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一考 | 小出昌洋さんの私家版

 小出昌洋さんは長く個人社(練馬区上石神井2-12-5-406)を続けていらっしゃる。森銑三さんの著作集未収録の作品の発掘を目的に拵えた出版社である。このほど個人社叢書別冊と題して森銑三さんの「最上徳内」が上梓された。「新島ものがたり」は印刷だったが、今回はワープロによるプリントアウト。萬里閣書房蔵版、昭和六年一月十日発行、世界探検全集第三巻日本篇所収の一文である。森銑三はその前年、昭和五年八月より「歴史地理」にて「最上徳内事蹟考」を執筆している。「最上徳内事蹟考」はのち「最上徳内」と改題のうえ「学芸史上の人々」へ、下って著作集第五巻へ収録されている。同「事蹟考」とは別に、新資料を基に読み物風に書くことを楽しまれたと思しい。徳内は蝦夷地の探検家であり、蝦夷地図を制し、蝦夷草紙を著した。シーボルトは徳内を通じて蝦夷地を研究したのである。本書では蝦夷地巡検地の一行の踏査の途が活写され、血湧き肉踊る読み物となっている。
 小出さんで忘れられないのは森銑三さんが亡くなられた際に上梓された「昌平黌勤皇譜」である。同書には没年と享年をのみ小出さんが埋めた森翁の自叙略伝が収められている。

 明治二十八年九月、三河刈り谷に生る。特に一事に習得するものなく、生計に疎にしばし免れざりしも、辛うじて読書作文の生活を続けて一生を送り得たる。また幸おほかりきとやいはむ。半百を過ぎて西鶴の研究に志し、新見解を立得たるもの一二あり。而して未だ広く認めらるゝに及ばず。冀くば後世の批判を俟たむ。昭和六十年三月七日逝く。享年八十九歳。

 西鶴作の草子は一代男の一作のみ、またその原形は七巻だとの独自の私見・解釈への強い執着がみられる。けだし、執着は固執や異執とは異なる。読書生活はひとに夢を、幻をもたらす。西鶴への惜愛の情が辿りついた果て、夢見の果てに立ち顕われた蜃気楼のなかに森銑三は遊んだのである。

 小出さんは桃源社から吉川弘文館へ移り、日本随筆大成を一人で編輯した碩徳の人。私も研文社時代にご一緒させていただいた。昨今は展望社にて杉本秀太郎、野溝七生子、矢野峰人などユニークな書冊を編輯、岩波文庫でも森銑三の著書を編輯、いろいろ活躍なさっている。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月26日 21:21 | 固定ページリンク





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