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三橋敏雄さんに「顔押し当つる枕の中も銀河かな」という句がありますが、ここには文学の要諦が示唆されています。「枕の中が」であれば興は褪めます。「枕の中も」と閉じることによって、大宇宙の銀河と枕の中の銀河とが融合するのです。ここでは大きな銀河と小さな銀河とが、入れ子構造となって立ち顕われます。即ち、大と小の弁証法が十七文字に昇華されているのです。
との書込をしたのが10月11日。そして12月1日、胃ガンで三橋敏雄さんが死去、享年81歳。弟子筋にあたる中村裕さんが葬儀の後、わざわざ来店なさいました。
医師を厭がり痛みを堪えての晩年、入院わずか6日目の最期であったとか。点滴その他の管の挿入を潔しとせず、自分で引きちぎる有り様を伝え聞くに、死期を迎えた弧絶者の自らへの矯激なまでの弾劾に思いを致し申し述べることなし。苦痛に顔をゆがめながら「ですぺら」へ挨拶に行かなきゃあと幾度となく口にされたとか。そんなことを知っていたら、挨拶状なぞ誰が送るものですか。
貴方は俳壇一のダンディさん、それは私が最もよく了解していました。間違いなく、最期の一瞬までダンディに振る舞われたのですよね。
何時でしたっけ、貴方と二人きりで福原で朝まで飲み明かしました。西東三鬼が金も払わず登楼し、日本丸のパーサーだった貴方は航海中無駄金を一切遣わず貯金し、その金数を三鬼に代わって女郎屋に支払っていた。そんなことを貴方はどこにも書きはしなかった。三鬼の愛人だった愛々のお玉ちゃん、懐かしい名前です。ちっぽけな飲み屋の壁一面に張られた三鬼の色紙、三人で三鬼お得意の体位の話もしましたっけ。的屋や香具師を集めて昔話に花を咲かせましたね、終戦直後の話題ゆえ、私は頷くのみ、よこっちょでしんみり酒を呑んでいました。私は福原で生まれて育ったのですが、貴方と連れだって歩くときはその福原が遠い異郷の地に思えました。小便臭い路次を右左に折れ曲がって傾いだドアを開ける、返ってくる声は決まって「まあ、お久しぶり、敏ぼん元気」。一緒に歩くと幾人もの博徒が挨拶します。私だって顔は広いのですが、とても貴方にはかないません。お玉ちゃんが亡くなって20年にもなりましょうか。今頃は雲の上で、否貴方のことだから海の底でなくては、三鬼とお玉ちゃんと三人で詰まらなかった地上の憶い出を肴に浴びるほど酒を呑んでいますよね。
1月の偲ぶ会には加藤郁乎さんと共に伺います。地上に残された僅かな時間、此岸では郁乎さんと私が浴びるほど酒を呑んでいます。
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