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一考 | 「夢と真実」について

 小野塚力さんから「〈視〉への執着」と題する富ノ澤麟太郎論が送られてきた。四十四枚の労作であり、彼によれば二年のあいだ書き継いできたという。
 着想が結構、論点も整理されていて起承転結がきわやかに著されている。ただし、富ノ澤麟太郎に対する中井繁一の交誼を結句に持ってきたところにいささかの難点がある。これでは文学ではなく、書誌学的趣が強くなってしまう。
 ひとには死が宿命づけられている。従って、人生は一種のカウントダウン、それがメトロノームであれ振り子であれ時計のセコンドであれ、それらが刻む音を翻訳する、その自傷行為のみが文学ではなかったか。
 「彼は恍惚として、セコンドの刻み、靴音、ノツク、雫、月光の波、星の閃き、見えないものの足どりに聞き耽つた」富ノ澤のなかで高まる〈死〉への予感を力さんは全身で受け止めようとする。だからこそ、結句を伏線へ持ってゆき、富ノ澤の文学そのもの、あえぎをうめきを呻吟を主題にしていただきたい。もう半年間、富ノ澤のために時間を費やしていただきたい。間違いなく力さんの搏動に色彩られた傑作が誕生する。
 最近では文芸書すらが立派な実用書に化けたという。文芸書は知識を振り回し、薀蓄を傾け合うための道具に過ぎない。書物から得た知識がひととの回路の接続端子になり、知識は永久に知識の世界に封じ込められる。クイズ番組の達人のようなひとが跳梁跋扈し、考える能力は打ち捨てられて久しい。かような浅薄な時代にあって、力さんのエッセイは清しい。これから立場は顛倒する。力さんの語る文学とはなにか、それを私が学ばねばならない。なにはともあれ、新たな友を得たことを喜びたい。



投稿者: 一考    日時: 2005年05月21日 00:36 | 固定ページリンク





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