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一考 | 離散について

 十代に多くの友を喪った。不良と文学青年がシノニムで、とんでもない捨て鉢な日々を送っていた。しこたま酒をかっくらい、ヤクザに因縁をつけては派手な殴り合いを演じていた。自殺に失敗し、頼むから殺してくれというような身勝手な因縁であった。みんな蒼ざめた末期の眼で友を見据えていた。当然、仲間内での諍いも絶えなかった。友が友としての用をなさない、そんな救いのない状況下で自殺率ばかりが高まっていった。個々の死について、今なお書く気持ちにはならない。
 七九年一月十四日の友の死を境に、私の自殺の消滅時効が成立した。寂静と煩悩といった二項対立が過ぎ去り、有為転変、念念生滅が愉しみとなったかのようである。

 「盃が流れることがある。盃の下がわずかに濡れていて机の表面とのあいだに薄い層ができ、不意についと流れる。
 ひとりでお酒を飲んでいるとき、私は傍らに本を置いていて、それを読みながら、ということがある。本のほうに気を取られていて、盃へ延ばす手がおろそかになっているころ、盃がついと流れる。ほっておく気か、とすねているようだ。私はあわてて、徳利から酒を注ぎ、盃を口に運ぶ」

 誰の文章かは書かない、書きたくないのである。ただ、おきさんの書き込みを読んで、七九年一月の祇園の焼鳥屋を想い起こした。盃と机とのわずかな別れ、盃の毫かな流れにふたりしてなにを思い、なにを感じたのか。あれは友と見た世界離散の場だったのかもしれない。もとより、過去は懐旧の対象ではない、過去は自身の立ち位置を明らかにするための道標でしかない。「明らかにする」ところが要点であって、立ち位置や道標はなんでもよくどうでもよい。そして過去が「やけっぱちな識別子」であったとするなら、おそらく、私は納得する。「七十人訳聖書」を生んだディアスポラの呼称を頂戴したことに感謝しつつ。



投稿者: 一考    日時: 2006年07月12日 00:44 | 固定ページリンク





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