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一考 | 珍獣

 「ブルトンに倣えば」であって、シェイクスピアがシュルレアリストだとは私も思っておりません。ただ、そのような見方もできるかとの思いつきです。従って、貴兄に誤解を余儀なくさせるような書き込みだったとしたら申し訳なく思います。それと、わが国にあって「異端」とか「幻想」は商売上のコピーであって、厳密な定義づけは一度もなされていないと思っています。

 ひどい困窮生活が続くものですから、平成元年からこちら本を買ったことがございません。ひとさまが恵んでくださる本だけを読み継いでいます。そこで妙な変化に気付いたのです。どれそれが好きでどれそれが嫌い、もしくはどれそれが面白くてどれそれが面白くないといった好悪、要するに二項対立的なものの考え方がいつのまにか払拭されてしまったのです。
 取って代わって浮上してきたのが、いかに読み解くかとの作法です。その作法が目線の移動であれ、アプローチの多様さであれ、何でもよいのですが、読書の方法論のようなものが大きく変化したのです。方法論は当然思惟の一種ですが、やがて同一律や矛盾律といった原理すらが消え去っていきました。
 整合性がないならないでどこが問題になるのか。もともとひとの存在それ自体が撞着を内包しています、だとすればつじつまを合わせる必要がどこにあるのか。またそれを包括的に弁証法的に統一しなければならない理由がどこにあるのか。貴兄がお書きのように、歳とともに興味を抱く書物が変わるように食べ物も変わります。さればさまざまな書物を水平に並べてみるのも一興ではないか。さらには自らのものの考え方から境界や帰属をなくす、さらに進んで意識作用における識閾すらを動かしてみたい、と思うようになったのです。
 貧困はひとの姿形、資性、思索に大きな影響を与え続けます。ただ、それは私にとって決して不愉快なものでなく、どちらかといえば心地よさすら感じさせるものになりました。マルクスがプルードンの著作に対する「哲学の貧困」ではなく、偏に貧しさゆえの「哲学の貧困」です。そのような珍獣が一匹ぐらいいてもよかろうと思っているのです。



投稿者: 一考    日時: 2006年12月17日 00:02 | 固定ページリンク





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