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一考 | 「鏡花文学」

 高遠さんがすぐにご返事を書かれるところを見習わなければならないのですが、当掲示板はそのような時期を逸してしまったようです。まあ、トドの涎でよいではありませんか。店の繁盛はわずか二日で終わり、今週は坊主の日が二日も生じました。それに比して掲示板のカウントは鰻登りだそうで、これは断末魔を楽しむヤオヨロズの貧乏神の悪戯かと思っております。
 管理人からいつも笑われるのですが、当掲示板は私が書き込む一方通行なのですが、実はそうでもなく、メールによる返信が結構多いのです。ときどき、突拍子もない書き込みがありますが、裏では辻褄があっているのです。先日の研文社についても複数の問い合わせがあったので、こちらで書かせていただきます。

 日夏耿之介の「鏡花文学」ですが、あれは私の不手際によって、校正をしていないものが製本され、市中に出回ったのです。翌月に校正したものを二刷りとして発行、初刷りを回収したのですが、五十冊ほどは未回収に終わりました。従って、「鏡花文学」の初刷りは私の無能を証明する以外、なんの役にも立ちません。今となっては、初刷りをお持ちの方にはご愁傷さまとしか言いようがないのです。
 研文社では、肥田晧三さん、中野三敏さん、小出昌洋さんなど、書誌学の仲間が集まって「江戸漢詩選」を全十卷で編纂しようと目論んでいました。他にも青裳堂書店の「日本書誌学大系」に収録されないであろう、雑纂編のようなものを拵えようと国会図書館へ日参し、三千枚のコピーを取りました。前者は規模を縮小したアンソロジーが岩波書店から上梓されました。で、どうしてそれらの書冊が上梓されなかったかというと、社長が蒸発したのです。蒸発というよりは駆落ちのようなものと私は勝手に解釈しています。いずれにせよ、親子二代で築き上げた会社を抛り出す、その好い加減、でたらめ、ちゃらんぽらん、無責任、投げ遣り、捨て鉢にはいまなお憧憬を抱き、拍手喝采を惜しまないでいるのです。その社長とは中野や荻窪でよく飲みました。「君のような社員が入ってくるのを待っていたんだよ」「あとは君にたのむよ、よろしくね」そのような会話がなんどか繰り返されました。はじめに結論ありきで、私は出しに使われただけなのですが、無責任さにおいては私も勝るとも劣らないのです、誰がそんなものを引き受けますか。
 聞くところによると遁走した社長は千葉で花屋を営んだとか、私が飲み屋をはじめたのも、おそらくその社長の影響ではなかったかと思うのです。お会いする機会はないでしょうが、いつ何時お会いしても昨日のつづきのように快なる晤語がもたらされることは間違いないと、これは同類にしか分からない「秘めやかな心の声」でございます。



投稿者: 一考    日時: 2005年10月22日 01:01 | 固定ページリンク





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