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一考 | 理念はいずこ

 郵政民営化における最大の問題点は郵貯資金をハイリスク、ハイリターンの金融市場に放出すること、いまひとつは、このままでは値上がりが見込まれない不動産の売買や高層ビル建設に使う、の二点でなかったろうか。とりわけ、後者には不透明感が付きまとう。高年齢化と人口減少に伴う低成長社会にあって、新たな社会的基盤の整備に金を使う。それは経済の閉塞感を打ち破るための苦肉の策であり、言い換えれば、ミニバブルを意図して起こさせるための新手の手法でなかったか。国債の金利が一パーセント上がれば消費税を一パーセント上げるのに相応する。しかし、そのためには数十兆円の財政投融資が必要になる。さればこそ、赤字国債を増やさずに経済の活性化をはかるにはどうすればよいのか。しかも、資金の直接利用ではなく間接利用によってである。経済官僚の視線が郵貯の有効利用の一点に集まったのは、蓋し当然であった。
 「官から民へ」の掛け声のもと、足並みは揃った。しかし、民間銀行による無節操な融資と不動産会社による無鉄砲な海外投資が巨大な不良債権をもたらしたのではなかったか。郵貯資金の放出によって、せっかく減らした不良債権が増えないとの保証がどこかにあるのだろうか。与野党共に、市場競争に郵貯を委ねる、さらには市場競争に国益を委ねることの是非を問う論議がなされなかったのはなぜなのか。さらに、郵政民営化に必要欠くべからざる金の「出口」の規制にかんする法律論議をどうしてしないのか。完全民営化までのあいだ、一握りの官僚や政治家に私物化されないように、頑丈かつフレキシブルな郵貯の蛇口を拵えるのが立法府の役目ではないのか。にもかかわらず、過疎地の郵便局の存否や小口預金利用者の利便性などに問題が際限なく矮小化されていったのはなぜなのか。この論点のすり替えを考案した黒幕はだれなのか。
 郵便局の内部構造や職員の身分のことなど私にはどうでもよい。そして郵政は民営化されなければならない。ただ、無法状態での民営化によって郵貯はいずれを彷徨うのか、それを知りたいのである。

 来週中にも造反議員とその支持者たちの自民党からの除名がはじまる。それと平行して、国民新党、新党大地、そして郵政造反組十余名による「新・新党」構想が進んでいる。綿貫民輔、野呂田芳成、亀井静香、堀内光雄、平沼赳夫、滝 実、亀井久興、荒井広幸、野田聖子、鈴木宗男、田村秀昭、長谷川憲正など大物ばかりである。私怨と慢心の交差点に咲く徒花であれば、早晩小沢一郎に飲み込まれてゆく。
 一方、民主党では派閥抗争が続いている。前原誠司の他に民主党代表を狙って菅直人が手を挙げている。現状で、菅直人が代表になれば間違いなく民主党は自壊する。共産党や社民党は論外として、政策立案能力のディメンションが自民党と変わらないのであれば、民主党の存在理由はなにもない。一つ穴の狢ではどうにもならないではないか。しがらみや既得権がものを言ってなかなか物事が決まらない間接民主主義のまどろっこしさに、小泉純一郎はひとつの解決法を試みた。民主党の代表に求められているのはそうした発想の転換であり、大胆さである。政権交代可能な二大政党制をめざすのであれば、菅直人を窓際へ追いやるぐらいのエネルギーがなければならない。生臭さと勘の悪さは政治家に鬼門である。(敬称略)

 太田さんへ
 掲示板をお読みだとか、恐縮です。二日ほどサーバーが落ちていたようです、悪しからず。頭の文章は民主党への叱咤激励であり、私を含めた「IQの低い層」への警鐘です。ですぺら通信へ載せたのですが、あなたにお読みいただきたいので、若干手を加えてこちらへ転載します。
 マッチョの街明石と異なり、東京は右を向いても左をみても知識人ばかり、権力者に対してポジティブな評価をすることは、自分の知性を下げるとでも言わんばかりのインテリ評論家のオンパレードで当惑させられています。「具体的なことは何も分からないけれど小泉首相のキャラクターやリーダーシップを盲目的に支持するIQの低い層」のみなさんが世の中を動かしているのですがねえ。IQの低さにおいては私も人後に落ちっぱなし、だれかさんの唱える「草の芽保守」を逆手に取っているつもりなのですが。
 前原誠司さんが「民主党を闘う集団に作り替えてゆく、その一言のみ」と夕方の記者会見で述べていました。戦争中の隣組のような勇ましいお言葉なのですが、鬼畜米英ではあるまいし、なにとどう闘うのか、詳細はこれから思案なさるらしい。マニフェスト同様、抽象的思索が民主党は不得意のようです。私は「具体的なことは何も分からない」のですが、抽象と聞いただけで下腹部がもぞもぞ致します。
 「ポジティブな評価」と書きましたが、私も自民党に対して先入観は持っています。それも著しく悪しき先入観です。しかし、小泉純一郎というひとは、自民党の小泉でなく、かと言って小泉の自民党でもなさそうです。とりあえず、小泉ありきとでも申しておきましょう。そして、この「とりあえず」に奇妙な引っかかりを覚えるのです。「奇妙な引っかかり」とは党人を超えた個を強く感じさせる部分なのです。個を論じるに一切の先入観は無用です。彼の出処進退を振り返るに、ひとの存在が新陳代謝であり、理念の大略は過度的なものだとの思いが伺えます。言い換えれば、利己主義、享楽主義、無気力などとアクティブに向き合おうとする姿勢が垣間見られるのです。政治家相手に用いる文言ではないのですが、ある種のニヒリズムが漂っていそうな、そんな感じがしてならないのです。その一点だけでも、あなたとなら朝まで激論になることは請合い、もっか互いに困窮しておりますが、それも新陳代謝、過度的なものでございます。大酒を呑める日を楽しみに致しております。



投稿者: 一考    日時: 2005年09月16日 00:39 | 固定ページリンク





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