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一考 | 徳田秋江のこと

 昨日、ですぺらで徳田秋江との記述は間違いなのではないかと訊ねられたものですから、一言触れておきます。

 近松秋江(1876―1944) 小説家、評論家。明治9年5月4日、岡山県和気郡藤野村(現在の和気町)の生まれ。本名徳田浩司。初め徳田秋江と号したが、のちに敬慕する近松門左衛門にちなんで改めた。

 通常の文学事典には上記のように記載されているはずです。シルレルの翻訳なども徳田秋江の名で公刊されています。いまでは秋江の名前は知っていても、作品を読まれる方は少ないと思います。それ故、昨日のような誤解が生じるのでしょう。
 秋江といえば「黒髪」と相場が決まっているようですが、より高く評価していただきたいのが評論です。「秋江随筆」「文壇三十年」などがありますが、印象批評を創案した最初のエッセイ集が「文壇無駄話」(明治43年3月)で、明治文学研究の基本図書の一とされています。元版を買わずとも昭和三十年に河出文庫から増補版が上梓されています。元版も追刷りされていますが、文庫版も同年中に五刷まで行き、途中から武者小路実篤の装幀になるカバーが付けられ、本文紙も上質紙に変わりました。
 西園寺公望が催した雨声会や漱石の印税の裏話もさることながら、徳田秋声の作品の称揚にじつに多くの紙数を割いています。秋声の崇拝者であった秋江なればこそ、徳田秋声と書けば徳田秋江と続けるのが当然の成り行きだと思います。
 今は全集が出ていますが、私が二十歳の頃はなにもなく、膨大な量の雑誌を集めました。秋江を読むために雑誌を求めて古書店をかけずり回った日々を思いおこします。なかでも、秋江掲載の雑誌や鏡花作品の初出誌を数百冊、入るたびに神戸へ転送してくださった高橋書店の親父には頭が下がります。その尽力あって、近松秋江や泉鏡花や永井荷風の著作目録や著書目録を何度か拵えました。
 幻想文学35号の巻頭に載せた鏡花著書目録抄が私の書誌的仕事の最後ですが、あの拙稿がいまごろ役立っているようです。もっか鏡花本に挿し絵を施した絵師、刷り師、彫り師たちとその時代を紹介する番組が某テレビ局で作られています。マルセル・デュシャンのときと同じ担当ディレクターが拙宅へなんども来られていますが、鏡花著書目録抄には助けられていると、こちらは機会を下さった東雅夫さんに感謝せねばなりません。



投稿者: 一考    日時: 2005年07月30日 15:32 | 固定ページリンク





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