ですぺら
ですぺら掲示板1.0
1.0





« 前の記事「沙の上のラブレター」 | | 次の記事「タルホの未収録作品」 »

一考 | 飯を喰う自由

 周さんへ
 いつか忘れましたが、当掲示板で東西の酒の文化の違いについて書きました。西洋の酒は料理に合わせてあとから造られたもの、わが国のそれはまず御神酒(おみき)ありきで、決して食に従するものではない。言い換えれば、西洋の酒は存在する前に本質、すなわち概念設計がなされてい、一方、日本酒は実存が本質に先立つと、そのようなことを書きました。実存が本質に先立てばこそ、下手な用途に縛られることもなく、月見で一杯、花見で一杯といった情趣が可能になります。そして、そのような風習は西洋には見受けられないと聞いています。
 一昨日のトラブルは酒を飲んでいる最中に飯を食することがいいのか悪いのかという点に起因します。外国であれば、食事をしながら酒を飲むのに、なんの問題も生じません、食と酒は主従関係にあるのですから。しかし、わが国では酒の肴は塩、せいぜいがお新香まで、との御神酒に対する信仰のようなものがいまなお大手を振ってまかり通っているのです。

 先日ご登場いただいたY・Nさんと知り合うまで、私は米粒を残したことがなかったのです。体調がすぐれず、盛られたご飯を前に苦痛すら覚えていたときに、Y・Nさんから「残せば」との一言。これは私にとって食べ物にかんして受けてきた教育や道徳の否定を意味します。家が花柳界だったものですから、料理屋では酒は飲まない、居酒屋では日本酒と香のもの、洋酒バーではハイボールのみ、料理人や板前やバーテンの腕を試すような品を注文してはいけない。また出されたものは残さない、残すことは美味い不味いの意思表示になり、そのような非礼は花柳界にあってはならない等々、同業者への気配りの数々を身体に叩き込まれて育ったのです。それら禁止事項がY・Nさんの一言で崩れ去りました。最初は途方に暮れていたのですが、Y・Nさんに倣い、徐々に食べる自由と残す自由、飲む自由と飲まない自由などを身につけていったのです。
 さらに一話。I・Kさんの初期句集「微句抄」の原稿を頂戴に上がったとき、新宿で丸二日の酒盛りになりました。やれいたざけや鬼ごのみを浴びるほど飲んだのですが、なにも食べていないので、胃液すら出てきません。捻じれる腹を両の手で押さえつけながらの空もどし、そんなときにベーコンとポテトの炒め物が目の前に登場したのです。「一考、おまえなにも喰っていなかったな」ところが、思わず差し出した箸は無惨にもI・Kさんの手によって払い落とされたのです。「男は酒を飲むときにこんなものを喰っちゃいかん、匂いだけでいいんだよ」

 さて、酒を飲んでいる最中に飯を食することがいいのか悪いのか私には分かりません。分からないというよりは、そんなことはどうでもよいのです。ただ、S・Mさんを見ていると、東アジアの「かび酒文化圏」と欧州の「麦芽酒文化圏」の差違についてエッセイを書きたくなるではありませんか。また、個々のひとたちの酒への接し方を知るに、そのひとの文化的先天性がうかがい知られて面白いのです。懐石や寿司に作法がないように、酒に飲み方なんぞあっては堪りません。それ故、酒はこう飲まねばならないと言うのは一種の権威づけなのです。そこには形振り、美学、こだわり、ダンディズムと言った根拠のない、不明瞭ないかがわしさが漂っています。かかるいかがわしさに寄る辺を求めるしかないひとは賛けを求めているのですから、黙ってお付き合いしてあげればよいではありませんか。
 あなたのように「奢ってもらっていないのだから言われる筋合いにない、私の勝手でしょ」と言うのは相手に喧嘩を売ることにしかなりません。この「おまえから言われる筋合いにない」との文言はしばしば聞かされる常套句なのですが、これほど浅薄かつ品のない言葉はないと私は思っています。また、無人島ならいざ知らず、都会に住んでいて「私の勝手」など、在立しようがないではありませんか。それよりも、相手の文言の理不尽を突き、言い負かすための算段をふだんから考えておくべきだと思います。況や、酒席で飯を喰うとのスキを与えてしまったところで、あなたは負けていました。酒席では水を飲むことすら憚られます。花柳界の人間は厠で隠れて水を飲むのです。どうあっても、食べなければならない生理状態にあれば、二十四時間営業の丼屋がすぐ根際にあったではないですか。
 遊びの本意は抗いではなく、知らぬ間に自分の領域に相手を引きずり込むことにあるのです。そのためには元手をかけなければならないのです。相手から指摘される前にその上前ををはねるようなダンディ振りを発揮すればよいのです。そのような役者魂の権化、ぬえのような存在が金子國義さんではなかったのでしょうか。



投稿者: 一考    日時: 2006年03月10日 19:45 | 固定ページリンク





« 前の記事「沙の上のラブレター」 | | 次の記事「タルホの未収録作品」 »

ですぺら
トップへ
掲示板1.0
トップへ
掲示板2.0
トップへ


メール窓口
トップページへ戻る