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一考 | どこまでも文学

 ムーンさんへ
 隆君の上京は10~12日と決まりましたが、その件に関しいささか過激なことを著しました。私がいかような教育を受けようが、それは彼の与り知らぬこと。従って、私の経験則で彼を推し量る気は毛頭なく、私の真意は別なところに御座います。
 相手が貴方であれ、親兄弟であれ、例えわが息子であっても、私にとっての他者とはこれすべて託けるための対象でしかないのです。通常言うところの社交辞令や常識や憐憫、すなわち仲間意識や家族愛の持ち合わせは一切御座いません。もちろん、託けた事柄はすべて他者を介して自らに帰着して行きます。私に公私の分水嶺がないのはここに起因します。
 私がこの掲示板で試みたいのはあくまで文学であり、生体解剖でしかないと言うことです。もちろん掲示板ですからどなたが何を書かれようが一向に構わず、私にしてからが発動機やモルト・ウィスキー等、たわいない戯れ言も書き記しております。また時として管理人の櫻井さんからもいかがなものかとアドバイスを受けることも御座います。かかる逸脱や転覆をひっくるめての管理人ゆえ、櫻井さんへはかねてより満腔の謝意を表しております。
 さて、あくまで文学、どこまでも文学と前述致しました。文学を売りにした掲示板は枚挙にいとまなく、喧しいかぎりです。しかるに、斯く斯くを購入、然々を読了、あとに続くのはメリハリのない読後感想と手応えのない書目録ないしは金魚の糞のようなとりとめのない購入目録と相場は決まっています。
 「北回帰線」で繰り返された叩き付けるような呪詛や「南回帰線」で執拗に克明に描かれたジューンとの情痴の日々を持ち出すまでもなく、60年代に私が知った文学とはシュルレアリスムのような死体解剖ではなく、ホラーやミステリーのようなエンターテイメントでもなく、個が個として生き、個が個として闘う、その息づかいであり、心臓の鼓動だったのです。私が搏動とか肉声との言葉を好んで用いるのがおわかり頂けましょうか。
 マジョリティーであろうがマイノリティーであろうが、数を頼みにするという点においてそれらは同根異種でしかありません。選民意識を持つがゆえにマイノリティーを自認する方がたちが悪いと申せましょうか。気候風土や民族言語または時代によって攻守ところを入れ替えるのが多数派と少数派の定めなのです。結果、いずれの側もが個にとっては敵でしかありません。
 少なくとも、私が知る文学とは自らの立場の闡明であると同時に定点の拒否であり、個の表明であると同時に解体、失意、欺瞞、裏切り、蘇生の無限地獄へ自らを放逐することではなかったか。一刻と言えども立ち止まれば、そこが終の栖、死後に落ち着く場でしかないのです。生活の安定や権威を拒絶し続けてきたのも、まだ性にそして生に執着が未練があるからなのです。
 存在に存在以上の意味も意義も本義もなく、その存在の搏動である文学がいかにデスペレートなものであり、いかに暫定的なものであるか。命題論理であれ述語論理であれ、直接証明であろうが帰謬法であろうが、かかる重箱の隅はどうでもよろしく、任意の個は文学であり、文学は個であるとの同一性を苔の生えた反抗期を経てかつ証明し続けるしかない、文学に淫するとは因果なものですねえ。



投稿者: 一考    日時: 2002年08月06日 22:49 | 固定ページリンク





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