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一考 | 断片からの世界

 平凡社から種村季弘さんの「断片からの世界」が上梓された。単行本未収録を中心にした美術ラビリントスである。腰巻に、覗き、集合論、変幻、妖怪画家、からくり、漫遊記、太母、空壜、練糞術師、仮面、架空紀行、贋物、輪、狂画人、解剖学、魔法、西日、トポス、迷路、没落、箱、夢、歩行者、との言葉が記号のように記されている。「私は」との主辞のあとにやってくる「何々である」との賓辞を一定の方向にどこまでも拡張してやまない、といった風情がそこに見て取れる。そしてそれらの言葉自体が種村さんの文学の方法論を示唆していることに気付かされる。畸型、傀儡、人外への偏愛と自在なアナロジーによって、種村さんには「韜晦」との文言がしばしば冠せられる。しかし、種村さんはなにひとつ包み隠していないし、晦ましもしない。「韜晦」を口にした瞬間、種村さんはたやすく抜け出して、間のぬけた念を押すはめになりかねない。賓辞の数だけ繰り返し念を押しても無駄である、すでに我々は種村さんの詭計に嵌められている。向こうの方が一枚も二枚も役者がうえで、尋常の手立てが通じる相手ではない。
 種村さんは二者択一のような対立的・図式的なものの考え方を否定するかと思えば、サディスム=マゾヒスムのような安易な弁証法的統一をも等しく拒む。前者は葛藤、つまり情念とのクリンチをもたらし、後者は個々の項目の異質性や多義性を視界から簒う。プラトンのイデア界と感性界、ライプニッツの可能界と現実界、カントの叡知界と現象界、またはデカルトによる物心二元論等々、哲学史上もっとも影響力を持ち続けているのが二元論である。種村さんはそれら二元論をすり抜ける術を編み出したようである。万物の根源を水と定め、航海術に通じた種村さんは、ランタンの下で航海日誌を書き綴るに余念ない。遺された百冊を超える日誌にはヤコブの杖やアストロラーベの使用法から血湧き肉躍る冒険譚までがところ狭しと置かれている。臍を噛むのを承知のうえで、八幡の薮知らずに誘い込まれる、そこにこそ種村文学の醍醐味がある。



投稿者: 一考    日時: 2005年08月13日 12:53 | 固定ページリンク





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