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一考 | 詩的自叙伝

 寺山修司の「詩的自叙伝」が詩の森文庫の一冊として思潮社から近く上梓される。巻末に高取英氏の「寺山修司は走った」との跋文が掲げられている。
 「扇動でない詩など存在するものだろうか」
 「詩人はなぜ肉声で語らないのだろうか」
等々、寺山修司の著作からの引用の妙味に感心させられた。
 「彼(寺山)は、グーテンベルグが印刷機械を発明したことを、『詩人に猿ぐつわをはめる』ためのものと考える。なぜなら、『印刷活字の発明以来、詩人たちはことばでなくて、文字で詩を書くようになっていた』からである」
 これなどは昨今詩を著すひとたちに立ち返っていただきたい原点である。文章の上手い下手など、文学となんのかかわりもない。寺山のいう「詩の存在が本質に先行してい」ることこそが問われ続けなければならない。さすがに寺山の仕事のアンカーをつとめたひとだけに、高取英氏は寺山修司の文学を理解し、十全に咀嚼している。結句にいま少しの鋭さが求められるが、発想の非凡さには脱帽である。
 高取英氏には他に寺山修司論がある。同書の発売は四月一日、定価は九百八十円。



投稿者: 一考    日時: 2006年03月17日 22:23 | 固定ページリンク





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