鴨新田を検索していて、大崎啓造さんの『イナガキ・タルホ・アーカイブ』を見つけた。一押しのホームページである。
 http://www3.ocn.ne.jp/~tarho-ar/index.html



投稿者: 一考    日時: 2005年10月17日 04:30 | 固定ページリンク




一考 | お喋り

 済んだから書くのだが、十五日の午後、日本推理作家協会の土曜サロンでお喋りをした。関係者によると「推協」というらしいが、事務所のある南青山の秀和青南レジデンスは小泉喜美子さんがお住まいだったところ。そこで、幻影城、薔薇十字社、南柯書局について二時間ほど、お話しさせていただいた。
 それにしても、初対面のひとの前でははなしづらい。私流のあんちょこを二十枚ほど用意していったのだが、それは半分しか使わなかった。あとは野となれ山となれで、手漉和紙、活字、活版印刷、綴じのことなどを話した。そのような経験が前に一度だけあるのだが、その時は酒を飲んでいた。今回はじつは酒を隠し持っていたのだが、飲む機会に恵まれなかった。
 お喋りも原稿を書くのと同じで、言いたいこと言わねばならないことなど何もない。ただ、与太を飛ばしてお金を頂戴できたのは嬉しかった。おかげで、ワインを数本仕入れることができた。残金で帰りにハナマサへ寄って焼酎の特大ボトルを買うつもりにしている、それと好きな烟草をひと箱。自分自身へのご褒美であり、今宵はその焼酎で酔いつぶれたいと思っている。今日は薫子さんは昼から居ない、明日の夕刻には帰るだろうと思っているが、それは希望的観測である。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月18日 01:24 | 固定ページリンク




一考 | 「PARADO ZERO」

 「sai」と名付けた雑誌が創刊された。黒瀬珂瀾さんや玲はる名さんの作品が掲げられている。ここでは「PARADO ZERO」と題された黒瀬さんの作品について触れたい。引用は巻頭の四首であって、選択したものではない。

 Welcome to JFK と死者の名の大き文字見ゆ機窓より見ゆ
 きりもなく L'etranger なる喜びに満ちて差し出す指紋、面相
 空港は都市の周縁なればまた空港の周縁に移民が
 ニューヨーカーが住む場所ゆゑにニューヨーク 冬晴れに輝ける冬空

 先月の九日に私は「らっきょの皮むき」と題する紹介文を書き込み、文中で種村季弘さんのトートロジーについて述べた。「種村さんに『夢』または『夢記』と題された掌編小説の連作がある。島尾敏雄や井伏鱒二や澁澤龍彦のそれと同じくトートロジックな重語法で小説の原器的形態を表出した作品で、タイトルに相応しく内容的な実体はなにもなく、言葉の現実による記述に終始する。『夢』とあるからには当然で、二元論的緊張が不気味なほど欠如した、謂わばらっきょの皮むきのような作品なのである」
 黒瀬さんの作品を「らっきょの皮むき」に見立てるつもりはさらさらないのだが、彼が用いた重語法には驚かされた。一読、「なるほど、そう来ましたか」が最初の感想であった。卓越した修辞法を身につけたうえでの重語法である。修辞法としてのトートロジーではなく、プラトン的な匂いが紛々と漂っている。このような曲球(くせだま)を素直には受け取られない、その裏を覗き見たくなるのは人情であろう。

 第一歌集での試みは、塚本邦雄、春日井健といった戦後の前衛短歌への憧憬だったのか、訣別だったのかというような形式論ではなにもはじまらない。例えば、同一人がベケットとジュネを翻訳するとして、その訳文が同じであろう筈がない。否、同じであっては困るのである。同様に、ひとを評し論じる折、その対象に即して自らの水準基準を変更させなければならない。鴎外と足穂が、鏡花と久生十蘭が同日に論じられては堪ったものではない。一度書き上げた作品を触らない作家が一方にいれば、終生弄くりつづける作家もいるのである。
 タルホの『ヰタ・マキニカリス』における改作は、構成し直すなどという生易しいものではなかった。鏤刻の名に相応しい、大胆にして繊細な添削が細部にいたるまで施されている。「黄漠奇聞」は84枚が25枚に、「星を売る店」は70余枚が」25枚にいった按配である。「タルホ・コスモロジー」の自註には、「生活記録を出ないもので、文学以前」とか「まだ冗漫なようだ」とか「なお意に満たない」などと書き記されている。同時代の作家の作品を「存在的であっても、存在学的ではない」と看破するタルホならではの、はったりを利かせた為事であった。
 タルホにとって文体が技法の問題ではなく、ヴィジョンの問題であったように、黒瀬珂瀾の短歌に接することは、そのまま彼の思考のプロセスなりリズムなりを擬(なぞら)えることになる。彼はタルホのように旧作の書き換えはしない、しかし、その書き換えが実は書き換えではなく、そのままタルホヴィジョンの再構成作業を追うことであり、タルホの宇宙模型のなかへ潜り込んでゆくことであったように、黒瀬珂瀾はこともなげに精神を改作しつづける。言い換えれば、思考そのものを実に身勝手に脱ぎ捨ててゆくのである。そして、それはそのままカラネスクの再構成作業を追うにとどまらない。黒瀬さんの短歌を読むことは、自分自身のヴィジョンを作り上げる方向へと読者を駆り立てる力そのものに触れることになる。
 10月5日の朝日新聞夕刊に黒瀬さんのインタビュー記事が載っていた。「歌で世界を変えられると信じたい。言葉で世界が開けて、世界の見え方が変わるような歌。内容より、言葉を信じたい」また「意味にとらわれて地に足が着いたような歌より、もっと高く意識を飛ばす歌を」と文中で黒瀬さんの言葉が紹介されている。「意味」と「意識」との関係が月並な二項対立ではなく、弁証法でもなく、より透明感を有した新たな領域へ曳きずりだされているのが諒解できる。
 かつて相澤啓三さんの詩について、「詩歌を繙き、そこに認め綴られたことばの意味を訊ね、内容を追ったところで作品のひとつの側面をなぞることにしかならない。要するに、選択された文言やその作家の語彙を気にしていては詩は読まれないのである。意味内容や表象を読み解くのと同時に、そこから遠く逸脱してゆく書き手の影や分身、いわば著者の搏動のようなものを諒解しなければ、書物を繙いたことにはならない」と私は著した。黒瀬さんの場合、この意味内容のひとつに短歌の形式や約束事が含まれるのは言うまでもない。
 黒瀬さんの作品を読んでもうひとつ感じたことがある。短歌や俳句を自分の好みにあわせて撰び、組み直すといった美意識は黒瀬さんの作品にはもはや通用しない。通用しないと言うよりも、通用させてはならないということである。そもそも「美意識」の屋台骨は私たちが個々に持つ好き嫌いである。さらに、その好き嫌いを自由意志といってもなんら不都合は生じない。そして、世界を自由意志のレンズを通して見ることをやめ、ただの無意味なオブジェとして、そこらにごろんと転がそうではないか、と言いつづけたのが澁澤であり、種村でなかったか。世界は無意味なオブジェと化した瞬間からいよいよ謎めいた表情を帯びはじめる。言い換えれば、「自由意志を蝉脱して謎と化したオブジェとしてよみがえるのである」
 黒瀬さんを述べるに、タルホを持ち出したのは他でもない。稲垣足穂や澁澤龍彦や種村季弘と同質の「存在学的」稟質を私は黒瀬さんの作品に感じるのである。「PARADO ZERO」はひとつのオブジェになっていると言いたいのである。それでなくとも、「自らの水準基準」の変更を余儀なくさせる書き手などそうはいない。知的に屈折し、価値観の自在な顛倒を繰り返し試みる無責任かつ悪意にみちたこのものへ、私は敬愛の念を抱いている。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月18日 20:34 | 固定ページリンク




一考 | 「でぶ大全」のことなど

 昭和六十三年十一月に森銑三の「書物の周囲」を研文社から上梓した。日夏耿之介の「鏡花文学」につぐ、二冊目の出版だった。編集は当時、机を並べて仕事をしていた小出昌洋さんで、栞は外山滋比古、三國一朗、渡部昇一各氏にお願いした。装丁は読売の「アールヌーヴォーとアールデコ」以来、共同作業の多かった斉藤芳弘の手になるもの。カバー、帯、奥付けに南柯書局のマークを用いたので、分かるひとには分かるようになっている。
 同書の元は昭和十九年三月二十日に白揚社の現代生活群書の一冊として上梓された森銑三、柴田宵曲共著の「書物」。ちなみに、「書物」は昭和二十三年一月二十日に、同じ白揚社から増訂改版が上梓されている。
 増訂改版の序文には「一昨年罹災して、蔵書の全部を失ったが、『書物』はその後に人から贈られて持っていた」とある。戦争ではないが、私は罹災によって全体の三分の一、約一万冊の蔵書を失った。以来、蔵書を含めて、ものへの所有欲は希薄になった。それに比例して、過去に拵えた限定本をはじめとする自分自身の為事への興味を喪った。震災が私の世界観になんらかの影響を与えたようで、虚無主義への傾きが著しくなったように思う。
 そのような個人的なことはどうでもよい、ここで大書しておきたいのは森銑三と柴田宵曲の睦まじさである。「本をよく読む人はあまりものを書かないし、書く人はどちらかというと読書家でない」とは外山滋比古さんの弁だが、森銑三と柴田宵曲は読書家であると同時にすぐれた著述を多く残している。そういった類い希な例外に属するひとに高遠弘美さんがいる。
 今回、作品社から高遠さんの達意の訳文による「でぶ大全」が上梓された。当掲示板をお読みの方なら、当然購入済みであろうから、中味については触れない。ただ、ロミとジャン・フェクサスの意気投合ぶりに、森銑三と柴田宵曲のそれを重ね合わせたくなったまでのはなしである。巻末の「後書きにかえて」ではロミやジャン・フェクサスが触れていない、でぶにまつわる逸文が紹介されている。薄田泣菫、谷崎潤一郎、吉田健一、チェーホフ、澁澤龍彦とつづき、結句として種村季弘の文章が引用される。天下の読書家高遠弘美ならではの博覧強記、奇行を除けば和歌山県生まれの大英博物館東洋調査部員と似た趣が感じられる。引用で論旨を組み立て、起承転結の要に引用を配し、引用で締括る。それが、どんなに難儀なことかは修辞法を学んだひとなら諒解できよう。自分の言葉と他人の言葉、過去著された言葉、現在誕生しつつある言葉、そういったありとある言葉が高遠さんの手によってさまざまな書物から抜け出し、滲透しあい、自在に結びつき、そして離れる。言葉と言葉がいくつもの入れ子をなして重なりあい層をなす。本好きにはこたえられない醍醐の味がここにはある。
 先行するかたちで、国書刊行会から高遠さんが翻訳なさった奇書「珍説愚説辞典」が上梓されている。高遠さん共々、一代の高士として敬愛する加藤郁乎さんがタルホを論じた「新一千一秒物語」に添えられた「ENCYCLOPEDIA IKUYANICA」を私は思い起こした。そちらの紹介は長くなる、従ってまたの機会に譲るとしよう。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月20日 01:03 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 限りなき感謝とともに

一考様。
 穴があつたら入れたい、もとへ、入りたい思ひで一杯です。恥づかしさを無理矢理押さへて申します。
 一考さんの本や編集者や出版をはじめ諸事万象についての言葉を拝読いたしたいと先夜申し上げました。その甲斐あつてか、最近一考さんのエッセイを読む愉しみが増えて喜んでをりますが、それはしばしば大きな驚きをともなひます。
 森銑三『書物の周囲』を一考さんと小出氏が作られたといふことを今まで知りませんでした。ご想像のごとく、私は森銑三が大好きで、この散らかつた倉庫のやうな書斎のなかでも、森銑三の本はいつでも取り出せるやうになつてをり、『書物の周囲』も目の前の棚に並べてあります。森銑三の文章はもちろんですが、小出氏が後書きで書いてをられる一文、
 
 「私が知る晩年の先生の購入せられた書物といつたら、岩本素白全集三巻があるにすぎないのである」
 
 も私の支へのひとつでした。私は村上菊一郎先生に教へて頂き、素白を知つたのでしたが、敬愛する森銑三が素白を最晩年に読んでゐたといふ記述を読んだとき、どれほど励まされたことでせうか。
 それにしても自分がどれだけ迂闊で粗忽な者かよくよく思ひ知らされます。たしかにカヴァー、奥附、帯に南柯書局のマークが入つてゐますが気づきませんでした。救ひやうがない阿呆だと、自己嫌悪に陥るばかりですが、どうか一考さんにお願ひいたします。これからも一考さんの「思ひ出ばなし」をどんどんお書き下さい。この掲示板の読者がみな心待ちにしてゐることです。
 最後に、十分意を盡すことは叶ひませんが、心よりの感謝を申し上げます。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2005年10月20日 21:40 | 固定ページリンク




一考 | 「鏡花文学」

 高遠さんがすぐにご返事を書かれるところを見習わなければならないのですが、当掲示板はそのような時期を逸してしまったようです。まあ、トドの涎でよいではありませんか。店の繁盛はわずか二日で終わり、今週は坊主の日が二日も生じました。それに比して掲示板のカウントは鰻登りだそうで、これは断末魔を楽しむヤオヨロズの貧乏神の悪戯かと思っております。
 管理人からいつも笑われるのですが、当掲示板は私が書き込む一方通行なのですが、実はそうでもなく、メールによる返信が結構多いのです。ときどき、突拍子もない書き込みがありますが、裏では辻褄があっているのです。先日の研文社についても複数の問い合わせがあったので、こちらで書かせていただきます。

 日夏耿之介の「鏡花文学」ですが、あれは私の不手際によって、校正をしていないものが製本され、市中に出回ったのです。翌月に校正したものを二刷りとして発行、初刷りを回収したのですが、五十冊ほどは未回収に終わりました。従って、「鏡花文学」の初刷りは私の無能を証明する以外、なんの役にも立ちません。今となっては、初刷りをお持ちの方にはご愁傷さまとしか言いようがないのです。
 研文社では、肥田晧三さん、中野三敏さん、小出昌洋さんなど、書誌学の仲間が集まって「江戸漢詩選」を全十卷で編纂しようと目論んでいました。他にも青裳堂書店の「日本書誌学大系」に収録されないであろう、雑纂編のようなものを拵えようと国会図書館へ日参し、三千枚のコピーを取りました。前者は規模を縮小したアンソロジーが岩波書店から上梓されました。で、どうしてそれらの書冊が上梓されなかったかというと、社長が蒸発したのです。蒸発というよりは駆落ちのようなものと私は勝手に解釈しています。いずれにせよ、親子二代で築き上げた会社を抛り出す、その好い加減、でたらめ、ちゃらんぽらん、無責任、投げ遣り、捨て鉢にはいまなお憧憬を抱き、拍手喝采を惜しまないでいるのです。その社長とは中野や荻窪でよく飲みました。「君のような社員が入ってくるのを待っていたんだよ」「あとは君にたのむよ、よろしくね」そのような会話がなんどか繰り返されました。はじめに結論ありきで、私は出しに使われただけなのですが、無責任さにおいては私も勝るとも劣らないのです、誰がそんなものを引き受けますか。
 聞くところによると遁走した社長は千葉で花屋を営んだとか、私が飲み屋をはじめたのも、おそらくその社長の影響ではなかったかと思うのです。お会いする機会はないでしょうが、いつ何時お会いしても昨日のつづきのように快なる晤語がもたらされることは間違いないと、これは同類にしか分からない「秘めやかな心の声」でございます。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月22日 01:01 | 固定ページリンク




一考 | 業務報告

 「キネマの会」の第二回目は二十四日の月曜日です。会員のみなさんはお忘れなくご参加ください。なお、来店の前にピストルでお星様を撃ち落とすのはやめてください。最近、赤坂署がうるさいものですから。

 ところで、どこやらの掲示板で伊太利亜の酒商ドナートの紹介をしたようですが、ですぺらにも入荷しています。ただし、安くはないのでご覚悟を。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月22日 01:16 | 固定ページリンク




puhipuhi | (無題)

ピストルにお月様はダメですか。まったく赤坂署は無粋ですね。では代わりにイルリガートルやネリギなど用意して参上いたしましょうか。

手元の『鏡花文学』の奥付には「昭和六十三年十一月十八日印刷/昭和六十三年十一月三十日発行」とのみあり、二刷の記載は特にないです。これがその未校正版なのでしょうか。確かに出たときすぐ買ったような記憶はありますが、いまのいままで誤植の存在には気づきませんでした。お恥ずかしい限りです。



投稿者: puhipuhi    日時: 2005年10月22日 21:43 | 固定ページリンク




一考 | 「鏡花文学」追記

puhipuhiさんへ
石野重道のようなところがなきにしもあらずで、りきさんならズドンと一発やりかねないと思ったのです。シュオブに木の星という短篇があって、あの星はヴィヨンが飲み屋の看板に、ルードヴィッヒが勲章に用いた、いわくつきの代物。ですから、穴をあけずに後世に託そうかと、これはとど爺の親切心です。

「鏡花文学」二刷は平成一年二月十六日の発行です。ところで、小生がかかわった書物の発行月日ほどちゃらんぽらんなものはございません。ちょいとステキな事務員とか馴染みの飲み屋のホステス、ミニスカートをはいていた友人の妻や網タイツの似合う女友達の生年月日等々から採られているのです。
あなたがお持ちの「鏡花文学」ですが、正誤表を含めてなんらかの方法を考えます。「キネマの会」の会報が出来上ってからになりますが。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月24日 15:52 | 固定ページリンク




一考 | 訂正

先日の書き込みで春日井建氏のお名前を間違えました。お詫び致します。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月26日 23:08 | 固定ページリンク




一考 | 能登の消息

 河崎徹さんが亀鳴屋の勝井隆則さんについて書かれている。龜鳴屋店主のドジ、アホ、マヌケぶりを、出自の裏日本に引っかけて面白おかしく表現なさっている。「裏日本」は差別語ではなかったかと思うのだが、地元のひとが用いるのであれば、差別にもなるまい。私自身、瀬戸内少年愚連隊を気取っていたものの、田舎は高田、いまの上越市である。
 文中「リンゴのプレゼント」のはなしがあって、苦笑いさせられた。中井英夫の葬儀の日、金がなくてオートバイで一号線を北上した。神戸の友人から頂戴したリンゴを後部座席に縛り付けてである。福島泰樹さんが住職を勤める下谷の法昌寺には他にも多くの高級フルーツが置かれてい、表に出ないで台所に籠って皮むきに励んだのを覚えている。
 河崎徹さんが指摘なさった「シャイで恥ずかしがりや」や「一歩さがって」の底辺には貧困がごろんと横たわっているような気がしてならない。勝井さんはどうか知らないが、私などは何事につけ一歩さがるのを常としてきた。飲み屋で一歩さがっていると見兼ねた女将が声を掛けてくれる、飲み屋で一歩さがっているとなにかしら思慮分別がありそうに思われる、飲み屋で一歩さがっていると知らない間に勘定が済まされている等々、どうやら私の頭のなかは飲むことしかなさそうである。
 「シャイ」は内気、気弱、小心、内向的、消極的、遠慮深い、恥ずかしがり、照れ、決まりが悪い、面映い、はにかみ、含羞、帯羞、可羞と続くのだが、この裏面では辱め、恥辱、汚辱、屈辱、冒涜、凌辱、国辱等々が手ぐすね引いて待ち構えている。このように書けば、シャイとはマゾヒズムの謂いではないかと思われてくる。
 酒と色情倒錯では、はなしにならない。私がいいたいのは勝井さんの稟質についてである。いつぞや、ですぺらの前まで来られたにもかかわらず、入店されなかった、その時の気持ちが河崎さんの文章を読んで諒解できたのである。そして、後段では「粋なはからい」が綴られている。「粋なはからい」とは片便宜のようなものなのだが、その辺りの消息が涙ぐましいまでによく描かれている。ジミー・ヴァン・ヒューゼンなら「モダン・ミリー」だし、「ポケット一杯の幸福」といえば私などはアン・マーグレットしか思い出さないのだが、さすがに勝井さんは芸が細かい。場所は真冬の金沢、知識人の悲哀を双肩に担ったがごとき心遣いではないか。それにしても、懲りもせず、厭きもせず、無駄を承知の気配りを繰り返す勝井さんは、やはりただ者ではない。某テレビ局が泉鏡花の番組を拵えていて、それを機会に勝井さんとお会いできるかと楽しみにしていたのだが、諸経費節減を理由に駄目になった。「ただ」でない部分を計りそこねて口惜しく思っている。

 前述の中井英夫の葬儀だが、香典はオートバイのガソリン代に消え、持ち合わせがない。先日、種村季弘さんをしのぶ会があったが、家賃に追われて会費が工面できなかった。「一歩さがる」と言えば聞こえはいいが、私の場合も二歩も三歩も下がらざるを得ないのである。なんやかやと用事を拵えて出版記念会は遠慮させていただいている。展覧会は構わないのだが、身にやましさを感じるので、オープニングは極力行かないように心掛けている。

 http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/iwana/iwana21.htm



投稿者: 一考    日時: 2005年10月27日 23:38 | 固定ページリンク




薫子 | 御礼

赤坂のK社の鈴木様、お心遣いいただきありがとうございます。
昨晩、四名様でお越し下さいました。
ですぺら延命計画はあれこれと摸索中です。今後ともご贔屓のほど、よろしくお願い申し上げます。
鈴木様もたまにはお顔を見せてくださいね。



投稿者: 薫子    日時: 2005年10月29日 16:06 | 固定ページリンク




薫子 | 横須賀功光の写真魔術「光と鬼」

2003年1月に亡くなった横須賀功光さんの展覧会。
生前にもなかった大規模なもので、60年代からの作品150点を展示。
広告写真だけではなくて、全く違ったイメージの写真も見られる可能性大です。

会期:2005年11月19日(土)~12月18日(日)
場所:東京都写真美術館
休館日:毎週月曜日(休館日が祝日・振替休日の場合はその翌日)
会場:2階展示室
料金:一般800(640)円/学生700(560)円/中高生・65歳以上600(480)円

*( )は20名以上の団体割引料金及び東京都写真美術館友の会会員割引料金
*小学生以下および障害をお持ちの方とその介護者は無料
*第3水曜日は65歳以上無料

東京都写真美術館のHP
http://www.syabi.com/index.html

今でも時々、夜半にふらりと横須賀さんが店に入って来られるような気がします。
若干ですが、招待券があります。ご希望の方はお申し出ください。



投稿者: 薫子    日時: 2005年10月30日 10:31 | 固定ページリンク




一考 | ご協力お願い

 第三回目「キネマの会」はありがとうございました。第四回目は十四日の月曜日です。会員のみなさまはお忘れなくご参加ください。

 ところで、どこやらの掲示板でドナートのモルト・ウィスキーに次いで、シチリアワインを紹介しました。企業秘密に属することなので、「どこやらの掲示板」と書いているのです。奇想天外な安価につき、お薦めなのですが、小生の飲み分は残しておいてください。

 十一月と十二月は朗読会を催しますので、モルト会はお休みになります。モルト会は形を変えて明年一月から再発足の予定。一回目はさまざまなダブル・マチュアードのテイスティングになります。なお、モルト会のスタンダードを作り、そちらはカタログへ組み入れます。いずれにせよ、明年のことはすべてが予定です。明年もみなさまとお会いできますよう、十一月と十二月のご支援、ご協力を切にお願い致します。

 朗読会の一回目は佐々木幹郎さん、十一月十七日(木曜日)。二回目は黒瀬珂瀾さん他、十一月二十六日(土曜日)。月末ぎりぎりに松岡達宜さんの短歌絶唱です。ワンドリンク付きで二千円の予定。詳細は追って当掲示板に載せますので、どうかよろしくお願い致します。

追伸
 鈴木さんに感謝です。日曜日にアイスペールとアイストングを買っておきますので、どうかよろしく。ミネラルは二リットルをどんと出しておけばよろしいですよね。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月05日 01:16 | 固定ページリンク




りき | (無題)

>一考さま
え、9日ではないんですか?



投稿者: りき    日時: 2005年11月05日 08:48 | 固定ページリンク




一考 | 間違い

りきさんへ
小生の勘違いです、次回は九日、申し訳ございません。
昨日も徹夜、表記の統一ならびに原本との照合を済ませました。八九年までは二冊を除いて終了、九日はプリントアウトしてお渡しできます。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月08日 00:04 | 固定ページリンク




一考 | 南柯の夢

 南柯書局が出版社として何年つづいたかは定かでない。コーベブックス在籍中にすでに南柯書局の号を用いているし、この十五年ほどは南柯書局名義での出版はしていないものの、いろんな出版社の企画や編集などを手伝っている。コーベブックス、南柯書局、雪華社、読売新聞社、研文社等々、職を転々としているが、それらは私のなかではひと続きになっていて、どこからどこまでが某社といった割り振りはできない。名刺の肩書きで仕事をしたことがないので、なおさらである。少しく消息を述べれば、折々の名刺に役職名は刷り込まない。著者と編集者との間柄は私のような流れ編集者にとってはなおさら個人的なものである。原稿を取ってくるのは私なのであって出版社ではない。従って責任は個人に在するのであって、仕事の場に逃げ道は無用である。
 いずれにせよ、どこで働いていようと南柯書局というプライベート・プレスは常に機能していた。南柯書局は私の頭のなかに棲みついた編集局のようなものであった。それ故、転職のたびに手持ちの企画のなかから、相応しかろうと思うものを上梓してきた。雪華社のときの中井英夫、山崎剛太郎、三枝和子、小高根二郎、杉本秀太郎、三好郁朗、岩崎力各氏の著訳書。研文社のときの日夏耿之介、森銑三各氏のエッセイ集がそれである。そして雪華社解散の折りは、編集中だった十数冊の出版を小沢書店、筑摩書房、岩波書店等々で肩代わりしていただいた。
 編集を生業としたのはコーベブックスが最初である。昭和四十七年の入社だが、出版部があったのは昭和四十九年八月から昭和五十二年七月までのわずか三年、その間に六十六点の書冊を上梓している。最初が岡田夏彦さんの『運命の書』であり、最後が須永朝彦さんの『硝子の繭』だった。詳細を著せられればいいのだが、自分で編集ないし出版した本を私はほとんど持っていない。過ぎ去ったことになんの興味も抱かれないからである。ひとは時代の渦中を生きる、言い換えれば刹那を生きるのであって、刻々と過去へと移り過ぎてゆく現在にしか興味は抱かれない。従って、過去の為事など、私にとってはどうでもよいのである。この「どうでもよい」との感慨は日々強くなる。それが今日への好奇心の旺盛さからなのか、年齢のせいなのかはよく分からないでいる。老いに比例してアクティブさが弥増る、そのような馬鹿がひとりぐらい居てもよいと思っている。
 『運命の書』はさて置いて、コーベブックスで拵えた書冊のほとんどは限定本である。販路が東京しかなく、東京以外の地で出版が成り立たないのを承知で、神戸で出版を営むのである。生き残りを考えれば、畢竟するに部数を限るしかない。その変わり、原材料は贅を尽した。尽したと言うよりは、豪奢な材料を用いて一部のマニアの方に経営の基部になっていただこうと願ったのである。この件も、より正確に言葉を補足しておきたい。私の為事を肯定するにせよ、否定するにせよ、いつも付きまとうのが趣味性である。それを私は苦々しく思ってきた。生き残りを賭けての限定本だったのであって、趣味で限定本を拵えたのではない。
 私が恋したのは文学であって、書物ではない。この書物と文学との関係はデカルトのいう属性、物体と精神という二実体の属性をそれぞれ広がりと意識と見るようなものなのだが、先哲の意見をそのまま採り入れようとすると、やはり無理がある。文学はメディアを必要とするが、メディアは文学ではない。そして、書物はメディアの一形態でしかない。凸版印刷機の原型が開発されたのは一四四五年頃だが、それが多く書物に用いられるようになったのは一八00年代に入ってからで、さらにオフセット印刷が石版印刷に取って代わるのは一九0三年のことである。たかだか二百年の歴史しか持たない書物を文学と同等視するわけにはいかないのである。平版印刷、凹版印刷、孔版印刷についてはここでは触れない、はなしが煩雑になるからである。
 装いがどうでもよいとは思わないが、装いはどこまで行っても装いでしかない。私は装丁をパッケージデザインだと思っている。謂わば、商品を売るための媚(販売促進)の部分に属するわけで、それで中味の質が変わるわけではない。そして今、パソコンの急速な伝搬によってメディアが大きく変わろうとしている。不物好きの謗となろうとも、好奇心強く、新奇なことを好む私のような輩にはこのような端境期が相応しい。

 ところで、私は編集者としては素人である。装幀家、蔵書家、書誌学者といってくださる親切なひとがたまにいらっしゃるが、大学の研究室やしかるべき研究機関の書誌学の講座などとは無縁で、義務教育しか終えていない。その私を救ってくださったのが、懇意にしていた人文書院の小林ひろ子さんである。紙の種類から箱、表紙、見返しの取り方、紙の目の読み方から口目、または紙の裏表からサイズ剤や中性紙に至る知識まで、小林さんはなにも知らない私に書物制作の基本を教えてくださった。いい機会だから、書いておきたいのだが、私は子供の頃から口先だけの人間で、才能とか実績の持ち合わせはなにもない。製本や印刷の段取りはおろか、活字の大きさも校正記号も解さないずぶの素人である。それが突然、手漉き和紙を用いて書物を造ると言い出したのである。小林さんのご協力がなければ不可能だったのは言うまでもないが、人文書院のみなさんはさぞかし呆れ返られたことと思う。出版に自信などはなからなかった、上梓に至らなければ至らなかったで仕方ない、私の生活そのものがそのような危険な賭けの繰り返しだった。割り切っていたのではなく、私の無責任さがそうさせたのだと思っている。
 人文書院から最初に紹介していただいたのが、仏光寺高倉の森田和紙である。毎日新聞社の『手漉和紙大鑑』や『手漉和紙』の残紙を大量に頒けていただいたのが昭和四十八年の初冬。印刷所の前の往来へ和紙を拡げ、一枚ずつマイクロメーターで計って全体を五山ほどに取り分ける。組版の面と印刷機の胴とのあいだを紙が流れて行くのだが、その胴に薄紙を巻き付けて印刷の圧の微調整を取る。ところが、手漉和紙は厚みにばらつきがある、それで前述のような作業が必要になるのである。手漉和紙に固有の耳を生かすためにトンボは入れられない、そんな状態で本文の二色刷、限定番号の活版刷り等の刷り合わせをうるさく言うのだから、職人は全神経を注ぎ込まざるを得ない。現在では突き返されるであろう難儀の果てに南柯書局の本はかたちを整えて行った。
 自分のことを「物数奇」と前記したが、一方でセナンクールも重々理解できる。みなさんがしばしば引用なさる「人間は所詮滅びるかもしれず、残されたものは虚無だけかもしれない。しかし抵抗しながら滅びようではないか」である。1970年代、書物の世界から手漉和紙と活版印刷は駆逐されつつあった。平井功や日夏耿之介が見た夢にひとつの形を与えるラストチャンスと私には思えたのである。そしてその最後の機会こそが、私の抗いであり、情念や怨恨とのクリンチではなかったかと、そう想い起こす。
 前述した限定番号の活版刷り、これも『游牧記』の平井功に準拠した。一番から終番まで順に活字を差し替えてゆくのだが、手差しの印刷機では版面が荒れる、ドイツ製の高価な印刷機がオーバーヒートして煙を吹き出すのは序の口、全頁共紙の多色刷りを前に、職人が途方に暮れる日々が繰り返された。須永朝彦さんと一緒に造った久生十蘭訳『ファントマ』の地を見ていただきたい。私がかかわった書物の組付けは天地が逆になっている。天を化粧裁ちにし、地を成り行きにまかせている。この当たり前の印刷が東京では通用しない、関東と関西では組版の天地が逆になっている。埃は天に溜るのである、かつての岩波文庫などは印刷文化に対する汚辱であり冒涜でしかない。
 話ついでに、用紙についてひとこと。澁澤龍彦さんの『神聖受胎』の見返しにはアート紙系の紙が用いられています。それが理由で、貼り見返しと遊び見返しとが喉でくっついてしまった本をよく見掛ける。アート紙やコート紙によく見られる症状で、湿気に弱い紙を見返しに用いてはならない。それでなくても、アート紙やコート紙は柔軟さがなく、折り目を加えると、そこから紙は千切れて行く。ますますもって見返しには不向きな紙ということになる。印刷効果を考慮しての選択なのだろうが、見返しに絵画を刷り込むに際し、そのような紙を用いれば最悪の結果をもたらす。戦前はオランダの木炭紙と共に舶載の紙として重宝がられ、堀辰雄の限定本などにも使われたが、時を経れば惨憺たる有様になる。
 他に絵描きがかかわった悪例として版画用紙に施される礬水(どうさ)引きがある。墨・インキ・絵の具などのにじみ止めや和紙の毛羽立ちを抑えるために使用されるが、礬水の原材料は膠(にかわ)と明礬(みょうばん)の混和液。従って、礬水を引くことによって、せっかくの和紙が酸性紙に化けてしまう。日夏耿之介の『定本詩集』の挿絵に用いられた長谷川潔の版画などは礬水が強く、絵の具はみごとに止まっているものの、湿気による滲みがひどくて、目も当てられない。礬水引きをやめて雁皮紙刷りにしていただきたかったと思う。どうやら、絵描きが装丁に携わると碌でもない結果になるようである。
 それと糸縢りがなくなったのも大きな問題である。昨今の出版物は網代綴じか無線綴じになってしまった。網代綴じは折り工程で本の背に切れ込みを入れて接着剤でとじる方法、無線綴じは背をまるごと接着剤で固める方法。繰り返し繙けば早晩、書物はばらばらになってしまう。共に再製本は不可能で、謂わば使い捨ての本と言えよう。この使い捨ての書物に装いを凝らす装丁がまた、私には理解できない。装丁に費やす金数があれば、それを糸縢りに使っていただきたいと思うのである。
 次に活字のはなしを少々。南柯書局で拵えた本はすべて活版印刷を用いた。特に活版にこだわったのではなく、手漉和紙同様、書物に利用するに、最後の機会ではないかと考えたのである。花柳界で育ったがゆえに、滅び行くものへの嗜み、消え行くものへの共感や憧憬が子供のころから根付いていたのだと思う。過去形のものには興味がないが、いま消え去ろうとしているものには手を貸したくなる、というよりも、足を引っ張りたくなる。いやはや、難儀な性格である。
 当時は日活、元活、精興社などの活字が主流だった。精興社の書体は写植のそれに近く縦横の肉が細い、すなわちシャープでモダンなのですが、それが私には気に入らない。日活や元活の書体は縦側の肉が太く、謂わば太り肉(ふとりじし)の活字で、矢野目源一の名訳「ふともも町の角屋敷 こんもり茂った植込に弁天様が鎮座まします」を思い起こさせる。肉厚がある分、紙にくっきりとめり込むように印刷される、その触感が私に堪らない懽楽をもたらしたのである。
 著された原稿や作者の想いに一つの形を与えるのが装丁である。配された文字の大きさとバランス、色や紋様、あるいは素材の風合いや感触が中身と照応しあうとき、美しい書物が誕生する。それはそれで結構なのだが、どうやら手漉和紙に魅せられたあたりから、ヤオヨロズの貧乏神に追い立てられる生活がはじまったようである。「読み手をどこかへ連れていくような物語の楽しさ」とよく言うが、楽しいのは読者だけであって、版元が楽しかろう筈がない。すでにレールの敷かれた出版社の一員として働くのであればともかく、プライベート・プレスに春は永遠にやって来ない。六0年代、七0年代に異常発生したプライベート・プレスは八五年を境にほぼ途絶する。「プラザ合意」以降の経済不況が関係したかどうかを知らないが、「文字通りな異端の者ゆえの蹉跌に埋もれていった」出版社が復興したとのはなしは打ち絶えて聞かない。パッケージデザインの達人には成り果せたかもしれない、しかしながら、いま顧みて、出版とは金銭との格闘だったと嘯きたくもなる。


 先日、日本推理作家協会の土曜サロンでお喋りをした。後段は薔薇十字社の内藤三津子さんと「幻影城」の島崎博さんのことを喋った。そちらは既に掲示板で書き込んでいるので端折った。大半は掲示板で書き綴ってきたことだが、それはそれ、トドの涎とご笑覧あれ。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月10日 22:43 | 固定ページリンク




一考 | 大きなお世話

 中重徹の「新編薫響集」について書いたことがあると思って、検索を試みたが出てこない。検索の仕方がまずいのだろうか、どうもよく分からない。櫻井さんに教えを乞うたところ、過去ログの一部が壊れているらしい。しかし、過去ログがあろうがなかろうが、私にはどうでもよいことである。どのみち、似たような繰り言を飽きもせず書き継いでいる。
 「新編薫響集」に触れた「断屁断笑」では、伸縮自在な思考こそが書誌学者には相応しいというようなことを書いた。その証明を芭蕉にかんする書き込みで試みたのだが、何時のことかは覚えていない、従って重複を気にせず、勝手に書きはじめるとする。
 学問としての書誌学の対象に現代文学は入っていない。多くの先達の努力によって、やっと江戸文学が書誌学者の考証の対象になったばかりである。逆に言えば、書誌学がなければ江戸文学が学問の対象にならなかったのである。
 小出昌洋さんの手になる「日本随筆大成」などはそうした努力の好例であろう。と書いてみたところで、五年も経てばひとは老いもし、若返りもする。人生は「少年や六十年後の春のごとし」である。その人さまの為事であれば、たとえ学問と言えども変化するにしくはない。現今の作家の著書目録に書誌とか書誌学といった大仰な字句を用いるのに私はいまなお抵抗を感じるが、それが時代の趨勢ならなにも言わない。ただ、書誌学の本意は既存の学問を遠く離れ、対象を縦横に批評するところにある。従って、書目録や年譜の類いはそのための基礎資料にしかす
 国文学者の見る芭蕉、歴史学者の見る芭蕉、俳人の見る芭蕉、言語学者の見る芭蕉、精神分析学から見る芭蕉、地方地誌から見る芭蕉、さまざまに異なる芭蕉をひとつの象に結ぶのが書誌学者の責務とでも言っておこうか。
 私が言いたいのは、ひとつの種類のアプローチ、すなわちスタイルや様式美は文学の世界にあってはなんの役にも立たないということである。医師が患者を診るに際し、問診、血液、尿、心電図、エコー、レントゲン、CTスキャンとさまざまなアプローチを試みたうえで病名を判断するように、批評にあって最重要なのは書き手の対応の柔軟さと気配りの多様さであろう。これ以上、自分が変わりようがないと思われるまで、アプローチは繰り返さなければならない。その繰り返しがアクティブの証左ともなる。
 スタイルや様式美は丸ごと存在するのであって、考証や論証の対象には成り得ない。ダンディスムなどという俗流と同じで、切り分けたり一部を除去するのは適わない。芸術を生の高揚、陶酔としてとらえようとしたニーチェを持ち出すまでもなく、それらはそっくりまるのまま肯定するか否定するかしかないのである。そのあたりの消息は長野順子さんの論考を繙かれるのをお薦めする。そして、そのような全体主義的、排外的理念に私は組みできないでいる。
 読書の醍醐味は、読む前と読んだあとではそのひとの価値観なり世界観に変化をもたらすことにある。だからこそ、読書にあって問われるのは、書物に対するアプローチの多様さである。多様さの持ち合わせがなければ、好悪で判断するしかなくなる。問われているのは常に繙く側であって、書物の側ではない。そこへ「自己本位」などというしみったれた趣味性を持ち込むのを本末転倒という。肝胆相照らすような読書は毒にも薬にもならない、自身の価値観なり世界観に変化をもたらさない読書ならやめちまえ、と叫びたくなる今日この頃である。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月10日 23:38 | 固定ページリンク




一考 | 稲垣足穂

 このところ、稲垣足穂の年譜と著書目録を作らされている。「作らされている」と書いたのは、そのような仕事をあまりしたくなかったからである。私ひとりだと引き受けなかったのだが、店に来られる若いひとたちの協力を得られた。山口雄也、鎌野創一郎、金光寛峯、小野塚力、土屋和之、佐藤周の各氏である。敢えてお名前を挙げさせていただき、深く感謝したい。
 これだけ逸材が揃えば私ごときは無用者で、遠慮なく寝惚け眼でいられる。このところ「キネマの会」との符丁を用いていたのは、その編集会議であった。議長は「ユリイカ」の郡淳一郎さん、爺やは片隅でみなさんの仕事の進行ぶりを見守るのみ、たまにフムフムと頷きながらシクハード・ハインツェルよろしく煙に巻いていれば万々歳なのである。
 今回の稲垣足穂特集のはなしが舞い込んだ日、札幌で亡くなられた高橋康雄さんを憶い、墓参りすら覚束ない不実な私はひとりで杯を傾けた。過日、「久しぶりに高橋さんと一緒に仕事をすることになった。三途の川をはさんでの遣り取りがこれからはじまる」と書いたのはこのことだった。

 パソコンはおろか、コピーすらなかった時代に私は書誌学の真似事をさせられた。当時はすべて原稿に書き写すしか手立てはなかった。moondialさんの手ほどきでパソコンが使えるようになったいま、文明の利器のありがたさが身にしみる。そこでこの利便さを用いて広くご教示いただきたい。もっか、稲垣足穂の未発表作品やヴァリアントもしくは筑摩書房版全集に収録されなかった作品を探している。なにかしらご存じの方がいらしたら、ぜひともご連絡いただきたいのである。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月11日 00:44 | 固定ページリンク




薫子 | 佐々木幹郎さん朗読会

 11月17日(木)19:00より、佐々木幹郎さんの朗読&トークの会をですぺらにて催します。会費はワンドリンク付きで2000円。

 詩作、エッセイ、評論を始め多方面で活躍されている佐々木幹郎さん、ですぺらでは明るい酔っぱらい。でもなによりも詩に対する深い想いをお持ちです。自作の詩の朗読と、現代詩について語っていただく時間を設ける予定です。詩ってよく分からない、詩人てどんな人?とお思いの方にも、この機会に是非ご参集下さい。どなたさまでも大歓迎です。



投稿者: 薫子    日時: 2005年11月11日 06:57 | 固定ページリンク




薫子 | ですぺら朗読会―Cross the Crossover 詩・俳句・短歌―

歌人の黒瀬珂瀾 さんに朗読会をお願いしたところ、詩人の小笠原鳥類さん、俳人の高柳克弘との豪華共演朗読会をアレンジして下さいました。深謝。
掲示板用告知まで書いていただきました。以下に転載します。

ですぺら朗読会  
―Cross the Crossover 詩・俳句・短歌―

日時 11月26日(土曜日) 午後7時開演(開店は午後6時)
会場 ですぺら  東京都港区赤坂3-18-10 サンエム赤坂ビル3階
        (1階は、東京やきとり食堂)
最寄り駅 丸の内線・銀座線 赤坂見附駅徒歩三分
     千代田線 赤坂駅徒歩四分
TEL   03-3584-4566
http://www004.upp.so-net.ne.jp/despera/despera.html

入場費 2000円(ワンドリンク)

 現代詩・俳句・短歌の若手3名が一堂に会しての一夜。朗読会の後に軽いトーク、その後打ち上げ(実費)を予定しています。お気軽にご参加ください。

朗読者紹介
 小笠原鳥類
 1977年生まれ。動物の名前および動物に関する語彙が多く登場する詩を書いている。1998~99年に「現代詩手帖」「ユリイカ」に詩を投稿。その後、詩誌「はちょう」「鐘楼」「GANYMEDE」「分裂機械」「歴程」などに詩・散文を執筆。2004年に第1詩集『素晴らしい海岸生物の観察』(思潮社)を刊行。現在、第2詩集を準備している。

 高柳克弘
 昭和55年静岡県生まれ。平成14年、俳句結社「鷹」入会。平成16年、第19回俳句研究賞受賞。現在、同誌編集長。早大教育学部博士後期課程在籍。

 黒瀬珂瀾
 1977年生まれ。春日井建に師事。2002年、歌集『黒耀宮』を刊行。同歌集にて「第11回ながらみ書房出版賞」受賞。現在、[sai]、「鱧と水仙」各同人。読売新聞毎月最終金曜夕刊(一部地域のぞく)にて、「カラン卿の短歌魔宮」連載中。



投稿者: 薫子    日時: 2005年11月13日 09:17 | 固定ページリンク




りき | 同人誌「某」創刊記念無料配布会開催の件

かねがね準備中の同人誌計画ですが、
いろいろ考えて、創刊準備号を急遽つくることになりました。
その名を「某」(ぼう)といいます。

概要もきまりました。

100部限定。ナンバー入り。
重版なし。売り切れごめん。

内容。
ぼくの椿實論
フォルヌレの短編
エフライムミカエルの詩幾編か

全部で20頁くらい。
定価300円。

で、ですぺらで一日のみの無料配布日を設けます。
特に予約などはしません。この日いらしていただけた方に、無料で差し上げます。
ようは、ですぺらが埋まればいいのです。
日程は以下の通り。

日時:11月25日(金)19時くらい~

以上、よろしくお願いします。

以降はですぺらで販売していただく予定です。



投稿者: りき    日時: 2005年11月13日 11:49 | 固定ページリンク




一考 | ですぺらの地図

 りきさんへ
 お気を遣わせて申し訳ない。開店当初にイラストレーターで拵えたですぺらの地図に修正を加え、今朝土屋さんへお送りしたのですが、済ませてからもしやと思いホームページを確認したところ、一階の屋号が既にひろさんの手で訂正されていました。イラストレーター、フォトショップ、JPEGの三種を拵えたのですが、また無駄な時を費やしてしまったようです。
 「大きなお世話」に限らず、貴方を念頭に置いた書き込みがこのところ続きます。紹介ではない、独自のアプローチを試みられるよう、切に願っております。椿實論は楽しみですね。
 タルホ生前の著書七十六冊、死後の六十五冊、文学全集及びアンソロジーの三十四冊の内、未確認はあと十余冊ほどになりました。今日は金星堂版「一千一秒物語」の写真製版による複数の復刻版の本文校訂を済ませました。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月15日 00:24 | 固定ページリンク




一考 | 「ぼう」あれこれ

 りきさんへ
 同人誌の名が「某」だとか、面白いですね、結構ついでに毎号「ぼう」の字を変えてみたらいかがでしょう。
 細胞内部の浸透圧と外部の浸透圧の差を膨圧といいますが、動物には細胞壁がなく、細胞の最外層は薄い細胞膜なので細胞を水中に入れると膨れて破裂します。従って、動物に膨圧との概念は通用しないのですが、植物細胞は堅い細胞壁で覆われています。水によって体積を増した細胞が、堅い細胞壁によって押さえつけられて膨圧が生じます。膨圧は数気圧から数十気圧に達することもあります。はなしがややこしいですが、椿実や「白樺になる男」なら「膨」でもおもしろいですね。
 イネ科の多年草に血茅がありますが、根茎は鱗片に覆われ、発達して深く地中を横に匐い、きわめてじょうぶで、地上部が焼き払われても枯死しません。されば「茅」なんぞ、千の肺を持つフォルヌレにこそ相応しいのではないかと思います。「ホテルの時間は、鳥のない翼だ」をマクタガート風の「非実在の時間」と通底すると仰有ったのはプヒプヒさんですが、私なんざあ、紡脚類のシロアリモドキを想い起こします。樹皮の割れ目などに、前脚の膨れたふ節にある腺から糸を出し、幕を張って巣をつくるので、紡脚の名があるのですが、あの生命力のしぶとさと雌に羽のないところはフォルヌレに通底するのではと、だって草叢のダイヤモンドの女性に対する性愛は異常そのものではないですか。従ってこの場合は「紡」ですね。
 岡本かの子の河明りに「主人側の男たちは靉靆として笑つた」との一節がありますが、この靉靆は古くは眼鏡のことであり望遠鏡のことなのです。遠方の物体を拡大して眺めるのがミカエルの世の拗ね方なのですが、あれは拗ねてるのか諦めているのか、ひょっとしたら悦に入っているのではないかと読み手をして迷わせるようなところがあります。されば「望」も可能ではなかろうかと。
 新しい雑誌の不死を願って萌芽林の「萌」もよろしかろうと、芽を吹くのは切り口付近の定芽、不定芽、休眠芽と相場は決まっていますが、文学の切り口と解釈するのも洒落ているのでは。ついでに、創造的思考は冒険的思考ともいい、波瀾万丈の旅を示唆する「冒」などもありますね。「惘」や「貿」だとですぺらの私小説になりますし、「茫」「蓬」「莽」なら得意の臍下三寸のはなしになってしまいます。以上、箸にも「棒」にもかからないはなしで御座いました。



投稿者: 一考    日時: 2005年11月15日 20:42 | 固定ページリンク




薫子 | 音で聴くツハラヤスミ@ですぺら

津原泰水さんのミニライブ&朗読&トークという豪華三段仕込みの会をですぺらにて催します。
会場の都合により、メールにてお申し込み頂いた方先着30名様ほどに限らせていただきます。
ただし、立ち見でもよいから入場希望との場合はその旨お知らせ下さい。
複数箇所で告知しているため、公正を期して11月20日午前10時より下記アドレスにて受け付けます。

メールアドレス:amane3110@mail.goo.ne.jp
タイトルを「ツハラヤスミ@ですぺら」としてお名前を明記の上、お送りください。

よろしくご理解の程お願いいたします。


 ---音で聴くツハラヤスミ@ですぺら---

日時 12月11日(日曜日)19:00より
会費 男性5000円 女性4500円 (ドリンク、フード付き)
会場 「ですぺら」 東京都港区赤坂3-18-10 サンエム赤坂ビル3階
        (1階は、東京やきとり食堂)
最寄り駅 丸の内線・銀座線 赤坂見附駅徒歩三分
     千代田線 赤坂駅徒歩四分
TEL   03-3584-4566
http://www004.upp.so-net.ne.jp/despera/despera.html


■ミニライヴ
 演奏――ラヂオ商店(小山亜紀 v、津原泰水 g、他)
■朗読(書き下ろし新作を含む)
 朗読者――栗田ひづる(声優)
■トーク「恐怖の手順(仮)」
 お話――小中千昭(脚本家)、津原泰水
■フリータイム
 サイン等も可(礼儀の範囲で求めてください)



投稿者: 薫子    日時: 2005年11月18日 07:55 | 固定ページリンク




薫子 | 詩人の朗読

昨晩は佐々木幹郎さんの朗読会にお越しいただいた皆様、ありがとうございます。こぢんまりとした会になりましたが、佐々木さんはこのメンバーだったらこれでいこうとおっしゃって、二十代、三十代に作った詩から最近の作までを当時の思い出、心情とともに語ってくださいました。
どうしてこの詩を書いたのか、何故詩なのか。もだえ苦しみながら詩を書き続けてきた詩人の姿を見せてくれました。
あのような形の朗読になるとは予想もしていなかったのですが、それだけにとても興味深かったです。ボキャブラリーが貧困でうまく書けずに申しわけないです。楽しい一夜でした。



投稿者: 薫子    日時: 2005年11月18日 08:14 | 固定ページリンク




薫子 | 横須賀さんの写真展

本日より東京都写真美術館にて横須賀功光さんの写真展が始まります。(12月18日まで)
会場で写真集「光と鬼」が先行販売されます。一週間後には書店にも並ぶようです。550ページの大冊で定価は6000円(税別)、PARCO出版発行。この内容でこの価格は驚きです。PARCO出版、えらい!また、PACRO出版に橋渡しをしてくださったポスターハリスカンパニーの笹目さんに感謝。
皆様、是非会場にお運び下さい。



投稿者: 薫子    日時: 2005年11月19日 15:43 | 固定ページリンク




薫子 | ドイツワインサービス

ドイツの白ワインを全て2割引にいたします。
この機会に是非ドイツワインをお試しあれ。



投稿者: 薫子    日時: 2005年11月21日 16:07 | 固定ページリンク




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