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一考 | 黒木書店-2

 「神戸の古本力」のなかで八木福次郎さんが棟方志功の板画のことを書いておられるが、あれが理由で酒浸りになったのではない。消息は梶原さんがよくご存じである。
 中島俊郎さんのアンケートを読んでいて思ったのだが、黒木書店の勘定は常にある時払いだったし、催促など一度もされたことがない。先日「中学生だった私を相手に、黒木さんは本読みの楽しみと愁いを、過不足なく教えて下さった。実に、私は黒木さんの謀に乗せられて書物の世界に迷い込んだのである」と書いたが、通いはじめて数箇月での特別待遇だった。それは俳文堂も同じで、読みたい本があれば構わないから持って行きなさいとまで言われた。
 それでは気が済まないので、一年に一回、風呂敷を片手に拙宅へ来ていただくのだが、ダンボール函にして四つか五つ分の本を首に掛けて一挙に持ち帰られる。手伝いますと言うのだが、親父は引き下がらない。あの小さな身体のどこにかような力が秘められているのかといぶかしく思われた。
 黒木書店と俳文堂に次いで、私を客として認めてくださったのは浪速書林だった。当時の浪速書林には番頭がいて、私が行くたびに「またあの変な坊主が来た」と小声で喋っているのが聞こえた。ただ、買う量が半端でなかったからか、こちらも数箇月で店主から声を掛けられた。「花柳小説など坊主の読む本ではないんだがなあ」と言いつつも、梶原さんが私に紹介してくださったのは谷沢永一さんだった。梶原さんは黒木さんと同じことを今でも言う。「こちらから声を掛けたのは谷沢と一考だけだ」と。
 こちらが中学生だったこともあるのだが、他の書店では到底相手にすらしてもらえなかった。古書店はどこでも、店主が座る後方に高価な書冊が置かれているのだが、それを見せてくださいというと無視されるか、理由も述べずに追い出されるかだった。従って、上記以外の神戸の古本屋には悪印象しか持っていない。それほどに、悔しかったのである。後年、掌を返すように態度が変わったが、時すでに遅く、私は東京の古本屋と親しく接わっていた。
 最後に、林哲夫さんが触れられている伊丹三樹彦さんの塚口の店に所在なげに座っていた黒木の息子のいまにも泣き出しそうな顔が忘れられない。



投稿者: 一考    日時: 2006年11月28日 23:50 | 固定ページリンク





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