1.0 |
一考さま
いえ、わたくしは釣りはダメなのです。食べるためではなく飼うために魚や昆虫を採っていたので、釣り針を使ったとしても採集といったほうが近いとおもいます。目黒のわが「マンション」の入口にちいさな池があります。高田公園ではないので咲くのは蓮ではなく睡蓮がちょぼちょぼなのですが、そこにはまだ霙が降るころガマが集まってきて産卵します。その時期の道路には轢かれたカエルの死体があちこちにへばりついている有様。なかには雌雄折り重なったカエル煎餅もありポンペイのようです。敬意を払って灰でもかぶせようかとおもいますが、なかなかそうはゆきません。
ガマが沢山いるせいかどうかは知りませんが、アオダイショウ、シマヘビも生息しており、今年ももう二度目撃しました。一度はうちの駐車場に寝そべっていました。もう一度は深夜近所の大谷石の壁面をシマヘビがゆっくり登ってゆくところでした。
なるほど会津はすごいところですね。わたくしの店の石臼は会津の火成岩を使って会津の石工に作ってもらっているので、たまにその工房へゆかねばなりません。数年前は明け方高速が福島へ入ったとたん、ただまっすぐ走っていただけなのにスピード違反で捕まり、警察署まで連れてゆかれました。じつはわたくしはもともとは薩摩なのであります。したがってもちろん用心に用心を重ね、会津生まれの友人の所有する真黄色のイギリス製スポーツカーを引っ張り出し、アイルランドの羊の毛で編んだ脂臭いセーターを着て弁当には鮒鮨とブルーチーズまで用意していったのに、それでもダメでした。彼らはどんな微量の薩摩芋の匂いもけっして見逃さないのです。サザエ堂では金縁眼鏡のブヨブヨのピンノに不審の目で見られるし、たまったものではありません。
釣りに戻ります。どうせ殺して喰うならヤスで突くのがもっとも良いようにおもわれます。生き物を殺すダイレクトな感覚がありますし、おまえはおれが喰ってやるという実感がいたします。
いちばん嫌いなのはリリースというやつです。なにをもってあんなえらそうなことするのか、わたくしにはわかりません。
余談ながら、ゴキブリを殺すのは新聞紙でひっぱたくのが正統派です。ケミカル製品を使うなんて愚の骨頂。正々堂々スリッパか素手でつぶして息の根を止めましょう。
うちの従業員はゴキブリが一匹でも出ると大騒ぎをしてスプレーやらバルサムやらを使います。あんまり情けないので「こんど出たらおれが手でつぶしてやるからよく見ておけ」と宣言したのですが、幸いその後出現しておりません。生活に大問題をかかえて生きてゆくのは辛いものであります。
秒読み セコンド ゼロゼロ地点
後ろ向きに時間を歩く
心も身体も世間を離れ
ますます甘い 僕の熱
幼年期 まるで出会いの心待ち
怪物 打ち捨てられた玩具の私
幼年期 逃れられない方位磁針
怪物 血脈芝居の幕開けだ
言葉と時間は 邪魔だった
そして見世物 始まった
とっくに僕が 死んでいた
照り返す朝陽は 眩しすぎた
な~んだ、おまえ、そこにいたのか
~繰り返し何度でも~
言葉と時間が 邪魔だった
そして見世物 始まった
とっくに僕は 生まれていた
照り返す夕陽が 眩しすぎた
な~んだ、おまえ、そこにもいたのか
~繰り返し何度でも~
外山さんへ
むかし贔屓にしていた黒姫の藤岡や出石のそば庄もたしか会津の石臼ではなかったかと思います。会津はともかく、福島の川内村へはよく行きます、往路にはいつも常磐道を使います。外環の三郷からいわきジャンクションまではオービスが二箇所、目立ちますし、まず捕まる心配はないのですが、東北道はそうはいかないようです。佐野SAと栃木ICのあいだ、安達太良SAと二本松ICのあいだは特に危険がいっぱいです。もっとも、外山さんは「警察署まで連れてゆかれました」とありますので、パトカーそれも覆面ですね。やはり薩長への昔年の怨みと考えるべきなのでしょう。奥羽二五藩や越後六藩へ旅するときはご用心。
外山の読みは「とやま」か「そとやま」、そして富山にも通じます。藤原北家摂家流もしくは日野氏流の外山家があり、美濃国本巣郡外山邑より起こった土岐氏一族の外山氏も識られています。また、伊勢、伊豆にも外山氏がみられますが、薩摩で外山の姓氏は珍しいのでは。
薩摩といえば国分、国分といえば天狗タバコですが、その口付き紙巻きの「金天狗」「青天狗」を売り出した岩谷松平(薩摩の人1849-1920)について書かされたことがございます。お題はタバコの文化史だったのですが、「商一位大勲位功爵国益大明神」などという愛国心を売り物にした商法にいささか興ざめ、露伴の「新羽衣物語」を景品につけて名声を高めた敵方の村井兄弟商会をよいしょ致しました。それにしても、煙(タバコ)と水(酒)はいつになれば自由に造られるようになるのでしょうか。
「いちばん嫌いなのはリリースというやつです。なにをもってあんなえらそうなことするのか、わたくしにはわかりません」とお書きですが、リリースについてかくまで明瞭な意見を聞かされたのははじめて。考えてもみなかったのですが、云われてみればそのとおりですね。リリースされた魚はおそらく半数は死んでしまうのです。自らが欲する分、要するに食べる量だけ釣るのが一番よろしいのにと思います。
自らが必要としない分まで多量に釣り、もしくは拵えて売捌くのが企業の論理、資本主義の論理ですね。その隙間に食い込むのが銀行や広告屋といった虚業家たち、乗せられるのがマニア、コレクター、選ばれた少数者などと煽てられて脂下がる消費者。
北海道は霧多布のキャンプ場でのことです。「アイヌのように自分が食べるだけの熊や鮭を捕っているような怠惰かつ自己中心的な人間は許せない、われわれこそが戦後日本の経済を引っ張ってきたのであって、われわれが居なければ日本には進歩も発展もなかった。君たち若いものはわたしに感謝すべき」と宣われて殴り倒してやろうかと思いました。世の中にはゴキブリのようなやつがたくさんいらっしゃいます。やはり「新聞紙でひっぱたく」か「正々堂々素手でつぶして息の根を止め」るしかなさそうです。
外山さんへ
「東京から見た広義の関西方面での、最初の求道的蕎麦屋のひとつ」とはおもしろい表現です。青磁色にこだわった細めの蕎麦と元手の掛かった音響装置に感心させられたのです。「彫刻家の手みたいにエロティックな感じ」は申し分ないのですが、彫刻家みたいな矜持はいただけません。贔屓にしていたのが「むかし」である理由です。
そんなことよりも、あなたが結構こわい蕎麦屋であり、気味のわるいひと(讃辞ですよ)なのだと改めて分かりました。もっとも、そうでなくちゃおもしろくありません。どうやらいい友をまたひとり私は得たようですね。
生意気な言い方で恐縮ですが、舌を持ったひとにモルト・ウィスキーを理解していただくにはハーフ・ショット50杯で充分です。ウィスキーの香味の基礎をなすのはその程度で、あとは知らなくても応用がききます。ちょっと値の張る50杯(量は25杯分ですから約ボトル一本)になりますが、骨格さえ分かってしまえば、常時出回っている約1万種類といわれるモルト・ウィスキーの香りとカスクの違いが自動的に引き出しに格納されていきます。もっとも、それを知る必要があるかないかと酒を楽しむのは別問題ですが。
片手に100円ライター。片手にダイナマイト。
ありふれた日常と非日常の狭間で、男は言った「コレガ何ダカ ワカルカ?」
対話(ダイア・ローグ)の妙味とは、あらかじめ話そうと用意され、準備していた事柄以外のナニモノカが、自分でも相手からでもなく、その関係性の中(その途中=プロセス)から生じてくる面白さ。待機していた意味と、伝達可能な言語の節々を掻い潜って、予定調和に亀裂を穿つこと。其れは、天啓のように出現、到来する第三の方法論。
これは、説得でもなければ、説明でもない。近年、喧しい「インフォームド・コンセント(説明責任)」、「アカウンタビリティ(情報公開)」でもない。似て異なる領域にまで、敢えて土足で踏み込むこと。 自他共に知り得なかったことを、ブラック・ボックス=マジック・ボックス=白い何も書いて無い本=リボンにデコレートされた空箱に放り込んで、掻き混ぜられるだけ掻き回す。敢えて、カオスを引き起こすべく、或る種の起爆装置が必要となってくる。もしかするとそれは、黒船から発射された一発の砲弾かも知れないし、東南アジアを焼き尽くしたナパーム、原子爆弾、ダイナマイトと片手に100円ライターでもあろう。けだし、それ程世間は、日常の平静と云う時空間を盲信し切っているからだ。
前述したが、外圧でしか変わらない(変われない。私は変える必要性を感じていないが・・・)とすれば、方法論としての民主主義政治=多数決原理の野蛮さは否定する。戦術論としてのテロリズムは肯定する。それで壊れるようなものは、実は、もうとっくにコワレテイルからだ。この事は、誰しも知ってか知らずか、やり過ごしているだけの日常生活ではないか。ヤラズブッタクリと云うモノだ。
再度、言う。そんなモノは始めからありもしないのだ、と。
色即是空空即是色受想行識亦復如是~。
無いことだけを強調するのは盲目だ。反対に、有ることだけを盲信するのも白痴的にバカげている。無いから有る。有るから無くなる。
私は絶望を知らない。何故なら、決してあきらめないからだ。どんなドン底に突き墜とされても、そこに楽しみを見出せる生き物だ。
けだし私は、私でない限り、あらゆる時代(現在、過去、未来に於いて)、あらゆる場所に存在するからだ。
私は、一人二人とは数え得ない。一カ所二カ所、もしくは、一回目二回目、とのみ数え得る。
ばかばかしい(8行略)暑さでやってられない。しばらく夏休みを取ります。ですぺらの催し物はもうひとつの掲示板「ですぺら通信」をご覧ください。そちらは店のお客さま以外の書き込みは削除させていただいております、悪しからず。
「ですぺら通信」はホームページからお入りください。また、催し物のお問い合わせはメールでお願い致します。
追記。先のはなしですが、9月19~20日は福島の川内村で、恒例のバーベキューとカラオケの会が催されます。主宰は之潮(Correggio)の芳賀さんで、ステージではピアノによる伴奏も可能、にぎやかになりそうです。
揺れながら ただ揺れながら 立ちすくむ
行けども行けども 水平線 「果てには?」
御存知、僕らの 垂直線 「果てれば?」
巻き込む汽笛 吹き出る蒸気
太陽の十字架まで 流れ出すなら
光の中 ただ立ちすくむ
揺れながら ただ揺れながら 立ちすくむ
【ダウジング翻訳】
普段と違う自分を見付けたいです。
誰か付き合ってくれる人いませんか?
私は27歳、語学学校の教師で
身長は160cm 痩せ方です!
いかなる物語も、人の生死も、場所を伴っている。地図はひとつの言い方をすれば「神の掌」であって、何人といえどもその視線を逃れることができない。
世にあるものは場所を脱し得ず、ついに地図から逃れられない。場所とは空間の一面ながら、ひとつひとつの所業の在処を直接指し示す。地図とは、場所を指し示すものすべての謂いである。そうしてまた、地図は時間をも指し示す。たとえそれが錯誤や歪曲を伴っていたとしても、時間は逃れようなく地図に付帯する。
かつての現世を反映した古い地図が、出版物として世に役立ち得るためには、図葉ごとに三層の装置が不可欠であると考えている。
ひとつは、地図の内部に記載されている言葉の一覧、すなわち注記分類索引。ひとつは、それ自身の点検のために比較されるべき、信頼できる現在の地図。そして最後のひとつは、地図を解析するヒントとなる、一連の、外部からの言葉(いわゆる解説)である。
地図は基本的に図(イメージ)であって、言葉の世界の序列に属さない。しかし言葉の世界の外部を指し示すためにも、地図は言葉を必要とする。言葉も、その原形質はイメージにほかならないからである。
互いに位相を異にする図と言葉の相克、あるいは相補。オーストリアの社会哲学者ノイラートの『絵とき人類史』シリーズを念頭に置きながら、地図史料出版の「標準」を摸索した。古い地図は、そのままでは情報の原石にすぎないのである。
原石の研磨剤は記録としての言葉である。各市町村史、とりわけ地図が作成された、大正末期の三年間の記述をできるだけ丹念に拾い、場所にふりわけ、要約して綴っていった。しかしながら当然にも、地域の外部者の作業としては限界がある。最後の段階で、多くの方々に点検と教示を仰ぎ漸くに本書は一人前の身づくろいをして世に出ることになったのである。
地図に入りこむための言葉を紡ぎながら、地図自身が雄弁に語りだす局面に出会った。「人跡は水跡に沿う」とでも言うのだろうか。江戸時代からの用水路・玉川上水以前、開拓前線は一般に水路や川を遡行していたし、また湧水点は遺物の出土地点と接するのである。建物群が等高線を覆い隠す以前の「地形」図の威力であった。また、地図が直接指し示す景観史という言葉に並行して、景音史もありえるのだった。
田無(西東京市)の「谷戸のブウブウ」とは、中島飛行機のエンジン試験工場の謂いで、十五年戦争期は四六時中の大騒音だったという。昭和九(一九三四)年に南沢に引っ越してきた自由学園とは、一キロも離れていなかったのである。工場ばかりでなく、号令やサイレン、自動車の警笛や爆撃音、呼子やラジオの音、叫び声は、それまで桑畑と雑木林を風をわたっていた多摩地域の音の景観を確実に塗り替えたのである。
立川が軍都だったとすれば、それはまた音の都でもあった。後世に遺されることのなかったさまざまの音もまた、目を凝らせば図柄の間からそのいくつかを聴きとることができるのである。例えば、サーベルと拳銃が交叉した憲兵隊本部の記号からも。
衰えんとして、再び活気を帯びた音もある。水車は戦争末期の電力制限によって動力源として見直され、一時盛んに用いられたのだという。のどかなゴトン、ゴトンの響きは、サイレンや爆音と共存する折があった。
一見、元気そうな音も朝の風に混じっていた。疎開してきた子どもたちが、宿泊先の寺や農家の蚕室から、隊伍を組んで所定の国民学校に向かうときに歌うことになっていた軍歌の類。
戦争末期の桑や松などの樹木の運命とその残照についても、解説に盛り遺したことがある。しかし、いつまでも地図が抱え込まれていてよいわけがない。この本の刊行がひとつの契機となって、私たちの生きる社会の基層が、その具体相において発掘されることを念ずるばかりである。
(二〇〇四年六月十日 東京新聞・夕刊)
之潮ホームページhttp://www.collegio.jp/
メールアドレスinfo@collegio.jp
芳賀啓さんが営まれる之潮(Collegio)の第一回刊本ができあがりました。大日本帝国陸地測量部と都市計画東京地方委員会によって、戦時都市計画のため空中写真測量により作成された東京西郊の3000分の1地形図をまとめたもの。書店にはおろさず直接販売のみ。『多摩地形図』清水靖夫編・菊四裁版・原図162葉収録・限定300部・価格49350円。
案内パンフレットには「編集余滴」と題する文章が掲げられているが、それは東京新聞所収の文を補訂せしもの。地図に対する芳賀さんの熱い思いと氏一流の地図論が簡潔に著されている。芳賀さんの許可を得てここに元稿を転載する。
ですぺらでお会いなさった方も多いと思うが、改めて略歴を掲げておく。
1949年仙台生まれ。早稲田大学法学部中退。柏書房社長を一昨年10月に退任後、之潮(コレジオ)を興す。著書に「身體地圖」(深夜叢書社)がある。(一考記)
最近お酒から遠ざかりつつある拙メですが、久々に御邪魔致します。赤坂見附「牛丼の吉野家」さんが「手作り居酒屋 かっぽうぎ」さんへとかわり、目立つ橙色のネオンを目指して歩いていると何時の間にかビルの前を通り過ぎてしまいそうで(実際行過ぎて焼鳥今井屋さんの角までもいったりしてます)。
さて表題、既に此方を御覧の御方々は御存知とは思いますが一応お知らせというと事で暫し御容赦を御願い申し上げます。
渋谷の「マリアの心臓」は人形展示&イベントスペースとして開館中です。此方折々に触れ演奏会やらダンスパフォーマンスやらが開かれているのですが、現時点での常設では四谷シモン氏の作品が弐躰展示されています。御徒町の地下で御馴染であった御人形さんも一緒です。但し不定期で替えてゆくかもとの事ではありましたので此方は御容赦を御願い申し上げます。
「Rock'n Doll Museum マリアの心臓」
場所:渋谷区神南1-2O-9・B1、渋谷公園通り山手教会道向かい。
イベント等で開館日時や料金が随時変更されますので、確認してから向かった方が無難です。
Info:O3-4499-15O8(15:OO~18:OO)
サイトURL ttp://www.mariacuore.com
不眠やフラッシュバックがどうして起こるのかを解明するには、患者に症状を尋ねるだけでは駄目で、状態を見極めながら根気強くはなしを聴き、相手の内側に入り込まなければなにも見えてこない。それとおなじで、詩歌を繙き、そこに認め綴られたことばの意味を訊ね、内容を追ったところで作品のひとつの側面をなぞることにしかなりません。要するに、選択された文言やその作家の語彙を気にしていては詩は読まれないのです。意味内容や表象を読み解くのと同時に、そこから遠く逸脱してゆく書き手の影や分身、いわば著者の搏動のようなものを諒解しなければ、書物を繙いたことにはならないのです。
著者によって選ばれた文言にのみ注意が向けられていると大事なものを見失う、と前述しました。同様に、なにかしらもっと大きなディメンションがあって、テーマはそのなかで取り扱われる些細なパーツのひとつに過ぎないのかもしれません。月並な批評家のスタンスに気を取られていると、詩の本質は指のあいだからみごとにこぼれ落ちて行きます。なにかテーマがあって、もしくは特定の作家の作品からテーマを取り出し、それだけについて書く、というのが長年にわたって返覆されてきた旧態依然たる批評家的こわばりでなければなんなのでしょうか。詩はアナロジーで書かれます、種村季弘さんがよくおっしゃる「アナロジーのアヤだけ」は表現行為の核心をついたことばです。分かりやすくいえば、すぐれた詩は一篇の探偵小説のようなものだと思えばよいのです。
オリジナリティーを声高に宣うひとは、自分の情念を表現すれば芸術になると信じ込んでいます。芸術は過去に鑑賞したものやそれらから得た識見や情動のなかから、いま必要なものを抽出し寄せ木細工のように組み立てていく、ただし既に用いられた組み合わせではなく、新しい組み合わせが必須の条件となります。その調烹にこそ詩人の真骨頂が、さらなるディメンションがあるのであって、個性ならまだしも、独創などというものは芸術の世界には存在しないのです。
一方で、選択に立場の闡明があるとよく云われますが、選択とはあくまで立場のこちら側に蹲居するものであって、いわば作品の装いに属するものではないかと思うのです。たしかにそれも作品の大切な一部なのですが、重層するさまざまな側面を繙いてこその読書であり、それを怠れば書蠹との謗りを免れないのです。「作品の向こう側から押し寄せてくるメタファーとの鬩ぎ合いのなかにこそ、読書の醍醐味がある」と私が執念く言い続けるのは理由があってのことなのです。
さて、以上のことをこころにとどめて読まねばならない、とんでもない詩集が出版されました。相澤啓三さんの詩集「マンゴー幻想」がそれで、四月三十日に書肆山田から上梓されたのです。「とんでもない」と書いたのは他でもない、吉本隆明から谷川雁に至るまで戦後詩人の多くが挑戦して果たせなかった、文学と政治とテロルとの三位一体に相澤さんが明確なかたちを与えたからなのです。ギリシャの先哲を持ち出すまでもなく、元来、文学と哲学的思索と政治はよく似た志向性を持っていました。それは破砕された現実と現実を、そして現実とひとの存在についての意識をつなぎ合わせる役目を背負っていたのです。背負っていたはずなのですが、いつかしらず散り散りになり、文学が内省という二元論の片割れに特化するところから、有効性すなわち現在形を失っていったのです。
一方、美はそのままで全体だから分析はできません。逆にいえば、分析可能な知性で拵えたり、知性で分析できるものは美ではないのです。その美と知性という異質な領域にアナロジーでもって橋梁を架けようとの困難な企てが立てられました。例えばボードレールのコレスポンダンスやランボーの錬金術のような詩がそれで、それ自体が一種のエステティークな感覚を内包しているのですが、決して美にとどまるものではなく、より大きなディメンションを舞台にした運動としての文学と解釈していただきたいのです。
表題作「マンゴー幻想」にあって、現実はモザイク、一種の象眼のようなものとして再構成されていきます、自らの恥辱の証しとして。諍いを生み出す不信と対立、それら不信や対立の不毛の証明として、不慥かな成り立ち、かりそめの来歴、姑息な思惟等々が累ねられてゆきます。そして隙間を塞ぐように立ち顕われる恥辱の証しとしての自責。償われることのない、贖われることのない、謂わば幻日のふたつの光点のあいだを立ち徘徊る暫定的な存在、繰り返される迷いのなかにしか不毛を解く鍵はなく、繰り返されるためらいのなかにしか現在形はないのです。
時代に脊を向けたところで拵えられる閉戸された作品はいくらでもあります。しかし、時代と正面から向かい合い、かつ時代に対して有効性を持つ詩というのはほとんど例がないのです。おそらく、相澤さんは日本語による詩の歴史についぞ存在しなかった、まったく新しいタイプの詩を創出しました。ジャン・ジュネの「恋する虜」やピエール・ギヨタの「500万人の兵士の墓」の精神の系譜に列なる作品がはじめてわが邦に誕生したのです。
中井英夫の死後、十年の沈黙を経て、詩集「五月の笹が峰」「孔雀荘の出来事」、歌集「風の仕事」が堰を切ったように上梓されました。交錯する憐憫と流涕、愛憎半ばする戦友との別れにくだされたとどめの一撃のような詩群でした。そのあとに、それらを真向から否定するような新しいホモロジーを内包した詩集「マンゴー幻想」が顕れたのです。読み手を突き放し、読み手を拒否しかねない気配や振動を「マンゴー幻想」は内包しています。前書きを添えざるを得なかった理由はそこのところにあります。大方の読者はくっきりと一つ相澤作品のイメージをもたれ、そのイメージを拡げよう、もしくは自らの期待に添うように読み取り、解釈しようとされるに違いないのです。ところが、今回の詩集はリップ・カレントのようなもので、巻き込まれると思いもかけない遠いところまでもっていかれます。
本書で取り扱われた対象は著者にとってかならずしも取り扱うべき対象ではなかったと書けば、アイロニーに過ぎましょうか。対象をだしにして、対象に託つけて精神の循環を、三次元を超えた新たなユークリッドのストイケイアのようなものを相澤さんは示唆されたのです。失礼ながら、相澤さんは私などよりもお歳を召された方なのです。しかるに、今回の詩作品で晰かにされた恥辱と自責、出現と消滅の弁証法、瑞々しい柔軟さとかいろぐ屈折、休むことなく滲透しあい、そして震蕩しつづける精神の放縦、伸縮自在な詩精神、それらはまさに驚愕であり、慴れでした。個としての相澤啓三そのもののエピファニーを深く感じさせられたのです。
ガンジス川中流域のバイシャーリー市郊外にあるマンゴー樹の園林で釈迦は維摩経を説いたといわれます。文殊は垢と浄らかさは究極的に不二、無言無説であるとことばで表現したのに、維摩は沈黙でもってそれを示したとされます。過去の実績を棄て、名声や立ち位置を顧みず、新たな詩の世界へ躍り出たひとりの詩人、相澤啓三さんにとって過激と柔軟さは云うまでもなく不二、作品の裏にしつらえられた沈黙、その沈黙からとめどなく湧き出るメタファーの洪水をいかに受け止めようか。
追記
ですぺら通信にかたちを変えて書き込んだものをひとつにまとめました。先日高橋睦郎さんとの晤語にめぐまれ、また後日「るしおる」に掲げられた高橋さんの「テロルの木をめぐって」を読んで、まとめる必要に駆られたのです。「ものを書く最良の苗床は孤独」とは高橋さんの口癖ですが、相澤さんの十年におよぶ沈黙(孤絶)に対する畏敬の念を私なりに著したいと思ったのです。ちなみに、詩集「マンゴー幻想」に瞠目なさったのは現時点では佐々木幹郎さんと高橋睦郎さんのみ。詩集の表題にもなっている「マンゴー幻想」を引用したかったのですが、作品は必要最低限のことばで成立しています。従って、一部分を抽出するような無礼は私にはできません。「マンゴー幻想」の定価は2800円、購入をお薦めする次第。
ロード・ダンセイニの「戦争の物語」が西方猫耳教会から上梓されました。訳者の稲垣博さんは映像ディレクターを生業になさる方、土日の週末を翻訳に当て、三年を費やしての為事とか。三十四篇の短編小説に「訳者あとがき」、さらに刊行者未谷おとさんの「編者解説」が掲げられている。それにしても、A五版二段組、130ページで1000円は廉い。こちらはですぺらに在庫がございます。お買いあげをお願いいたします。
鎌野創一郎さんがレオ・ペルッツの「アンチクリストの誕生」を出版なさいました。エディション・プヒプヒの「ビブリオテカ・プヒプヒ第一巻」と表記されている。先に、土屋和之さんがエフライム・ミカエルの詩集「玩具店」を上梓なさったことは書いた。今回の鎌野さんの出版も、自らパソコンでプリントアウトし、綴じ込んだ私刊本です。
ご紹介せねばと思いつつ、ずいぶん遅くなってしまいました、鎌野さんにお詫びを申し上げたい。遅延の理由はレオ・ペルッツについて私がなにも知らないからなのです。しかしなにも書くことがないからというのは理由になりません。ソフィストなればアナロジーのレトリックで処理しなければならない。否、するしかないのである。
自分自身が限定本を造ってきたからだと思うのだが、よく愛好家、書痴、コレクターと間違えられる。マニアだから限定本を造るのではなく、もともと売れない本を造るから限定本なのである。私がもっとも多く手掛けた句集は200部から500部がせいぜい、翻訳であっても1000部を超えたことはない。また、通常の出版は全部数を一時に造らなければならない、あとの管理が大変である。地方で出版を営んでいると、なおのこと在庫の処理に日数と元手がかかる。そこで手っ取り早く売り上げを確保するために、特装本の登場となるのである。しかし、作り手が興味を持たないのだから、手元にはほとんど残されていない。私自身特装版と普及版とがあれば、躊躇なく普及版を購入する。
初版本といわれるものにも私はなんら興味を持たない。書物はすべて版や刷を重ねるたびに内容は修正され、誤字や脱字も訂されてゆく。従って、書き手としては最新の版を引用してもらいたいのである。活版印刷の時代であれば初版初刷のみが直刷りであり、二刷からは紙型から起こした鉛版刷りになる、それなら初刷に価値があると云っていえなくもないのだが、活版はすでにほとんど用いられていない。だとすれば、なんのための初版本なのか、一部の古書店の謀略に乗せられているだけではないのかしら。
書物のいのちは内容であり、テキストである。そこからなにを読み取るかは個人差があるので、私の知ったことではない。ただ、出版にあって最も大切なことはテキストを後生に託すことであろう。判断は後生のひとたちに、歴史に委ねるのが重畳、同時代の判断は私自身をひっくるめてさかしらなものと何時も言い聞かせるようにしている。だって、判断なるものは時代とともに推移していきます。そこに変遷、すなわち個と時代の弁証法がなければ文学なんてものは成り立たないのです。
はなしをもどします。「パソコンでプリントアウトし、綴じ込んだ私刊本」の登場は私にとって驚愕であると同時に、出版の先行きに希望を抱かせる大きなできごとなのです。「在庫の処理に日数と元手がかかる」と前述しましたが、倉庫代や毎年支払わねばならない固定資産税の類いは馬鹿になりません。そうしたものからの解放は出版に伴うリスクすなわち閑古鳥の皆殺しでもあるのです。オンデマンドをさらに押し進めれば、かかる「私刊本」の出現に当然出遇うと信じていました。通信ソフトが外字フォントに対応せず、PDFが重すぎれば、パソコンでプリントしたものをひとに委ねるのが最良の方法です。吉田一穂、春山行夫、稲垣足穂、亀山巌等々、作家の死と共に膨大な量の作品が埋もれていきます。さしたる部数が望めない書物であろうとも、鎌野さんの方式ならば、上梓が可能になるのです。
不興をこうむり、窓際でさびしく余生を送る編輯者、手形の遣り繰りで女房をすら質屋に預け、孤閨にうち沈む出版者、いじけ僻むだけが編輯者の末路ではないのです。出版社、取次、書店の役目は終わりつつあるのです。時代はこれから大きく変わります。鎌野さんや土屋さんに倣い、「私刊本」をみんなで造ろうではありませんか。
追記
そのような私刊本専門の書評サイト、私刊本を対象とした「塵芥賞(ちりあくたしょう)」のような権威や権力を恫喝する文学賞を設けようではありませんか。
はじめまして。突然の書き込み、失礼します。
今、最も急成長している健康産業の業界の中でも
トップで成長中の会社の需要に伴い、
この会社とタイアップした画期的な新システムを使って
自宅からお仕事をしてみたい、という方を探しています。
家事・育児の合間や、本業がお休みの日やお仕事後に
今のご自分の毎日の予定を大きく変えることなく
やっていくことができます。
完全にマニュアル化された手順に従って進めていく
とてもシンプルなシステムです。
毎月のお小遣いやプラスアルファの収入があれば、という方、
今の状況を変えたいとお思いの方、
詳細はサイトより資料をご請求下さい。
一考さん、 「塵芥賞(ちりあくたしょう)」、面白いではないですか。
「ですぺら」危急存亡の秋にしては、何故か貴兄の書き物が益々面白くなっています。
拍手喝采。
moondial
>一考さま
ご無沙汰しています。
なかなかお店にうかがえず申し訳ありません。
「戦争の物語」の宣伝ありがとうございます。
折みて「ぺガーナロスト」9号の委託もお願いしたいと思います。
moondialさんへ
お誉めにあずかるとたちどころに饒舌なものを書きたくなる。あなたは私のいい性格をよくご存じですね。
危急存亡に関しては「もう、どうでもいいや」が本音です。そもそもモルト・ウィスキーの専門店などという無謀なことを考えたのが運の蹲。戸田の税務署から、赤提灯や縄暖簾のような安価が売りの店の原価は10~15パーセントまで、モルト専門店の平均原価は40~60パーセント、これではやらない方がましじゃないの、と注意されました。それでも、利益率は出版よりは遥かにマシなのですが。
先日、お客さんに連れられて行った某有名店に、予て気にしていたモルトがあったので遠慮なく馳走になりました。価は一杯4000円だったのですが、ボトルの仕入れ値は48000円、原価率は55パーセント、そんな商売したくないですよ。こころはオホーツク、知床の空を翔び舞っています、こちらは建前です。
建前と本音と云いますが本音と建前とは云いません。これは憲法と法律、理念と制度のようなもので、おそらく優先順位に従っているのでしょう。当然、建前と本音は理念的な文化と制度的な文化、言い換えれば、規範的な行動と現実的な行動との対照を示唆しています。
ものを書くのは本音と云うか、他人の迷惑を顧みないで限りなく本心に近づいてゆくものなのだ、と疑いもなく信じていたのですが、掲示板をはじめてから必ずしもそうでないことに気がつかされました。
親や兄弟、連れ添いや子供を相手に自由な発言は慎まねばなりません。例えば変態(内容は個人差があるので触れません)であるとして、その歪みはご当人の理念であり立派な建前なのですが、それを家庭内に持ち込んだり、連れ添いに強いることはできません。できなくもないのですが、その場合はおそろしく骨の折れる難儀な問題、おそらく離別や離婚のやむなきに至ります。従って、最初からひとり身を通すか、想像の世界でのみ済ませるか、もしくは理念の発露にふさわしい場へわざわざ赴くことになります。ところが理念それ自体が千差万別、たとえ然るべき場であろうとも、状況からの要請を受け容れて現実と妥協しなければなりません。文化人類学者我妻洋に従えば、内面的な一貫性に価値を置くアメリカ人も、実際にはアド・ホックな(その場限りでの)解決法をみつけようとするし、またダブル・スタンダード(二重基準)を設けて現実の建前化を図っているようです。
十代のときのはなしですが、はじめて鏡花を読んだ折、善玉と悪玉の二項対立のオンパレードにうんざりさせられました。団十郎の「荒事」と云うよりは中国の瞼譜からヒントを得た隈取りの紅の熱情と藍や墨の陰性、すなわち正義や超人力と恐怖や悪の類型との図式です。一方で鏡花には黄昏時や逢魔が時にただならぬ関心を寄せるという、一見、包括弁証法を想わせるような面もあるのです。本音が相対的に優位を占める日本社会では、建前と本音のあいだの相互浸透や両者の使い分けが顕著です。私は鏡花のあまりにも日本的な部分、詭弁をもてあそぶような部分、または一貫性のなさに愛憎半ばするものを感じたのです。要するに、善玉と悪玉を対置した作品が鏡花作品のなかからなくなれば私にとって理想的な作家ということになるのですが。
二項対立を拒むのは不可能と云うよりも、二項対立から逃れ得ないと云った方がより正確なのでしょう。しかし、何かしら胡散臭さがつきまとうのです。十五、六歳のころ、現代思潮社からブルトンの「シュルレアリスム宣言」が出版されましたが、境界線の引かれないものに無理矢理境界線を拵える「ブルトン流」に嫌悪感すら抱きました。至高点の必要を説くに際して、ねじ曲げられた二項対立のオンパレードが説得力を持つとでも思ったのですかねえ。ブルトンは感じるひとなのであって、決して考えるひとではないのです。その証拠に「シュルレアリスム宣言」は箸にも棒にも引っ掛からない駄作ですが、「ナジャ」はすばらしい作品です。
さて、理念的文化は妥協というフィルターを通して、そのことごとくが制度的文化と化していきます。そして生活上の行動を動機づけるのは、本音としての制度的文化の方なのです。ならば、妥協を排して一途に建前の追求にひたはしるのが文章を認め綴る場ではなかったかと、そう気づいたのです。「掲示板をはじめてから必ずしもそうでないことに気がつかされた」と前述した理由です。
思うに、私はいままで妥協とはあまり縁がなく、勝手気儘に過ごしてきたようです。そのわがままは当然私の欲するところだったのですが、それは本音ではなく、あくまで建前だったようです。他人の迷惑を考慮するのが本音であって、他人の迷惑を顧みないのは建前、生活破綻者の私は振り返るまでもなく建前論者だったわけです。そんなことすら気づかずに、建前と本音と云う二項対立の親玉を目の前にして深い溜め息をついていたようです。もっとも、建前と本音のような下らないことはどうでもよいのです。なにが建前でなにが本音かは閑人がそれこそ勝手にやればよろしいのであって、私がもっともこころ惹かれるのはその狭間、どちらともつかない曖昧な領域に棲息する「ぼやき」なのです。花の都三ノ宮でぼやきを肴に飲みつぶれたいものです。
煮ても焼いても 喰えない肴
マスかく方図の 凭れ合ひ
いけすの底で 射精しテロ
文壇バァ 『despera賛』
「despera掲示板」って「ですぺら」の悪口を書き込むところなの。「ですぺら」ってステキなお店だと思うけど。
一考さま
へんな事情で近々我が家へ水泡眼が一匹来ます。ごぞんじ頂天眼か出目金かみたいなあの水泡眼です。金魚の世界は盆栽の世界同様、えらそうな漢風が吹きまくっていて大嫌いなのですが、一考さんとランチュウの話などした直後だったので、おっちょこちょいにもついつい引き受けてしまいました。ベランダに適当な容器を見つけてきて飼ってやろうとおもいます。問題は水の管理。サブ水槽などしつらえて頻繁な水換えなどできるはずもなく、しかしフィルター装置つけてかき回すのも金魚には不適とのこと。ならばローレンツ流に自然めかして小型の睡蓮やオモダカなど植えて自浄させるしかありません。
もうひとつの問題は餌です。光に湧き上がるミジンコは東京ではもはや夢の夢、ここはフレーク飼料に頼ろうとおもいます。
とつぜんですが、十代、二十代のころは日に何度もマスをかいておりました。五十になったいまはさすがにかく機会もマレでありますが、振り返ってみますと、通説に反して、マスはネエサン方にモテまくっているとき、さらには、もうこうしてカーテンを引いた部屋の中で君とまぐわい続けているのが一番なのであって、ふたりして何処へ落ちてゆこうが人生どうなろうが他人の知ったことか、といった幸福としか言いようのないひとりの相手に恵まれたときにこそ、より多くかきたくなるものであったと記憶します。
むかしむかし鎌倉にそんな方がいらして、そのときは雀の囀り始めた明け方、泣く泣く手を振って別れ、第三京浜をオートバイの前輪浮かして東京のアパートへ駆け戻ったとたん、いましがた別れてきたばかりのその人の股間をおもい起こしてその場でマスをかき、昼過ぎには仕事などそっちのけでバイクのタンク叩いて等々力からまた鎌倉へぶっ飛ばす。車なんか走るパイロン。
心身ともにスッキリして二キロは痩せて帰ってシャワーを浴びると、バスタオル使い髪乾かすころにはまたもや血が昇って矢印は鎌倉へ。性交とマスとの毎日でありました。
したがってわたくしにとってのマスとはなにか性的充実をさらに補強するものであって、そこには「それはマスターベーションにすぎぬ」などといったしぼんだ情けない揶揄は成り立たないのであります。
あの胸にもう一度、ではなくて、あの股にもう一度、であります。
軽い脳梗塞と軽い胃潰瘍で寝込んでました。
またウイスキーいただきにゆきます。
外山時男さんへ
第三京浜をぶっ飛ばすバイクがあってよかったですね。拙宅は走られるバイクがとうとうなくなりました。BMWだけは車検を取ってきたのですが、その費用すら賄いきれなくなりました。店のフードの仕入れ用の原チャンだけになってしまったのです。原チャンにリヤカーでも括りつけようかと思っています。
マスだかオショロコマだか知りませんが、そちらはmoondialさんを相手にかなり過激な猥談を当掲示板で繰り返しました。おっしゃっての通り、元気なときはすべてが元気になるのであって、駄目なときはなにもかもが駄目になります。急がしければいそがしいほど仕事は捗ります。また、忙しければ睡眠時間はいくらでも切り詰めることができます。
出逢った初日に関係を持てればともかく、初日になにもなければ一生関係は生じないようです。これは私の経験則、遊里であろうがなかろうが消息は同じです。お付き合いするに手続きが必要な女性はこちらから願い下げです。だって、勿体振るひとほど平凡と相場が決まっているのですもの。
二十代の前半に四年間セックスから遠ざかりましたし、今ももう二年ほど致しておりません。どうやら私までが車検切れのようです。もっとも、それは男女のあいだの掛け違い、はなしの落としどころを謬ったというほどのもので、強いてのことではございません。一方、まぐわいがすべてではなかろうとも思うのです。充足していれば想像力が飛翔しません。想像力が欠けると猥談はできなくなります。「禁欲とは限りなく淫蕩になること」と高名な歌人が申しましたが、まったく正しい意見であり、文学のそして表現者の核心をついた文言だと肝に銘じております。
「えらそうな漢風」を吹かせば、水泡眼の値打ちは左右の水泡の大きさが均等であることと泳ぎが水平であることだそうです。ベランダならフィルターの濾過装置が一番いいと思います。濾過装置といっても水槽の上部に設置するタイプではなく、生け簀に用いるタイプの簡易型もあります。一匹とローレンツ流との条件であればエアーだけで大丈夫かもしれませんね。メダカなら飼いたいのですが、拙宅には野良猫軍団が控えているので諦めるしかありません。
またのお越しを楽しみにお待ちいたしております。
掲示板とは申せ、いろんな種類のものがございます。よく承知しています。ただ、当掲示板はですぺらの宣伝板であり、広告塔なのです。従って、ですぺらもしくは店のスタッフに対する誹謗や中傷、勝手な憶測や邪推は許されません。私が許さないのです。どうあってもそうしたことを論議なさりたい方にはしかるべき掲示板がいくらでもございます。言論が国家権力によって封殺されるなら私も共に立ち上がります。しかし、意見を陳述なさる場所はいくらでもございます。ここはあくまで、ですぺらのお客さまとスタッフが語り合う、そしてシングル・モルトの情報や催し物をを告知するための掲示板です。ご覧になる自由はございます。しかし、書き込みには最低限のマナーと気配りを求めたく思います。
2003年5月に上記のごとく書き込みました。思いはなにひとつ変わりません。発言の自由が問われるのは「言論が国家権力によって封殺された」ときだけです。民間の、況やネット上に発言の自由などという言葉はふさわしくありません。だって、そこらじゅうに自由が転がっているのですから。従って箇別の掲示板に自由の必要はありません。主宰者もしくは管理人が不愉快だと思えば遡ってでも全文を削除すればよろしいのであって、それが論議の対象になるなら本末顛倒です。たとえ管理人によって改竄が行われたとしても、それを問題にする側の姑息さこそ問われるべきだと思います。なぜなら、管理人は改竄によって整合性を付加しようとしたまでなのですから。
足穂やバタイユのような作家はひとつの作品の書き直しに生涯を費やしました。改竄は文学におけるサブスタンスのようなものです。こころある作家は版を重ねるたびに修正や改訳を繰り返します。書きっぱなし、訳しっぱなしで捨て置くような姿勢こそが非難されるべきです。
新陳代謝は自然の法則であって、ひともそれを逃れることはできません。おおよそは暫定的な存在なのです。いかに高名な作家であろうと百年もすれば忘れ去られます。われら凡人は死後二、三日もすればなにもかも忘れ去られてしまいます。同様に、掲示板における書き込みは文学でもなく、歴史でもなく、事実でもなく、資料ですらありません。掲示板をひっくるめてネットそのものはひとの存在に付随するものであって、メモや鉛筆や電話と同種の、ただし些か便利な道具に過ぎないのです。掲示板を私は簡易書簡と心得ています。だからこそ「最低限のマナーと気配り」が必要だと思うのです。不快感を抱きながら掲示板を続けるとなれば、それは人とものとの主客顛倒になります。
当掲示板に詩についての書き込みがあろうとも、当掲示板は投稿欄ではないのです。そのような他人の理解を拒むような種類の書き込みに私は返事を認めません。掲示板に限りません、実生活の場であっても、それが不毛な対話であれば私は拒否します。たとえ相手が親兄弟や連れ添いや竹馬の友であろうとも、理不尽な言動、横暴な態度、さかしらな批判があれば即刻離別します。要するに思索のない対応であれば、それを私は許しません。
今回、ですぺらへの誹謗中傷が書き込まれました。しかも、悪意に満ちたものです。もっとも、意味内容が理解できたはじめての書き込みだったのですが。いずれにせよ、それら書き込みをなさった方の人品の卑しさを物語るものとして捨て置くつもりです。そして私は掲示板というものへの接し方を一から考え直そうと思っています。
以上、メールにお答えするのが面倒なので、こちらでまとめてご返事するということでご勘弁願います。この件に関して私のなかの不快感を増幅させる気はありません。それ故、少なくとも私にとってはこれですべてお仕舞い。
はじめまして、>一考様!まことに恐縮ですが他では伺う術がなかったものですから
種村先生が先日、亡くなられた!と新聞で知り驚愕しました。
忍ぶ会の詳細をご存じでしょうか?
昔、いささか御縁がありまして、矢川澄子さんと共に飲み会に御一緒し
ある開眼を頂きましたので、御無礼ながらのお尋ねです。
企画がおありなら、もっと親しかった友人にも知らせたいのですが。
patraさんへ
種村さんの遺志により告別式は密葬のみ、偲ぶ会の類は執り行われません。しかし、個人が内緒で偲ぶのは勝手だと思います。
問い合わせが多いので、こちらへ種村さんのサイン本の在庫を記しておきます。ただし、これらの著書はですぺらのお客さま宛に署名されたものなので、発送はご遠慮いただきます。
偽書作家列伝 学研M文庫 650円 在庫5册
澁澤さん家で午後五時にお茶を 学研M文庫 850円 在庫16册
別冊幻想文学「種村季弘の箱」のサイン本はたった今売り切れました。サイン本ではありませんが、こちらはアトリエOCTAに在庫あり、アトリエOCTAの住所は以下のごとし。種村さんの最初の特集号です、中味は編輯者の私が保証致します、ぜひのお買いあげを願います。
郵便番号408-0034 山梨県北巨摩郡長坂町大八田4296-7 電話048-825-0683 振り替え00460-4-13387
種村さんのご子息が営まれるスパンアートギャラリーにはかなりの量のサイン本が在庫されています。スパンアートギャラリーの住所は以下のごとし、お問い合わせをお願いします。
郵便番号104-0061 東京都中央区銀座2-2-18西欧ビル1階 電話03-5524-3060
お返事、ありがとうございました。
本のご紹介など、とても参考になりました。
今回はほとんど皆さまご存じの本からの引用です。
「一人の人間の死は、なんといっても生身の人間の死だ。精神像としてフォローしていた人に、思いもかけず肉体の死が訪れたのだった。精神としては書かれたテキストの上に生きている。しかし肉体としてはもうこの世にいない。突然訪れたこのズレに戸惑った。思っていた以上に人間としての澁澤さんの魅力が大きかったのである。没後にそれをじわじわと思い知り、いまもいよいよ大きな空白感にさいなまれている。澁澤龍彦の死は、私にとっては一つの時代の終わりだった」
「最後になりましたが、故人なきあと、故人にとつては一切であった、そのかけがえのない文業を守るという仕事が私たちに残されました」
種村先生が書かれた澁澤に関するご文章の一節です。最初の部分については、「澁澤龍彦」を「種村季弘」、「私」を「私たち」と置き換へて読まざるを得ません。また二つ目については、一読者として、一考さん、お忙しいでせうが、ぜひに、とお願ひするしだいです。
追記
昨日送られてきた神保町のある古書肆の目録に、学研M文庫の『偽書作家列伝』ペン署名落款入り、『種村季弘の箱』金ペン署名入り、が出ていました。署名本でなければ何も言ひません。しかし、つい最近のことにして著者の署名を頂きながら、どうして売つてしまふのでせうか。私にはまつたく理解できません。そんなことなら最初から署名などお願ひしなければいいのに。
悲しみはますばかりです。
種村季弘先生の訃報に接し、驚いている読者のひとりです。
ファンとして先生の著作を拝読するようになって約10年程度ですが、その間、過去のものにさかのぼり、著作を通じて人となりまで知るようになりました。サイン本は宝物です。
若かりし頃は、ホッケのマニエリスムを援用して鏡花を論じたものなどが、同じ東大で学内に残ったほうの方から叩かれたりしていたようですが、そうした批判に消されなかったのは、(私などには十分理解できませんが)やはり深い理解のうえに書かれたものだったから、もうひとつには切り口の鋭さがあったからだろうと思います。
最近のものでは、河出の山田風太郎のムックに掲載されたインタビューなど、なるほどいうところが沢山ありました。先生は、談話がエッセイと同じくらい面白い方ではないでしょうか。。
資質的には創作家というより評論家のほうでしょうが、オリジナルな着想には小説家以上のものがあります。いきなり「岡本綺堂はとにかくものすごく英語ができた」とか、「ん?何だろう」みたいな。
『種村季弘の箱』のお写真で見ると、アングラ劇団の方と車座になっているときのお顔など、大変楽しそうで、この方はほんとにそういった、アウトサイダー的なものを愛された人なんだなというのが伝わってきます。牧野信一にしろ、他人の評価がどうであれ、自分が好きだから好き、というような強さ、迷いのなさがあります。
そんな種村先生を自由に泳がせてあげた奥様が立派だったということも(これもインタビューで知るのみです)。名を残した偉い人でかつ、そういうところが幸運だったりするケースが多くあるようですが、種村先生もそのひとりだろうと思います。
残念でなりません。
高遠弘美さんへ
二つ目についてですが、もっか制作進行中の書冊から、平凡社のマゾッホ、論創社の映画評論集、学研の五木さんとの対談集、それとファンタジー・マップの四点は出版されます。その内の一本は木曜日に最終校が出る予定、平凡社と論創社のものが先行、おそらく十月中に上梓されます。いずれにせよ、論創社の「楽しき没落──種村季弘の綺想の映画館」が遺著になります。
その他にも企画されたものが、私が知っているだけで5~6点はあります。ただ、故人の遺志で出版なさらないものがある、と聞き及んでおります。自らの著作を「面白いけどちっともためにはならない」と公言なさったり、近親者だけの簡素な葬儀や偲ぶ会を催すなと指示なさる方ですからそれもありかと拝察する次第。いずれにせよ、遺された膨大な量の原稿をどう取り纏めるかを決めるのは奥様です。一読者としてならできるだけ活字になるのを願うのですが、さてどうなりますか、少々時間が掛かりそうです。
ところで、この内の一本に関してご相談致したきことあり、近々お時間をいただけないでしょうか。
追記。
先週末には宇野邦一さん、相澤啓三さん、四谷シモンさん等がご来店、ありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。
「種村季弘の箱」をお読みとか、ありがとうございます。
種村さんは映画を語って映画にとどまらず、舞踏を語って舞踏にとどまらず、演劇を語って演劇にとどまらず、食物を語って食物にとどまらず、といった風情で、「有心は生死の道、無心は涅槃の城」などという分かったようなはなしを最も嫌われました。変身と顛倒を生涯の伴侶とした種村さんにとって、謎は解き明かされるものではなく、より大きな謎に至るための方便でしかなかったようです。
「種村季弘の箱」の対談は荘子で終わってますが、あれには続きがわんさとあり、遺著として出版される書物のなかでも繰り返し述べられています。
「孔子ってのは障子の格子みたいなもんで、たとえば童子格子ってのがありましたね。格子があってそれをすり抜けるのが童子。それで童子は『悪』というかアポロン的な秩序ってのがあるとすると、それをすり抜けるヘルメスなんだけど、ヘルメスとか童子とかはトリックスターであって、格子と童子の双方の張り合いの遊戯のなかで世の中全体が、世界が成り立ってるんですね。どちらが欠けても渾沌に戻っちゃうわけですよ。
孔子の側に立って老子的なカオスも受け入れて、聖人君子のこわばりをあざけるとか、馬鹿にするとか、批判するっていうのが、荘子の『両行』の在り方なんです」
種村さんは老子側に立ちながら、生きてる世界では孔子を否定はしなかった。孔子を、そして荘子の「両行」との概念を認め気に入りの武器として縦横に使いながら、「それをすり抜けるヘルメス」に撤しきっっていたようです。「両行」に気を取られていると、知らない間に種村季弘はどこかへ逃げ出してしまってるわけで、敢えて申せば、この「すり抜け」に種村さんの本懐があった、と申せましょうか。山田風太郎の忍法帖やカムイ外伝にみられる「抜け忍」に殊のほか執着なさっておられたようで、今回もエイヤーと掛け声をかけたばかりに地上をすり抜けてしまった、否、出掛けた先をまたいつすり抜けるかも知れず、私が種村さんを追尾するのを諦めた日、それははじめてお会いしたときではなかったかと、そんな思いに浸っております。
一考さま
ですぺら通信での水泡眼への言及には仰天。ゆえに仰天眼です。もし仰天眼なる金魚ほんとうにいるとするなら、招聘元はとうぜん反共水産。毛沢東末期のマカオあたりでの商談です。むろんこれは親爺ギャグ。ちかごろ髪薄くなってきてオールバックも危なくなってきました。すでにじじいギャグです。
陸封型の鱒族にはいろいろあるらしく、しかし降下型の体形大振りの兄弟たちとどちらがより自由かなんて言い出したらキリなくて、わけ判らなくなってよくわかりません。双方我こそが真性ディアスポラと片意地張って主張しているみたいで気が滅入ります。
どっちにも抜け忍いると思いたい。
三陸あたりの陸からの鮭釣りでの一番の餌は青大将だそうです。ぶつ切りにして引っ掛けるのだとか。
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