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2019年01月18日

体調を崩す一考

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 1月9日から体調を崩している。風邪なのだが、このように拗らせたのは久しぶりである。年末の検体検査の帰路、最後の昼網でオコゼを買った。大きなオコゼで780円だった。新年の7日、最初の昼網でやはりオコゼを買った、小さいが3匹で480円。ですぺら閉店の折、世話になった方に包丁一式をプレゼント、よってペテナイフ一本でオコゼを下ろした。今年は恵まれているなあと想っていたのだが。
 風邪を治すのは自分自身の免疫力でしかない、ところが、命を繋ぐための免疫抑制剤を日々飲み続けている。また、PL配合顆粒は前立腺肥大症を悪化させる。この自己免疫と免疫抑制剤との関係は分かりづらい。検体検査で炎症が見付かった場合も、抗生物質は出るものの、全部は飲まないでくれとの註文がつく。一錠ごとに体調を確かめながら慎重に服用せよとの命令である。
 発症してから絶食しているが、今日は寝床から出るときに倒れなくなった。おそらく明日からはなんぞ食することが出来るようになる。

2018年12月26日

ブレーキシュー一考  

 このところ自転車に関する書き込みが続くが、まだ書くことは多い。例えば、ブレーキはキャリパでかけるのではない。あくまでシュー(ゴム)でコントロールするのである。極論になるが、シューさえ良いものを使えば本体はなんだって構わないのである。昨今、シマノ全盛で台湾製のブレーキは二束三文に扱われている。ついこの間まで、シマノのシューはテクトロのシュー同様、使い物にはならなかった。わたしはどこのキャリパを使っても、シューだけはカンパを用いていた。
 昨今、マウンテンバイクやクロスバイクのオンパレードで、太いタイヤばかりが持て囃される。ならば余計にガツンと効くシューは不向きである。コントロールが効く若干柔らかめのシューが必要になる。
 「駐車場で何度かブレーキをかけた程度しか使っておらず、すぐに外して箱で保管。ブレーキのフィーリングが好みじゃなかったので、すぐにシマノのブレーキに変更した」といった書き込みが目に付くが、80年代後半にシマノトータルインテグレーション(STI)が開発されるまではカンパの真似ばかりしていたのでなかったか。第一にガツンを求めるのなら、キャリパーブレーキよりもVブレーキ、カンチレバーブレーキ、ディスクブレーキを求めるべきであろう。仮にシマノのライトアクションが欲しいのであれば、BR6700-G Y84 ポールリテーナーが売られてい、互換性がある。調整可能なトーインブレーキシューなら他のメーカーも作っている。
 シューに戻るが、スイストップは高価にすぎ、シマノとよく似ている。ならば細かいコントロールが効くカンパかBBBブレーキパッドにするべきである。BBBにはシマノ・スラム用(BBS-26HP)とカンパ用(BBS-26CHP)がある。

おでん一考  

 12月の検体検査は本日だが寒そうである。営業中は構うことなくオートバイを飛ばしていたが、店をやめた途端に蒲団に潜り込んでいる。緊張感がなくなるとかくまでだらしなくなるのか。
 寒いものだから珍しく温かいものばかり食べている。関西で云う豚まんは神戸にも老祥紀、老祥記、一貫楼、四興樓、春陽軒、南京楼と随分とある。食べに出掛ける気はないが、近場で入手できるといえば蓬莱の豚まんしかない。蓬莱の豚まんは豚肉と玉ねぎのみ、食べるたびにハンバーグを想い起こす。このようなひどいものがどうして一世を風靡したのであろうか。
 先日、業務スーパー フレッシュ石守で豚まんを買ったが、これが滅法旨い。中国から冷凍で送られてくるだけあって、椎茸や竹の子ががっぽり這入っている。昔の春陽軒のごろごろした味である、いたく気に入っている。
 今ひとつはおでんである。おでんは元々豆腐料理(田楽)であって、豆腐と蒟蒻の這入らないおでんはおでんでない。わたしはそこに生揚げ、大根、餅入り巾着、ゆで卵 、練り天を入れる。関東ならはんぺんだろうが、かつて神田の四国屋で食べたはんぺんには閉口した。あれだけは好きになられない。北海道の白子やツブ貝、ネマガリダケについては書いたが、富山の赤身肉のネギマ風のおでんも美味しかった。小田原では梅味噌を付けて食するが、豆腐に似合いである。三橋敏雄さんを思い出す。

2018年12月19日

ISOとJIS一考

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 前項でフロントディレイラーが特殊な形状と書いたが、写真で説明しておく。サンツアーはローノーマルになって以降のARXや後期のサイクロン、初期シュパーブなどにネジ込み式アウターストッパーが付いてい、サイクロン7000になっても受け用の爪がついていた。下段はセブンだが、下向きのアウターストッパーである。サイクロン7000には下段右端の差し込み式アウターストッパーを用いる。このようなアウターストッパーは現在入手不可能である。
 フロントディレイラーの中古を買うとアジャストボルト(M4)のネジ山が潰れていたり、バンドの留めネジ(M5)が錆び付いていたりする。ピッチゲージを持っていないので詳しくは分からないが、大きなホームセンターならいろんなピッチのステンレスボルトが売っている。わたしは毎日自動車に出入りするネジ屋から工面している。

 川口真世さんの自転車に新しいマイティーツアーを用いたが、ヤフオクの質問欄にカンパのBB(ボトムブラケット)との互換性が書かれていた。スギノのクランクで互換性があるのは旧マイティーツアーと75の一部のみ。初期のシュパーブに一機種のみISO規格があったが、他はすべてJIS規格。クランクとBBは同じものでないとテーパー角が合わない。仮にテーパー角が合ったとしてもチェーンラインが整わない。旧マイティーツアーと旧カンパBBは希有な例である。なお、旧カンパレコードと互換するBBはTifosi(ティフォージ)とToken(トーケン)からカートリッジタイプが頒されている。同スクエアーテーパー(四角軸)は他にもシマノ・スギノ・ストロングライト・タンゲなどから出ているが、テーパーが異なりカンパとの互換性はない。

2018年12月06日

小径ロード一考

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 わたしが乗っている自転車は20インチの小径車である。葛飾区から三郷市にまたがる水元公園へ日々通っていた。小合溜を中心とした都内最大の水郷公園だが、平坦地なのでわたしでも走ることができた。ところが、神戸市西区はどこへ向かっても坂である。わずか2パーセントの傾斜であっても走られない、能力はまるで電車なみ(勾配は1.4パーセント内)なのである。従って、引っ越してからは自転車を諦めていた。
 今回の検体検査で血液量が思いのほか増えたので、ギア比を変えて乗ろうかと思う。アウター52にインナー46だが、それを48-40に落とした。インナーを36にしたかったのだが、フロントディレイラーが対応していない。下引きなのだが、ワイヤーの受けが特殊な形状で、手持ちで使えるのはマウンテンバイク向けコンポーネントになる前の最初期のシマノデオーレ、別称ULTEGRA TRICOLOR FD-Ż202のみ。キャパシティは9Tしかないが、昔のフロントディレイラーはこのようなものだった。
 クランクは初期のマイティツアー、BBは当初カンパを使っていたが現在はスギノISO、ハブはサンツアーシュパーブプロ、ボスフリーもサンツアー5段を用いている。現状、WOを履いているので18インチである。タイヤの直径が異なるため、チューブラーなら20インチになる。ママチャリならいざしらず、このような小径のロードは珍しい。それに大きな買い物籠を付けている。車椅子生活を余儀なくされた、わたしの身体に対する精一杯のレジスタンスだった。
 錆ついたところは仕方ないとして、磨けるところは磨いた。グリスとシリコンオイルをさし、ワイヤーはすべて新しくした。血液も新しくなったことだし、近隣の買い物はこれから自転車で済ませたく思う。

追記
 いつか使おうかと、ニジ製20インチのチューブラーリムを持っている。しかしチューブラーの値が高すぎる。おそらく組むことはあるまい。写真は水元公園。

自転車取り敢えず完成一考  

 川口真世さんの自転車が取り敢えず完成した。取り敢えずと云うのはスペアタイヤとリムセメント、前照灯とテールライトが必要だからである。ライトの類いは100均で揃う。リムセメントは劣化する、それ故本当は新しく貼りたかったのだが、スペアタイヤを購入してから貼り方を伝授しようと思う。
 自転車は当初考えていたものとはまるで変わった。彼女の父親が回転部分に五月蝿いからである。もっとも仰っているのは正しい。BBとハブは最良のものを選ばなければならない。変速機はなんでもよいのである。FD、RDはブレーキと共にシマノ600のアルテグラを用いた。昔からシマノは回転部分に弱い。そこでハブはカンパのレコード、BBはスギノのCBBAL-113(カートリッジ ボトムブラケット シールドベアリング)を奮発、クランクは新しいマイティーツアーをこれまた奮発。ギア板はPE110Sでアウター48T、インナー36T、色はブラック、これなら文句はあるまい。
 BBは当初、シマノ600を用いるつもりで状態の良いものを購入した。しかし玉当たりがひどすぎる。しかも父親から駄目出しされるとそれまでである。予定では安く仕上げるつもりだったのだが致し方ない。マイティーツアーはわたし自身ずっと用いてきた名作中の名作、今ではプレミアが付き3万円近くする。古いタイプはカンパと互換性があった。
 もっとも難儀したのはダブルレバーである。レジナの6段ボスフリーにはシマノもサンツアーもインデックスが噛み合わない、結果カンパのフリクションを用いらざるを得なかった。いずれにせよ、メンテナンスがし易く、乗って楽しい自転車になったと思っている。

2018年11月30日

シフトレバー(ダブルレバー)一考

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 80年代以前のダブルレバーはことごとくがフリクションだった。わたしは長くサンツアーの I.F.Cと I.P.Cを用いてきたが、インデックスとフリクションの切り替えが可能で、フリクションにはラチェット機構が組み込まれていた。ラチェットは細かく刻まれていて変速にまったく影響はなかった。
 写真はサンツアーが1987年に売り出したアキュシフト。6速乃至7速対応でインデックスとフリクション両用だが、こちらのフリクションにラチェットは組み込まれていない。

 http://dt6110.web.fc2.com/parts/accushift.html#shift

 上記で紹介されていないが、インデックス機構が生まれる前、すでにラチェット付きのダブルレバーがサンツアーから頒されていた。すこぶる簡便なもので、パーツをカンパで統一してもダブルレバーだけはサンツアーを用いていた。シマノは7400系以降フリーハブへ軸足を移していったが、シマノのインデックスはシマノのフリーハブにしか対応していなかった。比してサンツアーが作り続けたインデックスはボスフリーそれもレギュラーとウルトラの双方を使えるすぐれものだった。90年代前半にサンツアーはなくなってしまったが、エンド幅120ミリや126ミリの旧車をレストアするのにサンツアーのボスフリー用インデックスは必需品である。なお、6速、7速対応のダブルレバーを10速へ改造できるようだが、わたしには方法が分からない。

追記
 数十年ぶりに自転車を組んでいるが、いささか手を焼いている。パーツの組み合わせがまったくうまくいかないのである。それと値の高いこと、例えばバーテープで使用に耐えるものが4000円もする。フィジークかサンマルコかセライタリアが欲しいのだが。

 サンツアーのリアディレイラーにBL乃至ヒーローと称する同一のモデルがあり、α-4050と共に非常に性能の良いRDだった。ただし、BLシリーズのダブルレバーはカンパの台座との互換性がなかった。

カラオケ喫茶 銀河鉄道一考  

 先般、銀河鉄道へ届けたブローラとポート・エレンについて触れておく。
 ブローラはUDから5種類、ダグラス・レインから10種類以上頒されている。以上と書いた理由はわたしが味見したのがそれだけということである。ダグラス・レインの社長からはあと2種類出たと聞き及んでいる。DLの姉妹会社エイカーダイクからも頒されているが、そちらを数えているのかもしれない。ウィスク・イーの扱いになるダルリアダのブローラは、ボトラーズのリフィール・シェリーもの(4種類)同様、特筆ものと聞いているが、ダルリアダは飲んでいない。
 今回持参したブローラはウィリアム・マックスウェルのダン・ビーガンシリーズの一本、80年蒸留、04年ボトリングの24年ものである。23年ものもあり、81年蒸留の26年ものもある。ドライシェリーすなわちフィノシェリーすなわち使い古したオロロソシェリー樽を用いている。香り、こく、喉ごし共に超一級、銀河鉄道にはもったいない傑出したブローラである。レアモルト並びにニュー・カスク・ストレングスよりも遙かに旨い。
 シリーズ名のダン・ビーガンもしくはダン・ベーガン(Dun Bheagan)はスコットランドのスカイ島にある村の名前で、同地を支配していた地元のクラン(部族)が、生産者ウイリアム・マックスウェルの創業家と深いつながりがあったことから。1997年にフランス向けにボトリングをはじめた。他ではリンクウッド、ロングモーン、ローズバンク、ポート・エレンが美味。ちなみに、スカイ島はシングルモルトのタリスカー、ダン・ビーガン城、ダン・ビーガン ホテルなどで識られている。

 ポート・エレンは79年蒸留、ホグスヘッドの16年もの、ボトラーはキングスバリー。他に80年蒸留の15年ものがあるようだが、わたしは飲んでいない。カスク・ストレングスではG&Mとシグナトリーのダンピーボトルにとどめを刺すが、加水タイプでは本品であろう。ポート・エレンを知るには15、16年までが限界と思っている。癖のないカスクゆえ、蒸留所本来の香味が生かされている。ダグラスレインのフレッド社長云うところの「なめし皮の味」である。

 「候可候 (さうらふべくさうらふ)」で書いたが、こちらでもカラオケ喫茶 銀河鉄道の住所を記載しておく。
  明石市鍛治屋町4-14 999(スリーナイン)ビル6F 078-917-5801

2018年11月28日

点滴一考  

 神大で久しぶりの点滴、思い返せば、点滴だけで命存えたときがあった。医師によると水不足の餌不足らしい。PLよりもミヤを服用すべきですね、と。医師も看護師もわたしの腹のゆるさは心得ている。戸田にいたときからそうなのだが、引っ越し後免疫抑制剤サーティカンを飲むようになってから麁相が増えた。それは旅行ができない最大の理由でもある。
 グラセプターの血中濃度が高いようだが、このような状況下で判断はできないそうな。ウィルスを調べるのでもう一度血液検査をする。なにか出た場合は呼び出しがかかると云われる。尿蛋白とβ2ーマイクログが跳ね上がっている。ヘマトクリットは31から38.6に改善されている。恐るべしエリスロポエチン。
 ムーンさんに傘を届けて、帰りしな猛烈に腹が減ってくる。これなら大丈夫と安堵する。

追記
 刺身が好きなようだが、青魚は食べないようにと五月蠅くいわれた。マグロ、カツオ、サバ、アジ、ブリ、カンパチ、ニシン、イワシ、サンマ、トビウオの類いである。鮪を旨いと思ったことはないが、鰺、秋刀魚、飛び魚は好物である。もっとも白身魚があればそれで十分だが。

数年ぶりの風邪一考  

 26日は大変だった。深夜の2時頃、突然の吐き気で目を覚ました。それからの24時間は下痢と吐き気の繰り返しで、トイレに籠もりっぱなし、当初は食あたりと自己診断した。食事はおろか。水も飲まれない、飲めばすぐ吐くからである。28日が検体検査というに。検査前の3日間は特に水分を必要とする。1日2リットル以上の水分を摂らないと碌な結果にならない。
 24時間を経たころ、食あたりでないと気づく。どうやら風邪である、PL配合顆粒を服用。27日夕、やっと紅茶が飲まれるまでに恢復。とにかく明日の検査のために食事をと、高野豆腐とサヤエンドウ(絹さや)の煮込みを一口食する。
 28日になったが、食事はまだ不可能。食事の時間制限は4時までである。東京から戸井田さんが銀河鉄道へいらっしゃるとか。なんとか元気になりたいのだが。

追記
 明日は紙おむつの世話になる。医師はわたしの下痢癖に馴れている。

2018年11月24日

ソバの実一考  

 本日、ソバの実の浅漬けを作りましたので、銀河鉄道へ持って行きます。ほんの少し唐辛子の糸切りを追加、旨いと思います。

フルーツ魚一考  

 宇和島のチョコブリ、香川のオリーブハマチとオリーブブリ、大分のかぼすブリとかぼすヒラメ等々、さまざまなフルーツ魚が頒されている。最近の魚は何を食わされるか分からない、魚が感じるかもしれない迷惑はとももかく、養殖の魚は随分と旨くなった。一渡り食したが、オリーブブリとかぼすヒラメは滅法旨かった。
 通常のブリは切り身にして2日で血合いが変色するが、チョコブリは5日は持つ。それだけでも凄いのだが、フルーツ魚全般について云えるのは身が柔らかいこと。天然物が持つこりこりした感触はない。近隣のスーパーマルアイ玉津店ではオリーブブリが常備されているが、ブロックで売っていない。食感を楽しみたいのに残念である。

 神戸新聞によると明石ダコが記録的不良とか。

 https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201810/0011717746.shtml

 文中に「名物の「玉子焼(明石焼)」にもじわりと影響が出始めている」と書かれているが、明石の玉子焼屋で明石産のタコを使っているところなどないのでは、と思う。玉子焼に関しては東京の方が確実に柔らかく安くて旨い。
 当地の漁師は底引き網を用いる。瀬戸内のような内海で底引きとはなにを考えているのかと思うのだが、タコに限らず、穴子も鯛も消息は同じである。詳細は「海藤花 」2018年07月08日に譲る。いずれにせよ、これから天然物はますます稀少になってゆく。それ故、小型バイクで一人旅を楽しもうと思う。キャンプ場で行く先々の磯魚を食するのが目的である。

2018年11月19日

老後のリアリズム一考  

 閉店間際にきたじま ちよこさん来店、「リアリズムの老後 自分らしい介護とマイケアプラン」を頂戴した。介護支援専門員、介護福祉士、管理栄養士等々、肩書きの多い方である。神戸新聞を見ていらしたようだが、ならばわたしが重度身障者だとご存じの筈。介護する側の意見は多いが、介護を受ける側の発言は少ない。わたしはもちろん後者に興味がある。
 書冊の内容紹介に「介護事業にかかわる一人として、老後を自分らしく生きたいと願い、老後と介護をシュミレーションしながら、全国の先進的な介護施設やキーパーソンに会いに行くルポルタージュ。マイケアプランによる介護は、今後の希望である」とある。
 マイケアプランは健常者が思案するものであって、身障者や認知症を患う者にはほとんど関係がない。借家住まいで財産皆無、その日暮らしの身障者にとってマイケアプランはなにを意味するのであろうか。サ高住〈サービス付き高齢者向け住宅〉はおろか、福祉施設のお世話になるか野垂れ死に以外に手立てはない。
 仮にマイケアプランを持っていたにせよ、大きな病気に罹れば瞬く間に老後の資産は霧散する。無一文になれば家族は離散することになる。わたし自身、身内から絶交を宣告された。人生にフォーミュラやレシピはない。多くのひとは行き当たりばったりで生きている。
 障害や介護については当掲示板12年、13年に詳しい。特に欧州とわが国の高齢者医療の違いについて詳述した。海外では高齢者医療は65歳または70歳〈国によって異なる〉で打ち切られる。透析治療も人工呼吸器も例外なく停止である。医療費抑制が目的で、国民投票によって決められた。介護についてもいろいろ調べた、そのうちわたしが感心させられたのは生活とリハビリ研究所主幹三好春樹さんの文章だった。介護分野の第一人者でなかろうかと思っている。
 「介護夜汰話 番外地」の最下段「アンコール介護夜汰話」はとりわけ屈折していて面白い。
 http://www.mdn.ne.jp/~rihaken/suisen/all_bri_encore2.htm

2018年11月10日

サイクルパーツ一考  

 川口真世さんの自転車のフレームはタンゲNo.1〈肉厚0.8mm〉である。ボトムブラケットやヘッドパーツを作っているのはタンゲ精機。丹下鉄工所〈現・タンゲコーポレーション〉はプレステージやNo.1からNo.5に至るクロモリのダブルバテッドシームレスパイプのメーカー。自社でもフレームを作ってい、プレステージとNo.1はレース用のフレームパイプだった。
 クラシックなWレバータイプのクロモリフレームに最新のコンポーネントやパーツは付けられない。わたしは栄輪業、杉野鉄工(現スギノテクノ)のクランク、吉貝機械金属のブレーキやヘッドパーツ、三ヶ島製作所のペダルなどの共通ブランドサンツアーのファンだが、今サンツアーでコンポを組もうとすれば非常に高価になる。そこでシマノ600アルテグラの最初期タイプを買った。枕頭式のキャリパブレーキ、Wレバーはインデックスタイプ〈フリクションの方が良いのだが〉である。ただし、メンテナンスがまったくなされておらず、RDのプーリーはぴくりとも動かない。なにかを巻き込んで顚倒し、そのまま廃車にされたパーツである。わたしにとっては修理のしがいがあろうというもの。そのプーリーと70年代後半のシマノのBB、そして彼女の体躯に合わせたハンドルバーとステムを購入しなければならない。

追記
 ハブはカンパレコード、ヘッドパーツはサンツアーのシュパーブを用いる予定。

2018年11月09日

銀河鉄道へシングルモルト一考  

 ですぺら閉店に伴い、日高さんの行き場所がなくなった。そこでスリーナインビル6階の「銀河鉄道」へラフロイグ他、3本のシングルモルトを届けた。売価をですぺらと同じにするのが条件である。明日の土曜日は日高さんがいらっしゃると思う。わたしも11時前後に顔を出す予定。
 いずれポート・エレンやブローラを持って行こうかと思っている。前者はキングズバリーの16年、後者はダンカン・テイラーの27年もの、決して旨くはないが、共に蒸留所本来の香味を有すると定評のあるボトルである。ただし、こちらは客があってのはなしである。
 銀河鉄道はカラオケ喫茶である。従って横でおっさんががなり立てるのはやむを得ない。しかしママは湯川書房の元編集者で湯川の内情を知り尽くした女性である。要するに、関西の出版史を語るに欠かせないのである。吉行淳之介の書冊も3度制作している、吉行に対する彼女の意見を訊いてみたいと思っている。

2018年11月07日

ゆりこさんからメール一考

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マスターお元気ですか?

昨夜、マスターお勧めの「一とく」さんに
初めて行ってきました(^^)
美味しいお魚をたくさん頂きました!
ありがとうございました☆

とのコメントが添えられている。
 最終日は「一とく」さんから大量のはも寿司の差し入れがあった。井筒典久さんの差し入れだが、丹甫の料理、マルヨネの焼き豚と併せておいしく頂戴した。ですぺらの鍵を返却して1週間になるが、結構な思い出がまたひとつ増えた。

軽四の車検更新一考  

 区役所の担当者と相談し、軽四の車検を更新した。ついでにオートバイの修理を済ませた。いつもながら毎日自動車に迷惑をおかけした。お礼にもならないが、娘さんの自転車を組むことにした。自転車を組み立てるのは30年ぶりである。細かいパーツが必要になるので加古川のマツイじてんしゃ館へ出掛ける予定。
 重度身障者や生活保護を受けている者が車を持つのに役所が反対する理由を訊ねたが、任意保険はおろか自賠責にすら這入らないケースが多いようである。それが事実だとするなら、恐ろしく想う、人身事故を起こした折にどのように処理するのであろうか。

2018年10月30日

余命とはなんぞや一考  

 医師から危篤と云われれば、通常は死ぬ。ところがわたしは死ななかった。余命宣告にしても今回が3度目である。EPO治療をはじめておいて余命はないだろうと思う。末期腎不全は1箇月ほどで確実に死ぬ、待ったなしである。それゆえ血液透析、腎移植と延命治療がつづいた。腎移植にしても根治療法ではない、姑息的治療や対症療法の一種である。
 数度の危篤状態を経験して分かったのはひとの命の儚さである。実にあっけないものである。死ぬのも致し方ないとの思いと同時に、このようなことで死ぬのかなあとの疑問が常につきまとう。おそらくその疑問がわたしの命を存えさせているのであろう。
 ただ、今回は身体のダメージがいままでになく大きい。EPO治療によって赤血球数が好転したところで到底1キロは歩かれないに違いない。もっとも北海道の山野を走り回り歩きまわっている夢は頻繁にみる。

芳紀なる方一考  

 本日、大家の濱西さんと立会人が同席し、店舗の鍵を返却した。これでですぺらは永遠になくなった。ところで、ですぺらの臨終を看取った方にいまひとり、妙齢の女性がいらした。看板を取り外し、休憩していたところ、店先に女性がたたずんでいる。声をかけるとですぺらはこちらですかと応える。来店したかったのだが間に合わなかったという。名前も存じ上げないが、ジュンク堂書店の方らしい。わたしは20代の頃、ジュンク堂書店や紀伊國屋書店梅田店の立ち上げにいささかの関わりを持った。よって多くの知己がいた。ですぺらの掉尾がジュンク堂の女性によって飾られたのは奇縁であり、嬉しく思う。

2018年10月24日

鈴木達朗さんの写真一考

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 久しぶりに感動する写真と出遭った。生きることに意味や意義があるとは思っていないが、それでも生きるしかなかった零落者の無念、無慚が過不足なく描かれている。すぐれた写真である。

全盲の顧客一考  

 障害者には身体障害者、知的障害者、精神障害者、発達障害者が含まれる。1996年(平成8年)に優生保護法は、母体保護法に名称が変更され、優生思想を名目とした妊娠中絶を認める法規定は削除。2013年(平成25年)、国会で「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」が成立、2016年(平成28年)4月1日に施行。
 当掲示板で障害者について触れたことはない。1万人の障害者がいれば1万通りの障害がある。要するに、一般論としての障害の概念が掴めないからである。書くことにとどまらず、話すことすらわたしは避けてきた。大方のひとは自分の障害については多弁になるが他人の障害については無口になる。要するに、自己の障害が客体化されていないのである。
 ですぺら明石でさまざまなひとと出会った。そのなかでもどうしても忘れられない方がいらっしゃる。名は井筒紀子〈みちこ〉さん、全盲である。視力に障害があればこそ、ウイスキーの香味にかんしてはプロ顔負けの非凡さを有している。目明きはラベルで飲み、銘柄で判断する。彼女はまったく異なる、先入観がなにもないのである。それゆえ、わたしはウイスキーの説明は一切しない。蒸留年、ボトリング年、熟成年数、使用した樽の種類、蒸留所名、その地域、そういった御託は何の役にも立たない。彼女が飲んでその香りを佳しとし、喉を過ぎゆく液体を旨いと思うかどうか、唯々それだけである。彼女を通して、問われているのは常にわたし自身なのである。わたしにとって最高の顧客、それが井筒紀子さんだった。
 彼女となら障害について自由闊達にはなしができた。彼女のなかで障害が客体化されているからである。障害者の自死についてすらはなしは及んだ。彼女が自らの障害を克服するに払ったであろう苦衷の大きさに思いを致したい。それゆえ、不味いウイスキーは出されない、間違いは許されない、個々の個性を十二分に発揮した樽を選ぶためにわたしは全力を傾注した。バーテンであることにわたしははじめて悦びを感じたのである。

 ウイスキーに限らないが、飲めば飲むほどに好みは霧散してゆく。繰り返すが、ウイスキーを味わうとはどういうことか、その基本をわたしは彼女から教わった。20年前はボトラーズボトルしかなかった。ボトラーズのシングルモルトはシングルカスクである、一樽ごとに香味は異なる。碌に飲みもせず、飲む地域や銘柄を決めるなどもってのほかである。

追記
 お名前を掲げるに井筒典久さんの許可を得た。閉店に際し、彼女のことはどうしても書いておきたかった。井筒家に深甚の謝意を表したい。

2018年10月23日

無事終了一考  

 日曜日、周さんが冷凍庫を拙宅へ運んでくださった。月曜日中に食料品を拙宅へ運び、ウイスキーの梱包材料を店へ運んだ。2日ほど休んでから愈々引っ越しである。
 神戸新聞にですぺらの住所が掲載されたので、小荷物、手紙の類いが多く寄せられた。またメールをたくさん頂戴した。一切返事は認めていないが、取り込み中ゆえ。どうかご勘辨いただきたい。内緒ではないのでこちらに住所を掲げておく。ただし、わたしは手紙を書かないのでよろしく。

 渡辺一考
  〒651-2137
  神戸市西区玉津町出合37-1-206

追記
 早速、迷惑メールが殺到したので、一部を削除する。

2018年10月17日

大山伸一郎さん撮影一考

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髪の毛がなくなってきたのと入れ歯を拒否しているため90歳に見えると女房に言われてしまった。

最終日一考  

 店の営業は19日まで、20日は予約客のみ。詳細は分からないが、親しいお客が仕出しを頼んでくださるそうな。わたしはバスで出勤の予定。

ですぺら店仕舞い一考

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 16日の神戸新聞夕刊へ田中真治さんが書いてくださった。シングルモルトに一家言お持ちで、掲載してくださったことよりも彼と知り合えたことの方が嬉しい。個性を持った非凡な方がわたしは大好きなのである。
  https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201810/0011735582.shtml

2018/10/16 11:35神戸新聞NEXT

美酒と文学夜ごと語り24年 伝説の編集者のバー閉店へ

 「ですぺら」という名のバーが兵庫県明石市にある。シングルモルトウイスキーの、通には知られた専門店だ。主は渡辺一考さん(71)。1970年代の「コーベブックス」を皮切りに、美麗な造本で愛書家をうならせてきた伝説の編集者だ。美酒と文学を夜ごと語って24年、「ぼちぼち店じまいの季節」と渡辺さん。20日、看板の明かりが惜しまれつつ消える。
 「シングルモルトは一樽ずつ味が違うわけでしょ。人間だってそうで、個性がある方が面白いじゃない」
 ずらりと並んだボトルを背に、渡辺さんがそれぞれの醸造所や熟成樽について解説し、味の特徴を語る。今は約100種類だが、その10倍を置いていた時期も。吟味された品ぞろえに、客が「見たことのないボトルばかり」と声を上げる。
 編集者としても個性的な本を手掛けた。吉岡実さんの詩集「薬玉」は、姫路の職人による表紙の子牛革の染めだけで1年を費やし、手すき和紙を求めて京都・黒谷の産地に通い、「作るのに数年かかった」。吉岡さんの特装本の中でも最も豪華と評される1冊だが、「過去の仕事に興味はない」と店に飾ることもない。
 神戸の福原に生まれた。中学時代から古書店に入り浸り、料理人の修業を積みながら、孤高の銅版画家・山本六三さんらと交友。72年に入社した書店「コーベブックス」でタロット展など催事の企画を成功させると、74年に出版部を興し、3年後に「南柯書局」として独立した。
 酒友でもある博覧強記の文学者澁澤龍彦さんや種村季弘さんらの協力で、知られざる幻想文学を出版。三橋敏雄さんら新興俳句の旗手の句集を編み、俳句史の刷新を試みた。俳人の永田耕衣さん、詩人の多田智満子さんら地元の偉才の作品も世に送り、読書人の注目を集めた。
 だが、理想の本作りには費用がかさみ、出版活動は休止。「接客はできないが酒の話はできる」と、関西では珍しかったモルトウイスキーやベルギービールをそろえ、94年に西明石で始めた店が「ですぺら」だ。
 2000年に東京・赤坂へ移転。旧知の作家らも訪れ、文学ファンが集った。それが、故郷に戻ることになったのは、腎不全を発症したためだった。腎移植後の回復を待ち、店を再開したのが昨年2月。「リハビリにちょうどいい」と思っていたが、今夏に体調を崩したこともあり、幕引きを決めた。
 「まだしばらくは生きられると思っている」と渡辺さん。酒や書物、趣味のオートバイや自転車、昔の神戸の盛り場などについて記してきたインターネットの「ですぺら」掲示板は閉店後も続ける。「書きたいことはいろいろとある」と執筆に専念する予定だ。
 ですぺら(明石市鍛治屋町1の3、TEL078・940・6818)は午後7時から午前2時まで営業。(田中真治)

2018年10月10日

エポジン皮下注一考  

 ヘマトクリット(血液中に占める血球の容積率)が改善しない。医師がエポ〈エリスロポエチンのこと、骨髄中の赤芽球系前駆細胞に作用し、赤血球への分化と増殖を促進する特効薬〉を打ちましょうかという。戸田中央では輸血とエポは最小限にしましょうとのことで、久しぶりの注射である。赤ん坊が必ず泣き出す痛い皮下注射である。
 年内に500メートルといわず、1キロは歩けるようになりたい。それもあってこのところ牛乳を多量に飲み、B12 500mcgを毎日服用している。そして4〜5キロほどペダルを漕ぎたいのである。

2018年10月09日

携帯不通一考  

 携帯電話の電池切れ、3日ほど不通になります。店の電話をご利用ください。
  〒673-0884
  兵庫県明石市鍛治屋町1-3 濱西ビル1階3 ですぺら
  TEL:080-3219-6221

2018年09月30日

一億総白痴化一考  

 貴乃花が引退するとかいう会見を見ていて、自らの非を認めようとしない彼のプライドの高さ、言い換えれば被害者意識しか持たない日本人の典型を見た思いがした。かつて理事会の席でゴッドファーザーよろしくマフィアのような格好でふんぞり返っていたのを思い出す。見苦しいまでにふて腐れた自己顕示欲、改革と云いながら、自分が理事長になるのが当然という権力亡者、大相撲版現首相とでもいうべき神がかったファシスト気質の御仁である。
 相撲などというものはプロレス同様格闘技であって決して神事なのではない。後世の有象無象が取って付けた権威付けに他ならない。神事だと宣うのなら白鵬を関取として況んや横綱として土俵に上げるのはおかしいし、かち上げや張り手を禁じるなどもってのほかである。

 正義とかファクトは相対的なものであって、視る側の立ち位置もしくは時代によってどうにでも流転する。わが国のごとく歴史修正主義に基づく歴史観を国民が支持しているような場合は特に改竄が顕著である。中華民族や朝鮮民族が内包する複雑な思想は、国家=国民の境界が自明な日本人には到底理解できないであろう。隣国にあっては国家は民に向かって鉄砲を構えるものとして理解されている。よって国民は政府を信用していない。歴代の大統領が悲惨な目に遭うのはやむを得ない。
 昨今、中、朝が攻めてくるとの妄想に首相以下臣民に至るまでがどっぷりと浸っている。戦争や内戦がしばらくないとひとは諍いを求めるようである。ましてや戦争を経験した政治家がいなくなった。平和呆けとは現今の武力を崇めるひとたちを指す言葉であろう。310万人の犠牲によって得た平和憲法を慈しみ大切にしているのは一人天皇陛下だけではあるまいか。臣民と前述した、国家ならぬ、時の政府に忠誠の義務を持つなどあってはならないことである。

2018年09月13日

貧血とサプリメント一考  

 栄養補助食品もしくは健康補助食品といわれるビタミン、ミネラル、アミノ酸、ハーブなどが何の役にも立たないのは良く分かっている。医師も決して薦めない。しかし、病院で処方される鉄剤は非ヘム鉄なので、胃痛や吐き気がひどい。そこで生まれてはじめてのサプリメントとなった。気休めであることはいうまでもない。
 購入したのはトンプソンのビタミンB12 500mcg 90粒[海外直送品] と小林製薬のヘム鉄 葉酸 ビタミンB12の2種である。他の商品でも良く、選んだ理由はなにもない。医薬品と異なり、鉄分の用量は10分の1以下。たいして効果は望まれないが、身体への負担はまったくない。なんとかしてヘモグロビン値を少しでも上げたいのである。
 貧血は血液の赤血球の中にあるヘモグロビンという血色素が減少したために起こる。ヘモグロビンは身体の組織に酸素を運ぶなど、重要な役割を担っているため、減少するとさまざまな組織が酸欠状態になる。結果、「顔色が悪い」「全身倦怠感」「立ちくらみ」「胸痛」「動悸」「息切れ」などさまざまな症状を起こす。エリスロポエチンを打てば良いのは分かっているが、値が高いのと腎性貧血の場合、ヘモグロビン値が30あれば治療は必要ないとされる。
 もっかの夢は500メートル歩くことと自転車に乗られるようになること。

追記
 血液の酸素運搬能の増加により持久力を増強させることを目的としたエリスロポイエチンによる血液ドーピングはツール・ド・フランスにおいて多用された。もっとも、最近では機械ドーピングになったようだが、モーターアシストと記述すべきである。ちなみに、人力自転車で出した世界記録は時速296キロ。最高速チャレンジの聖地ボンネビル・スピードウェイでアメリカ人女性デニス・ミューラー=コレネクさんによって達成された。時速333キロとの記録もあるが、こちらはロケットエンジン付きなので問題外。

蕎麦の実の浅漬け〈2003年11月06日〉一考  

 蕎麦の実の外皮を取り去った(丸抜き)ものを蕎麦米といいます。徳島、愛媛、山形では干した大根の葉や生姜、椎茸、牛蒡などとともに雑炊にしていただきます。三好郡の祖谷地方や美馬郡あたりの山村の蕎麦米は特に知られています。また新潟や山形の一部では蕎麦米の浅漬けが酒の肴として食されます。江戸期の蕎麦百珍にもそのレシピが書かれ、蕎麦通には馴染みの食べ物です。
 ところが東京へ来て以来、蕎麦屋で蕎麦の実の浅漬けに出会ったことがございません。そして検索をかけて驚いたのですが、ネット上に浅漬けの記述がないのです。どうやら東京の蕎麦好きにとって興味の対象は蕎麦切りであって、懐石としての蕎麦はうっちゃられているようです。もとを正せば、蕎麦が名をなしたのは懐石料理で採り上げられたからなのです。もう少し料理人が差配する蕎麦懐石にも目を向けていただきたいものです。
 さて、その蕎麦米の浅漬けのもっとも簡単な作り方を書いておきます。所要時間は二時間以内、末尾に購入先も記載しておきます。

 一 しかるべき量の蕎麦米を一時間ほど水に晒した後、水切り。
 二 白出汁に酒と微量の酢と塩を加え煮立てます。そこへ蕎麦米を入れて七分から十分とろ火で炊き、再度水切り。
 注意事項
 白出汁はインスタントの出しの素で結構ですが、その場合は塩は不要です。
 酒は全量の五分の一から四分の一ぐらい。間違っても吟醸酒は用いないように。
 酢は水四合にティースプーン一杯といった感じ。
 蕎麦の実が水を吸って三倍ぐらいに膨らみますので、だし汁は潤沢に用意してください。
 三 冷ました蕎麦米を密閉容器に入れ、三分の二ぐらいまで浅漬けの素を入れます。そうするとあら不思議、三十分で出来上がりです。

 蕎麦好きにはそのプチプチ感が堪らないのですが、にべもない香味であるのも事実、カタルシスからはほど遠いと思われる向きには鷹の爪の微塵切りを一緒に漬け込むのをお薦めします。ただし、微量にしてください。

追記
 上記文章が契機になって外山時男さんと知り合った。八重洲で三日月との蕎麦屋を営む風変わりな御仁だった。彼との蕎麦談義は抱腹絶倒ものだったが、そちらは掲示板を読まれたい。今回、「蕎麦の実の浅漬け」を再録したのは日高さんが食したいと所望されたからである。日持ちしないので、日時を決めて作る予定。

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