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一考 | 沙の上のラブレター

 Y・Nさんがミニヨンの現ママとともに来店。荻窪界隈の飲み屋のはなしで盛りあがり、夜明けまで酒を酌みかわした。想い起こすに、西明石以来の徹宵痛飲でなかったか。Y・Nとの置酒閑語を私はこよなく愛している。酒の肴としての晤語ではなく、逆に酒が一語一語のつまみになる。酒と喋りとの主客顛倒はたがいに気が置けない仲に限られる。厚情や好意のあるところには遠慮がつきものである。こころから打ち解けあうには悪意や嘲笑のような薬味が必要になる。この場合の悪意は惑いであって、嘲笑は呻吟でもあろうか。踏み惑い、思ひ漂ふ風情のなかでしか気心は通じないものである。
 駄洒落の達人であるY・Nの行くところには笑いが絶えない。言い換えれば、人生の真面目を洒落のめして生きている。荻窪駅の西側の南口に神谷バーがある。萩原朔太郎が「一人にて酒をのみ居れる憐れなる となりの男になにを思ふらん」と詠んだバーである。行きゆけの「吟雪」は微睡みのなかだが、こちらは午前中からの営業であって、徹夜明けにしばしばおもむいた。ある日、Y・Nと出掛けたのだが、暖簾をくぐるなり「掃きだめに鶴ね」とひとこと。鶴はみづからの言葉に拘泥わらない。数分後には鮪のスジトロをほおばりながら冷や酒を聞こし召している。そういったY・Nの反応を見るのが楽しくて、ライオン丸こと私はアナザー軒を繰り返す。
 頭の回転のにぶいひとに駄洒落はとばせない。洒落は俳諧でいう滑稽である。一語が音通などによって二義もしくは多義をあらわす懸詞や地口とおなじ性質のものであって、詭弁、曲解、皮肉などを内包する。洒落が洒落であるためには、知性や思考回路の洗練さが要求されるとともに、そのよき理解者たる相方を必要とする。金魚同様に、ひとの手を離れては存在がかなわない、著しく人工的なものなのである。
 種村さんから言われ続けた「馬鹿」、横須賀さんから言われつづけた「分かっちゃないね」と同様に、普段私が口にする文言の多くはY・Nから得たものである。「ソノヒグラシはカネカネと鳴く」「売るのは媚、買うのは顰蹙」等々である。なにを隠そう、実は私はのっけからY・Nを師とさだめているのである。ああ言えばこういう、こう言えばああいう、そうした屁理屈こそが目線の移動であり、価値観の顛倒の原資ともなる。駄洒落が自らのガードの硬さや気取りを取り払うように、屁理屈はアプローチの多様さをもたらす。ひとが刺戟を受け、触発をうけるのはそのような言葉のゲームからであって、劇場でもなければ、美術館でも博物館でもない。

 当時、茫然と行き迷っていた処をY・Nは掬いあげてくださった。その掬いあげた小さなスペースをY・Nは金魚鉢と名付けた。飼い主たるY・Nの存在は私にとって「渡し場にしゃがむ女」のそれであり、取り留めのない語らいは吹き迷う野風となった。Y・Nに促されて私はものごとを少しは複雑に考えられるようになった。ここでいう複雑とは不規則な変動であり、「風の息」と解釈していただきたい。人生は茶子味梅のようなものであって、唐土の妻は生み落された不幸である。曾根崎心中にいう「死なず甲斐な目に逢うて」以上でなければ以下でもない。だからこそ、生み落ちてしまった淋しさとの逢瀬が、自分自身の呼吸を取り戻す数寡ない背景となり、羊膜液となる。なにをどう述べてみたところで、ものを著すとはメトニミックすなわち換喩であり、重語法そのものである。実体や本質を否定し、言葉の意味内容の表層を滑空する術を私は金魚鉢で学んだ。荻窪の一隅にしつらえられた金魚鉢で、私は「著す」との夢裡を生活したのである。
 慨然として大に感寤すると申せばお分かりいただけようか。Y・Nは筆舌に尽しがたい存在となった。さればこそ、ウミネコから恋する悪意に至るまで、当掲示板への書き込みにはY・Nさんがいたるところに立ち顕われる。蔓草のように縺れあって解けない仲であってほしいと願う。最後に「生きていてよかったね」と言い合えるような、そんな徹宵痛飲の機を鶴首している。



投稿者: 一考    日時: 2006年03月03日 22:30 | 固定ページリンク





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