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高遠弘美 | 蛇屋

 伊藤さんからは「相聞歌」と冷やかされたこともあり、また、先日のオフ会では「書きすぎ」を指摘されたりもしたので、しばらく書き込みはやめようと思つてゐたのですが、「蛇屋」となると、書かざるを得ません。管理人さんからは「そろそろペンネームにしたはうがいいですよ」とご親切にも言はれたのですけれど、どうも匿名といふのは性にあはなくて。
 向後、あまり書き込みはしないといふことでこの名前での書き込みをお許し頂けたらと思ひます。
 むかし、生家の、通りの向かひ側の真ん前が蛇屋でした。信州は上田といふ田舎町でのことです。たしか「まむしや」といふ屋号だつたやうな気がします。ここは民間漢方の店といふよりは、まさに蛇屋で、網といふか檻といふか、ともかく金網の向かうに何十匹かわからない蛇たちがごによごによからみあつてゐました。私たち兄弟は可愛がられてゐて、学校から帰つてくると、「ひろみちやーん」などと呼ばれ、「はい、あげるね」などといはれて「孫太郎虫」やら「ざざむし」やら、時にはとぐろをまいた縞蛇をそのまま黒こげにしたのを、かき氷を作る器械にかけてじやりじやりと擂つた黒い粉などを貰つてゐました。たまには生きた蛇を渡されたりしましたが、兄は首に巻いてにこにこしてゐたものです。私はさすがにそれはできませんでしたが、蛇のあのてらつとした感触はいまだに覚えています。35年前に他界した私の亡母は蛇が大嫌ひで、あるとき、昔のことですから、下水がラフにつながつてゐたせゐでせうか、セメントでできた「流し」の排水溝からにゅつと蛇が顔を出したことがあつて、母は「ぎやつ」と叫んで卒倒。それほど蛇嫌ひの母なのに、もらつた小遣ひで、デパートでゴム製の蛇を買ひ、毎日着物を着てゐた母の箪笥に入れたことがありました。箪笥は二階にあり、朝、二階で母の絶叫が聞こえ、数秒後「ヒロミ!」といふ、ここはゴチックにしたいほどの大声が聞こえました。あとはご推察のとほり、こつぴどく叱られ、しばらくおやつもお小遣ひももらへませんでした。あのとき、母は、どうしてこんな子供を産んでしまつたのだらうとひどく、恐らくは心から後悔してゐたにちがひありません。その絶望を明るい希望に変へる間もなく、母は死んでしまつたのですから、私はすでにそのときからPARRICIDEたる宿命を負はされてゐたのかもしれません。

追記
外山さんのお蕎麦のお店、とつても素敵で美味しいお店です。おすすめ!クロワッサンを頼りに検索するとわかります。東京八重洲。

追記2 
某社から頼まれた賃仕事を手伝つてくださつたIさん。どうもご苦労様でした。お名前も伺はず、お話もほとんどしませんでしたが、ご協力に感謝いたします。バオバブはどこかにきつとうゑませう。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年07月29日 00:49 | 固定ページリンク





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