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一考 | ふたたび

 橋本真理さんの詩集「幽明婚」(深夜叢書社1974年1月16日発行)は前述した「長帽子」の16号から32号へ掲げられた詩篇を中心に編まれた。その二年前に評論集「黄昏の系譜」(深夜叢書社1972年3月15日発行)が、四年後には「螺旋と沈黙」(大和書房1978年6月20日発行)が上梓されている。
 当時のわたしは上京のたびに荻窪南口商店街のミニヨンにあった人魚館へ行き、それから南口仲通りの路地を這入った鳥よし、西口のすずらん通りの左側にあった「じゅにあ」(屋号は漢字だったと記憶するが、思い出せない)で酔いつぶれるのを常とした。「じゅにあ」は現在のわたしぐらいの年格好の夫婦が営む酒場で、二階をわれわれのために解放区として提供してくれていたのである。店主は占いを得意とし、荻窪界隈に住む作家や編集者の溜まり場で、深夜叢書社を営む斎藤慎爾さんも入浸っていた。その斎藤さんの紹介で橋本真理さんと知り合った。飲んだくれて二階で雑魚寝になったことも何度かあった。
 とにもかくにも橋本さんは早熟なひとで、三橋敏雄論(上記二著に未収録)などはこのような俳句の読み方があるのかと驚かされたものである。橋本さんはわたしよりひとつ年下だったが、当時すでに仰ぎ見るような存在で、多田智満子さんと共にもっとも尊敬する閨秀(多田さんは閨秀ということばを嫌悪した)詩人だった。情念を重んじ非論理的な文言は赦さず、「賞なしコネなしやる気なしで作家を気取る」輩が迷い込んできたときは弾劾する、謂わばこわもての看板娘のようなもので、一目も二目も置かざるを得ない逸材であり、天才少女だった。
 その橋本さんの消息が80年代になって途絶えてしまった、表現を中断してしまったのである。中断に到った事情に興味はなく、その理由を問うつもりもない。「ほんのすこし 土に帰れる場所があったので わたしは咲いた・・・のけぞるように わたしは咲いた」それだけで十分である。「ほんのすこし」で結構、もう一度咲いてほしいと願う。「星のない空を見上げ」てほしいと思う。「継続はチカラなり」という、その継続の危険性、継続への懐疑をこそ唄ってほしいと冀求する。
 表現ならばなおさら、ひとっことを続けるのは難しい、なぜなら継続はひとに権威や権力をしか齎さないから。自らの権威を恫喝するのはむずかしい、なぜなら不確実性や懐疑のなかでのらりくらり生きるのは不安との道行きにしかならないから。権威を捨てるのは才能の拒否、権威を捨てるのは実績の否定、権威を捨てるのは賓辞の投擲、権威を捨てるのは肩書きの固辞、権威を捨てるのはおまんまの食い上げ。でもその権威の彼方にのけぞりかえる曼珠沙華、「定まらない揺蕩う残照」のなかにしか思想はない。



投稿者: 一考    日時: 2005年03月23日 00:54 | 固定ページリンク





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