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一考 | 七十六歳の少年

 昨夜八時過ぎ、谷沢永一さんがですぺらへ来られた。十三年ぶりの邂逅である。最後に酒を酌み交わしたのは一九九三年十二月の末、梅田での浪速書林の忘年会の席だった。中井英夫の葬儀のすぐあとだったので、よく覚えている。席上、谷沢さんの弟子筋と鴎外、漱石のことで議論になり、詰問調になったところで谷沢さんから窘められた。ひとを咎めたり、きびしく問いつめるのは私の好むところではない。ただ、学者になる気など端からなく、教師であるために為方なく学者をやっているような大学人を許せないのである。
 文芸時評ないしは文芸評論では川端康成、小林秀雄、谷沢永一にとどめをさすと私は思っている。深夜を回って一時頃から話はいよいよ佳境に入り、開高健、向井敏、山野博史、冨山房百科文庫の完本茶話を編んだ浦西和彦等々について、夜明けまで談論風発して時の過ぎるのを忘れた。明治大正文学のはなしなど、店ではしたくともできない。欲求不満をはらすに絶好の機会だったと申せば、谷沢さんから叱られるであろうか。
 いままで私が会ったひとのなかで、読書家といえるのは五名しかいない。そのうちのお一人であり、過去二度ほど、仕事をご一緒させていただいた。谷澤さんと私の文脈は異なるものの、本好きの一点では共に人後に落ちない。なによりも、これが文学だなどという固着した観念を持たない。エッセイを著すにみづからの好悪をまず却ける。三段論法の名手であり、そのキャパシティの広さと柔軟さ、すなわち精神の若さには脱帽するしかない。文学史の書き換えに結びつかないエッセイなど書きたくもない、が谷澤さんの口癖である。ですぺらには若者が多いものの、年齢が若いだけでその実体は益体もない爺婆が大半である。爪の垢でも煎じて飲めと言いたくなる。

 フランスで学生のデモがCPEを撤回させたが、わが国では義務教育の教員までもが非常勤となり、ファーストフードや一部のビジネスホテルではアルバイトが店長を務めている。店長がつとまるひとをアルバイトで雇うのが搾取でなければなんなのか。企業も組織もこぞってリストラ狂想曲にうなされている。フランスにはアルバイトという雇用形態はない、終身雇用が当たり前である。そのフランスのようなシステム下で生じる二割の未就業もしくは失業者の比率を日本に当てはめると三割を軽く超える。自由を制限され、格差社会の下流でうごめきながら、怒りを抱かず、髪の毛を逆立てもしない。異質なものを排除する社会に反抗しないような脆弱なひとたちを若者というのであれば、そのような若者などくたばってしまえと思う。ポリティカルなものが即文学とはいえない、しかし、文学とは常にポリティカルな問題を内包している。自意識、他者、マイノリティとマジョリティ等々、いずれもがすぐれてポリティカルな事柄である。そんなはなしを谷澤さんと朝まで繰り返したのである。



投稿者: 一考    日時: 2006年04月11日 21:48 | 固定ページリンク





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