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一考 | 山本六三さんのことなど

 ムーンさんへ

 かつて「神様も大あくび」を書肆山田より上梓して頂いた時、画家の武内さんの絵に大泉さんが難色を示されました。それを強引に説き伏せたのには訳があったのです。西区、当時の垂水区の枝吉に住んでいた頃、毎度のことなのですが、喰うや喰わずの生活で、2~3日の絶食は頻繁。体重も50キロを割り込んでいました。ある日、武内さんが奥さん共々自転車で見えられたのですが、玄関まで這っていく体力すら残されておらず。慌てた武内さんは私の体をいたわるようにさすり、その間に奥さんが米を取りに自宅へ疾走。冷蔵庫には梅干しの一片すら無く、塩を振り掛けて馳走になりました。一食の恩義を返す必要が私にはあったのです。
 「生ゴミを喰って育った」とは種村さんがよく口にされる言葉ですが、私の場合も似たり寄ったりでした。近所の雑貨屋さんが届けてくださる変質したペットフード(犬用は美味でしたが猫用はまずかった)、近所のパン屋さんが届けてくださるパンの耳、近所の米屋さんが届けてくださる破砕米に賞味期限の切れた味噌、またてんかすとキャベツの炒めものだけで半年を暮らしたこと等、振り返るに、十代の頃懐石料理で賞を頂いた料理人の食生活ではなったなあ、と自責の念。ちなみに、それらご好意にお応えして、チラシやパンフのキャッチ・コピーは多量に著しました。
 出版で生じた赤字とは申せ、1億を超える借金はさすがに重圧でした。睡眠時間を一日3時間に切り詰め、がむしゃらに働きました。土方で作業中、空腹と疲労で幾度となく失神、その度に頭から水をぶっかけられました。60キロのプロパンガスのボンベの配送で生じた掌の傷は消えるのに5年掛かりました。一考が土方をしているとの噂が東京で広まっているんだがとの電話が再三御座いましたが、すべては事実だったのです。でも、好きで始めた出版ですから常に平静を装いました。須永さんの「なりふり構うべし」を日々反芻していたのです。
 明石の来住さんも大変らしく、綻びを繕うために古着を融通し合っています。ですぺらを始めて困ったのは、お客さんから靴ぐらい履けよと注意されたことです。靴下の購入費がないのによく言うよねえ。早速明石の山内さんが近所をかけずり回り、中古の靴下が30足ほど送られてきました。それをきっかけにパンツでも構わないかとの一言。今では下履きも中古を融通してもらっています。それでも、今回上京してからはいささか裕福になり、衣食併せて月3万円で梅子さんと暮らしています。この2年の間に梅子さんは1万円のへそくりを作りました。大したものでしょう、私ごとのように喜んでいます。
 「人類よ消滅しよう」とか「自殺の薦め」のようなエッセイを多く書き綴ってきました。「不退転の意気込み」で生き延びるなど、とても人に奨められるものではないからです。先日、柿沼さんとの間で某有名女優のその後を語り合いました。山谷で30歳の生涯を終えたのですが、浮浪者の前での排泄行為を生業にしていたのです。おしっこやうんこを捻り出すことによって僅かな金数を得る。釜ガ崎には私が親しくする文筆家も幾人か居ますので、この話はよく判ります。そういった生活に堪えられる覚悟がなければ、志を持ち続けることは出来ないのでしょうね。「後方見聞録」の解説にも書きましたが、本当にみなさん貧乏でした。一箇の電球すら買えない生活だったのですから。
 かような「なりふりを構わない」身も蓋もない話を綴ったのは他でもない。このところ山本六三の名が掲示板に二度も乗ったからです。
 山本六三、私にとっては六さん。我が師にして我が友。そして私に倍する赤貧と困窮に立ち向かい、闘って来た思想家にして画家。思索の体現化というよりは思想そのものを一つのスタイルにまで昇華せしめた男。迷いや逡巡、要するに一切の躊躇いを断じて人前に出さず、誤解を懼れず、人を嘲笑し、地上を呪い続けて来た男。宝玉を拾い歩くごとく、悪意を蒐集する韜晦家。過去知り得た唯一人のアナーキスト。
 六さんと私との間に共通項があるとすれば、それは「女性の厚志に甘んじて露命を繋ぐ」との一点のみ。六さんの過激さ、矯激さを学ぶのは最大の試練でした。何故ならそれは添い従うのではなく、事も無げに勝手に学べとの厳格な条件が付されていたからです。精神そのものに対する禁欲を六さんは私の体躯に刻み込みました。修道僧のような生活の中で、詰めてはならない人と人との距離、要するに存在することの失意と絶望を彼は私に身をもって教えたのです。
 その六さんが危篤だとか、六さんが逝った時は必ず教えてください。私が彼を送る場所は地上に一箇所しかありません。それは北海道の美国の西端、かつて吉田一穂が佇んで海を眺めたという断崖絶壁。虚無に捧げる供物にと、名もない一輪の雑草を海に流しましょう。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月02日 05:23 | 固定ページリンク





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