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一考 | だめ押し

 先だって理解を求めないと書いたので、なおさらのこと註釈は入れたくない。従って註釈ではなく、だめ押しを一言。時事問題に関し、言いたいことの大略は述べた。そして意見が合う合わないはそのひとの勝手である。ただし、意見の相違を私は黙視しない。考えのないひとの考えを私は思考や思想として認めない。そのためにこそ「現状を諾い、精神のあり様を保持しようとする保守反動の輩」と書いた。「保守反動の輩」すなわちものを考えないひとは、私にとって敵である。そいうひとが過半数を占めたとき、日本はアメリカの五十一番目の州になるしかないのであって、決して冗談で書いたのではない。そして、それはそれでよいと思っている。ただし、私はアメリカという国を積極的に嫌っている。従って、私が生きているあいだは困る、迷惑なのである。

 ここからはおまけである。靖国問題は小泉ひとりの問題ではない。戦争責任を戦犯にのみ押しつけて、安穏を決め込んできたわれわれ全員の問題であろう。昨今「講和条約十一条の誤訳」とか「侵略」という文字がポツダム宣言に含まれていないとか喧しいが、「目を覚ますのはあなた」で書いたようにサンフランシスコ条約と日米安全保障条約の受諾を交換条件に日本は独立を与えられた。素直に認めるのがいやなら、サ条約に調印した四十九箇国を相手に戦争をすればよいではないか。
 たとえ百回謝罪しても新たな悪口雑言があれば、百一回目の謝罪をしなければならない。責任転嫁や暴論が繰り返されるから謝罪を繰り返すしかしかないのだが、同じ謝罪が五十回も繰り返されると、その謝罪をいかように信じればよいのか分からなくなってくるのは当然である。
 なにを差し置いても、戦争責任に対するわが国の統一見解を出すべきである。自らの意見を持たない、その曖昧さが諸外国につけいる隙きを与えているのである。国家として民族としての統一見解をこじつけなければ外国とコミュニケートしようがないではないか。そのこじつけが理念であり、理念のない政治などあろうはずがない。なにも政治に限らない、他者との接点は強牽、詭弁の繰り返しのなかからしかうまれてこない。それが嫌なら首を吊るしかない。
 前述した暴論によって、わが国にあってはしばしば大臣の首が挿げ替えられる。「談合政治」で書いたように、ここにも政党が政策集団でない弊害が顕れている。



投稿者: 一考    日時: 2005年09月03日 21:29 | 固定ページリンク





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