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一考 | 神戸の泥鰌屋

 外山さんへ
 神戸の元町二丁目に「吾作」と号するドジョウ屋があり、酒は剣菱の樽酒、昔は常連のひとりでした。先日馳走になったアナゴの洗いがあまりに旨かったもので、つい神戸のドジョウを思い出したのです。洗いと云っても体長は20センチほど、さぞかし捌くのが面倒だったろうと思います。30センチに達するような大物もいるらしいのですが、それははなしだけで見たことがありません。
 高遠さんが紹介なさった稿の元はたしか「守貞漫稿」。室町の「大草家料理書」に酒蒸しの味噌煮、下って江戸初期の「料理物語」には味噌仕立てのドジョウ汁、天明の「豆腐百珍」にもドジョウ汁が掲げられています。「わり葱白(ひともじ)にても、白髪牛房にても、あしらひに油煤腐(あげとうふ)の細きりを入る」とあって、油揚げを用いるところから百珍物シリーズに収録されたもよう。どうやら、どじょう鍋の出現はずっと後、文政以降のようです。それにしても、東京のどじょうに関する文献はお寒いかぎり、ウナギの出世に取り残され、同類の下級品として扱われたようです。「飲食日本史」のなかで、本山荻舟はドジョウについて「渡りもののウナギと異なり、いずれもその土地々々のはえぬき・・・ウナギもドジョウも四季を通じての栄養食品で、寒暑ともに用いられながら。一所不定のウナギがどこで繁殖するかまだわかっていないのに対し、夏のドジョウはみんな子をもっているのに見ても、土地っ子のドジョウこそを夏のシュンとしてよいはず・・・」と著しています。
 ちなみに、先代の頃の「吾作」はどじょうのコース料理も置いていました。そのような遊び心は東京では育たなかったようですね。幕末の江戸っ子がうどんを軽蔑したところから、そば粉となんら関わりのない中華風麺までが支那ソバとの名称に化けたのと同様、江戸っ子の選民意識に、ドジョウはそぐわなかったのかしら。ずいぶん昔のはなしですが、詩人の吉岡実さんに連れられてドジョウを食べに行った折、広い座敷にきちょうめんに並べられた長い卓にそって他の客と一列に並ばされ、家畜が餌を食うがごときいやな気分にさせられたことを思いだしました。
 福井のへしこはもともとはイワシ、近頃はサバが増えてきたようですが。それと石川のフグも忘れられません。龜鳴屋さんから頂戴したことがあるのですが、あれは能登半島ではなく、南の美川だったように記憶します。いずれにせよ、地のひとはかつお節、すりごま、さらしねぎを加え、熱い番茶で茶漬けにするそうですが、茶漬けにはもったいないような気がします。酔っぱらいの私は酒肴優先ですもの。



投稿者: 一考    日時: 2004年06月28日 04:55 | 固定ページリンク





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