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一考 | 記憶

 K・Iさんへ
 こちらでご返事させていただきます。
 72年の人魚館でのタロット展では辛島宜夫さんは占いのデモンストレーションをしていません。ただし、池袋パルコの方は私は知りません。彼は最初は絵描きさんで、その後占い師になり作曲家にもなりました。当時はみなさん喰うためになんでもしていました。
 ところで、辛島さんが1974年9月に「・・・三年前、わたくしがタロット・カードの実占をする機会を得たのは、池袋パルコと荻窪の人魚館画廊で併催された、日本で最初のタロット展の催事中のささやかなデモンストレーションでありました。この企画は、種村季弘氏の監修によって覆刻された薔薇十字のタロット・カード二十二枚(スタジオTUM作製)の発売を記念するためになされた催しでありましたが・・・」と著していらっしゃるのですから、それはそれでよろしいではありませんか。文章通りだとタロット展は71年ということになりそうですが、真実というようなものはどこにもないのです。わずか三年でひとの記憶は狂っていきます。記憶は改竄され、歴史は都合よくもしくは都合悪しく歪められていきます。いわんや、辛島さんは数年前に自死なさいました。辛島さんの仰言るとおりで、岡田さんにも私にもなんの不都合もございません。 過日、掲示板で触れた荻窪の飲み屋の屋号がカタカナの「ジュニア」であり、店主であると同時に深夜叢書社の大家でもあった方の名が林田さんだったと思い出しましたが、そのようなこともどうでもよいのです。ただ当時、瀧口さん、窪田さん、中井さん、種村さん、三枝さんたちと荻窪で飲み歩いた一刻一刻がかけがえのないものであり、きらきら輝く黄金の日々であったという、そのことだけが記憶の片隅に刻まれているのです。
 他にご指摘の項目も同様、眼に見える世界を踏破して眼に見えない世界の住人になってしまったひとびとにとって時系列はどうでもよろしいのであって、貴方がなにをどう書かれたところで眉をひそめるような小心者は私のまわりにはひとりもいないと断言しておきます。



投稿者: 一考    日時: 2005年06月30日 01:48 | 固定ページリンク





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