ですぺら
ですぺら掲示板1.0
1.0








 【掲示板1.0では、時系列順(旧→新)に記事を表示しています。】
←ひとつ前のページへ

高遠弘美 | お教へを頂ければ幸ひです

都様
掲示板拝読いたしました。
その道に昏い者にご教示を賜りたく、お願ひ申し上げます。
1.「ローマ教皇」に統一されたといふことでせうか。テレビではまだ「ローマ法王」と言つてゐたやうな気がするのですけれど。また、ジッドの小説Les Caves du Vaticanは定訳といふことで、「法王庁の抜け穴」のままでよろしいのですか?
2. 「枢機卿」には「すうきけい」「すうききやう」の二つの読み方があることは存じてをりましたが、大体いつ頃から、どこの指示で「すうききやう」に統一されたものか、およそのことでもご存じでしたらお教へ願へませんでせうか。手許の国語辞典では、日本国語大辞典では「すうきけい」の見出しのところに語義が書かれ、「すうききやう」の方は「すうきけい」を参照と書かれてをりました。また、小型の辞典、たとへば、新明解あたりですと、「すうきけい」の見出ししかありません。キリスト教関連の事柄に(も)疎いわたくしのやうな者の蒙を啓いて下さいますやうお願ひいたします。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年06月15日 16:29 | 固定ページリンク




松友 | 素人の辞書引き

如月様
御無沙汰しております。松友です。
御専門の御歴々がお見えになる掲示板です故、赤面ものですが手近の辞書を引いてみました。
研究社「新英和大辞典・第六版」によれば以下のようです。
---------------------------
Pre-Raphaelite:形容詞:ラファエル前の、ラファエル前派の
the Pre-Raphaelite Brotherhood:名詞:ラファエル前派、ラファエル前派の画家
Pre-Raphaelitism:名詞:ラファエル前派の主張した写実主義(運動)
          = Pre-Raphaelism
---------------------------
又、小学館「ロベール仏和大辞典・初版」と、三笠書房「最新フランス語大辞典・初版」によればこちらのようです。
  、    、
preraphaelisme:男性名詞:ラファエロ前派運動の
  、    、
preraphaelite:形容詞:ラファエル前派の
           :名詞:ラファエロ前派の画家
---------------------------
スペースが崩れないとよろしのですけれども。以上、御目汚しでした。



投稿者: 松友    日時: 2002年06月15日 16:51 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 如月さんへ
 矢川さんの「失われた庭」における「ポスト=プレ=ラファイエット」は94年2月に上梓された初版本からの誤植がそのまま「作品集成」(414、435頁)に持ち込まれたものです。ご指摘の通り、正しくは「ポスト=プレ=ラファエリット」になります。言い訳になりますが、私が校正をお手伝いしたのは詩歌の部分のみ、差別用語でかなり紛糾しましたのも懐かしい想い出です。それにしましても、実に細かいところまで丹念に読み込まれる貴方の姿勢に感服、矢川さんも佳い読者を得て本望かと・・・しかし脚注まで解読なさらないで下さい。

 高遠さんへ
 現在では「ローマ教皇」に統一と考える方が自然でしょう。ちなみに「シュオブ小説全集」でも教皇を用いました。59年にドン・ボスコ社から上梓された橋口倫介訳のドルメッソン著「教皇」あたりから一般化されたようです。
 ジッドの本邦初訳は大正12年の本間久雄訳「オスカア・ワイルド」でしたが、以降、昭和3年に上梓された石川淳訳から新庄嘉章や中島健蔵のエッセイに至るまで「法王庁の抜け穴」が用いられています。ご指摘の通り、そちらは定訳ということでよろしいのではないでしょうか。法王ですと仏としての法王や法皇を連想しますので、私は教皇の方が好みです。
 枢機卿は公卿(コウケイ)・六卿(リクケイ)等から「すうきけい」との読みになったのではないでしょうか。ただし、こちらは既刊書にルビがうたれていないので、いつ頃から変化したのかは分からないでしょう。日本国語大辞典と広辞苑は「すうきけい」ですが、百科事典の類は「すうききやう」で統一されているようです。林達夫公認の「すうききやう」ならそれはそれでよろしいのでは。ジッドかジイド同様、共に間違いではないのですから。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月16日 14:08 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ご教示ありがたうございました

一考様
お教へありがたく存じます。教皇でもちろんいいのですが(いましてゐる翻訳も「教皇」で通してゐます)、ジッドの題名のせゐでせうね、アヴィニョンの「教皇庁」の話をするときもたいてい「法王庁」と話すのが習慣のやうになつてゐたものですから。ところで、これはAtok14で変換してゐますが、「教皇庁」は最初の変換では出ないのに対して、「法王庁」は一度で出ました。枢機卿はどちらでも変換されました。何を基準にして変換辞書を作つてゐるのでせうね。
追記
櫻井さま
仰せのとほり、書き込みも閲覧も気易いすてきな掲示板です。管理ありがたうございます。先日、矢川さんについて、阿呆な者たちが書いている忌まはしいどこかの掲示板を見て、インターネットなどいらないとつい申しましたが、撤回いたします。失礼しました。これからもご活躍ください。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年06月16日 15:09 | 固定ページリンク




一考 | 紺青の野辺

 都さんへ
 百人の人がいれば百通りの人生があるように、人の死に接しての悲しみも百通りなのです。個々の悲しみの表現に深浅の違いはあっても、悲しみの質に軽重の差は御座いません。
 公的な場に参列するのがひとつの野辺であれば、ジャン・コクトーではありませんが、一人海にたたずんで見送るのも潔い別れではありませんか。かつて吉田一穂翁が亡くなられた時、私は葬儀にも参列しておりません。没後十五年を経てやっと吉田一穂の生地古平を訪れました。古平の隣町の美国の断崖の下の番屋、一穂の詩で詠われた紺青の海とはじめて対座したのは88年のことでした。それから四度、計五度、私は積丹の海を訪れています。今なお、私の心の野辺は続いているのです。
 物書きとは孤絶との立場を選び取るしかない存在なのです。プラトン的な意味において、親兄弟、連れ添いとも大きく隔たってしまいます。だからこそ、個と個の出会いそして個と個の別れとは「存在という罪へのあがない、美というはりつけの情念への苦さ」を噛み締めかみ砕くことにしかならないのです。
 貴女に心の痛みを与えた女性の死について三年後、否五年後になればなにか著せるかと思います。それまでは黙するしかないのです。幻想文学を内包するところの異端の文学、異端の文学を内包するところの圏外文学を博捜し紹介したところに澁澤龍彦、種村季弘、矢川澄子の・・・等といくら贅言を費やしても、個としての彼女の思想すなわち情念に肉薄はできません。
 此岸に遺された「うららかな情念のまがり 昔のはるかなるにおい うとうととまどろむ」愁い、そういった彼女の記憶を私がどう咀嚼しいかに読み替えるか、おそらく問われるのはその一点のみでしょう。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月16日 15:15 | 固定ページリンク




一考 | 就職祝い

 櫻井さんと掲示板のみなさまへ
 櫻井さん就職(それとも身売りかな)おめでとう御座います。久しぶりの労働ですので、身体に変調をきたさないかと心配致しております。おそらく最初の一箇月がもっとも疲れるのではと拝察致します。頑張ってなどとは申しません。仕事は適当かつ適宜に処理なさることを願います。

 さて、22日の土曜日に当掲示板の管理人でもある櫻井さんの就職祝いをですぺらにて催します。例によって指定の銘柄飲み放題にて男子4000円、女子3000円です。6時から店主が酔い潰れるまで(おっと主賓は櫻井さんですよ)時間はたっぷり御座いますのでごゆるりと。普段お世話になってる方、集まって下さいね。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月16日 16:12 | 固定ページリンク




一考 | (無題)

 このところ、はじめての方が多くのメールを、また当掲示板を訪れていらっしゃいます。メールにはご返事を差し上げていません。こちらでみなさまにお詫び致したく思います。
 小生の不徳の致すところで当掲示板にいささかの不都合が生じましたが、その分、如月さんの掲示板が頑張っています。如何にささやかな思いであろうとも、書きあらわす即ち追体験にことの大事が、愁い嘆く人の心が御座います。必ずや下記掲示板を訪れて頂きたく思います。

 http://www.hp-web.net/kisaragi/bbs/bbs.cgi



投稿者: 一考    日時: 2002年06月16日 18:51 | 固定ページリンク




薫子 | 新刊案内

 昨晩、須永朝彦さんが出来上がったばかりの須永さん編訳「現代語訳 江戸の伝奇小説」(全六巻、国書刊行会)の第一巻をお持ち下さいました。今月22日ごろには店頭に並ぶようです。
内容は「復讐奇談安積沼(ふくしゅうきだんあさかのぬま)」山東京伝作、北尾重政画と「桜姫全伝曙草紙(さくらひめぜんでんあけぼのぞうし)」山東京伝作、歌川豊国画の二作。
 親の敵を尋ねる美少年喜次郎、妻の密通相手に殺される役者小幡(こはだ)小平次、陸奥を舞台に孝子(こうし)の復讐と怨霊の祟りを描く「安積沼」。叶わぬ恋に狂う破戒僧清玄、様々な怪異に魘(うな)されて離魂病を患う桜姫、美女玉琴の怨霊に翻弄される鷲尾(わしのお)家の転変を描く「曙草紙」。(内容見本より)
 私はまだぱらぱらと眺めただけですが、挿画が沢山入っていて、ああ怖い、でも見たい、やっぱりコワイ、でも読みたい。
 「ですぺら」にて須永さん署名本を予約受け付けております。価格は3500円、消費税は頂きません。<伝奇ノベル>にご興味のある方、是非ご一読を。



投稿者: 薫子    日時: 2002年06月17日 00:41 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ただ黙して弔す

知り合ひの画家がまだ五十代なのに癌のため金曜日に逝つたことを今朝知りました。以前新聞連載したときに、27回にわたつて挿し絵を描いてくれた方です。個展にも何度か行きました。
お名前をここに記しておきます。
前澤征男さん。いくおと訓みます。笑顔の美しい、含羞のひとでした。
合掌。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年06月17日 16:05 | 固定ページリンク




a | (無題)


unko



投稿者: a    日時: 2002年06月19日 08:36 | 固定ページリンク




一考 | うんち大全

 unkoではなくunti、正確には「うんち大全」。原著者はジャン・フェクサス、訳者は高遠弘美さん、98年10月に作品社から上梓されたスカトロジーの百科全書。著者は澁澤龍彦さんがネタ本に用いたロミの教え子、代表作に「ファティの告白」「おなら大全」「でぶ大全」などがある。ちなみに高遠弘美さんの名はヒロミ、ロミを内に秘めるところが奥床しい。
 「うんち大全」は宝暦七年に刊行された「薫響集」と共に天下の奇書と称すべき一本。「薫響集」に云う。

 君にけさ貰ひし芋を煮て食へば恋しさごとに屁をや放らなん
 この道にむべも富みけり小つづみの三つ地六つ地の曲放(べ)りをして 
 小便に起きて放りたる折しもあれ月も山屁に有明のそら
 つつめども隠れぬものはすかし屁のもれてほのぼの匂ふゑり袖

 さて、高遠さんの訳文は紛うことなき曲放りにして、すかし屁のもれて匂うはaさんとやらのおつむの腐臭。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月19日 19:26 | 固定ページリンク




一考 | 私の北海道

 永瀬さんへ
 間違っていれば、きっと貴女からなにか云って来るだろうと薫子さんと話していました。
 山形では売っていると聞き及び、私が車の免許を買いに行ったのは89年の7月6日。と免許証に記載されています。免許証の平成1年を88年と思い込んでいました。その年すなわち89年10月に中野新橋から明石の太寺へ転居、たしか12月から1年半ほど「クラブ武田」でバーテンをしたと思います。薫子さんと最初に出会ったのもその頃です。
 あとは貴女の記憶通りですね。「武田」を辞めた91年の夏が貴女と一緒に最初の北海道行き、1年飛ばして93年が2回目、94年にはバイクで35日間北海道をさまよい、11月に西明石で「ですぺら」開店、1年飛ばして96年に愛ちゃんと、98年に薫子さんと北海道へ出掛けています。都合5回になりますが、積丹半島美国断崖の下の群青の野辺は91年の夏と記憶するのですが、やはり間違っていますか。
 ちなみに、63~71年が割烹赤坂、72~77年がコーベブックス、78~83年が南柯書局、84~85年が雪花社、86~87年が読売新聞社、88~89年が研文社、94~現在がですぺらですので、貴女と知り合ったのは86年なのでしょうね。だとすれば、それから後の私のことは貴女が一番ご存じということになります。
 仰るとおり「いつだろうと、そんなことはどうだっていいんだよ。大切なのはあの時に見た海の色の青さとひそやかな野辺の送り・・・」なのですが、どうも私に年譜のようなものを作らせると大変なことになりそうです。お付き合い頂いた女性もしくは逃げられた元連れ添い6~7名の協力を得て、今の内に履歴書でも拵えておきますか。 



投稿者: 一考    日時: 2002年06月19日 21:15 | 固定ページリンク




高遠弘美 | 一考さま

一考さま

ありがたき御(おん)言の葉のエスプリにしづむ心も屁のごとく浮き

また、

いつかしら疎ましきNの字の去りしをことほぎて詠めるざれうた、

烏滸(oko)の沙汰依怙(eko)のためにはあらねども、于古(uko)なる意故(iko)の彼処(ako)に去り、得ぬ(n=エヌ)



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年06月20日 01:20 | 固定ページリンク




一考 | 断屁断笑

 文学の原型を端的に示唆したものとして「人間というものは煎じ詰めれば消化器と生殖器から成り立っている」とのグールモンの言葉を援用し、「すべての文学は消化器系と生殖器系にわかれ、さらに拡大して考えるなら前者は屁の文学であり、後者は愛の文学である」と中重徹は結論づける。
 中村幸彦を師と仰ぎ、興津要と共に「新編薫響集」(昭和47年、読売新聞社)を著した中重徹は明治30年鹿児島生まれ。沖縄師範学校を卒業後、熊本、福岡の中学校や高校で教鞭をとったという。前書における論理は明快、書誌学者に相応しい伸縮自在な思考を持つ、謂わば外道文学の達人。
 中重氏はわが邦における放屁に関する戯文への評価の低さと屁と愛の不均衡を嘆く。日本文学の淵叢である古事記には、「生む」が250、「娶ひ」が164、「ほと」が8。それに対して「糞」が6、「屁」は0回。屁を等閑視する上代文学はすべて生殖器系文学であると。源氏物語を濡れ場のないポルノ小説と論断したのが誰だったかは失念したが、室町末期の一休、江戸中期の平賀源内、明治初年の団々珍聞に至るまで、日本のデカダンス文学はひたすら黙屁を続けてきたのである。
 屁は、かのガルガンチュワのように、すかし屁でも風車を四つも回せるほどのエネルギーを内包する。また、昔ある大宮人は女のすかし屁をくって世をはかなみ、出家を思い立ったこともある等々、鞠躬如とした消化器系文学の復権を願う中重氏は、余人の偏見を人間性の歪曲を一蹴する。

 わが親の死ぬるときにも屁をこきてにがにがしくもをかしかりけり

との犬つくば集の俳諧を「わが親ならばいかでかをかしかるべき。それををかしと思ふことの心あるものは、人の子にてはあるまじ、畜生にもおとりたるものなり」と評した松永貞徳を中重氏は断罪する。曰く「この句がそれほど親不孝なのかどうかの論議はともあれ、それを親不孝と思うところに貞徳の文学観のあさはかさとその俗人ぶりがうかがえる・・・元来『をかしみ』は緊張が大なれば大なるほど効果的なのである」
 われわれは稲垣足穂、永田耕衣という共に1900年に生まれた屁文学の大家を識っている。中重氏が擱筆にさいし、「肛門の抜け落ちるほどの笑いを爆発させうる威力ある文学は、わが『屁文学』をおいて考えることはできない」と宣ってはや30年、鬼籍に入られたのを寂しく思うのは私一人か。 



投稿者: 一考    日時: 2002年06月20日 20:38 | 固定ページリンク




一考 | スポイルド・チャイルド

 80年を境に文学から聖性が喪われ、文学のカタログ化がはじまったと思っていたのですが、その聖性を簒奪する種蒔きをしたのは6~70年代に活躍した作家達、すなわちスポイルド・チャイルドの世代ではなかったかと。これは種村さんの朝日の書評を読んでいて気付かされました。 
 N井、I田の世代からS澤に至る「スポイルド・チャイルド世代の文学」との括りがこれから必要になるのではないでしょうか。だって、以降の世代はますます傍若無人に育っています。彼等が自己弁護の言質に前記作家達を利用するのは当たり前ではありませんか。これからはスポイルド・チャイルドの全盛期になりそうです。
 同時代を生きた私は大きな過ちを犯していたようです。一抹の危惧はあったのですが、表現者の特権としてあの人たちの我が儘や傲慢さに目を瞑ってきたのです。そして、気付かずに私自身がスポイルド・チャイルド化していたようです。自ら構築した時代と文学を今一度ガラガラポンせねばならないようです。
 西脇順三郎や吉岡実、永田耕衣や土方巽に見られる過度なまでの方法論、固着した精神や趣味性を呪い続けた彼等の瑞々しい屈折、固執を厭い休むことなく揺れ動く伸縮自在な発想、そうした自らへの懐疑のみが思想ではなかったのか。危惧と前述しましたのは他でもない、N井、I田、S澤等に見られる思想の希薄さを指してのことです。種村さんとは異なり、どうやら私はスポイルド・チャイルドには否定的な見解しか持てないようです。

 もちろん、あの人たちの紹介者としての識見、換骨奪胎の名手としての評価は揺ぎないものです。もっとも、一口で換骨奪胎と申しても、I田が焼き直しならN井は本歌取り、S澤は趣意返しのごとき趣あり。前者がオリジナリティを前面に出し、後二者はオリジナリティを全面的に否定する。換骨奪胎の語釈の定義からはじめねば話はややこしくなりそうです。それは後日に譲るとして、例え井の中蛸壺の中であるにせよ、権勢を振るい君臨したのは事実。その君臨にスポイルドの原点を体臭を嗅ぎ取るのは易いことである。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月20日 21:10 | 固定ページリンク




一考 | ナラトロジー

 如月さんへ
 「個人史の述懐にとどまらず、述懐のナラトロジーを自分でぶち壊して自己の根源に迫っていく迫力・・・私が好きなのは、この<つきつめる力>なのです」
 すてきな言葉ですね。久しぶりに如月さんの肉声を目の当たりにして興奮。歴史は文学における梃子の力点のようなものです。力点がなければ文学から有効性は喪われます。いくら力でねじ伏せようと思っても、それは体力の消耗にしかならず、文学はたちどころに衰退します。
 ナラトロジーを自ら壊すことによってのみ、語られた事実は虚構の事実へと昇華されて行きます。それが根源かどうかは私の与り知らぬところですが、貴方の仰る<つきつめる力>は十二分に理解できます。ただ、書き手にはその運動の質量は把握できても、方向性はまったく分からないのが常なのです。すなわちベクトルとしての体をなさないというところに問題が残ります。
 かつて中井英夫さんの葬儀のあと、新宿の浪漫房にて彼女と情念についての論議を繰り返しました。思想より情念との表現を好むと。また、思想とは搏動であり、蠢きであり、立ち徘徊ることであって、方向性は意に介するようなものではないと。また、論理ないし論理回路は永遠に情念とは交わらないと。その結果が今回の出来事となりました。いかに読み解くべきか、大きな宿題を課せられたような気がします。



投稿者: 一考    日時: 2002年06月20日 22:01 | 固定ページリンク




 | 遅くなりましたが

高遠弘美さま

 すぐにお返事できずにすみません。さて、ご質問の件ですが、夫に教えて貰いました。

1.に関しては、そのとおりです。
2.に関しては、1981年からです。
 もう少し詳しく申し上げますと、確かに明治初頭の翻訳では「法王」とされ、枢機卿の読みについても「すうきけい」と「すうききょう」が混在して使用されておりました。また、教会内部では教皇の名称が一般的でしたが、特に問題にはしておりませんでした。
 しかし現代になり、1981年の教皇ヨハネ・パウロ2世の来日にともない、教会用語を用いて報道される場合の混乱を避けるため、日本におけるカトリック教会の対外窓口であるカトリック中央協議会(日本カトリック司教協議会)において、「ローマ教皇(きょうこう)」、「ローマ教皇庁(きょうこうちょう)」、「枢機卿(すうききょう)」で統一することを公式に決定、各メデイアに正式に通知したという経緯がございます。
 従って、従来のローマ法王、ローマ法王庁の呼称も決して間違いではなく、()の中にローマ教皇庁を併記してある場合も増えてきたようです。また、英語では the Holy See となり、「聖座」が正しい翻訳です。国連や外交の場ではこの呼称が用いられます。
 そこで結論になりますが、現在、他宗教でも「法王」号を使用しており紛らわしいきらいがあるのも事実なので、今後、少しづつ、マスコミ各社、教科書などでの「ローマ教皇」併記での用語の統一がすすんでいくことでしょう。

一考さま

 どんな青だったのでしょう。水とも空ともつかぬ青さが私の中へ広がりました。「どう咀嚼し読み替えるか」とありましたが、私も私なりに彼女の文学に出会えたことを無駄にはしたくありません。
 昨夏、原民喜展を主催したため、久しぶりに民喜と向き合う作業が続きました。彼の死についての想いが10年前と比べて大分変わってきていたし、驚いたことに、10年たって初めて気付いたこともありました。そんな風に、今の痛みは変わらなくとも、月日を重ねるうち、彼女の死を受け入れることができるかもしれません。
 「失われた庭」は日本海沿いを鈍行列車にえんえんと乗りながら旅する中で初めて読みました。プレ=ラファエロ前派の本、決して読むことのできないあの本を幾夜、夢想したことでしょう。



投稿者: 都    日時: 2002年06月22日 00:52 | 固定ページリンク




中嶋千裕 | 櫻井さんの会

◆櫻井さん
◆一考さん
◆梅子さん

本日の櫻井さんの就職祝いの会ですが、なんと、デスクのお当番に当たってしまい、
朝から深夜まで仕事をすることになってしまいました。
それもこれもW杯のせいなのですが、もうしわけなし。

盛会をお祈りしています。



投稿者: 中嶋千裕    日時: 2002年06月22日 01:36 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ありがたうございました

都さま

お忙しいところ、正確な情報を賜りまして、まことにありがたく存じてをります。以後、わたくしも気をつけて使つて参りたいと思つてをります。
また、原民喜展を主催なさつたと伺ひ、驚き、かつ、憧れてをります。
原民喜はわたくしの愛する文学者のひとりです。すこぶる大切な作家と申せばよいでせうか。
その原民喜展についてもお話を伺ひたく存じます。
お暇な折、またお言葉をお聞かせください。

感謝をこめて。

櫻井さま
ご就職おめでたうございます。本日は野暮用にて伺ふことができませんが、ご盛会をお祈りいたします。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年06月22日 14:36 | 固定ページリンク




松友 | 「怪異・妖怪伝承データベース」に見るツチノコ

 表題、既にニュース等で先刻御承知とは存じますが、「怪異・妖怪」についてのデータベースがネット上で公開されています。

「怪異・妖怪伝承データベース」
ttp://www.nichibun.ac.jp/youkaidb/
 概要は以下、サイト内の「目的」より『特に民俗学関係雑誌や江戸時代の随筆類に採録されている、この種の存在によって引き起こされたとされる「怪異・妖怪」現象に関する書誌情報を集めています。扱っているデータはすべて文字資料で、絵画資料はまったく扱っていません。』。

 そして現在「ツチノコヘビ」は22例あり、要約の記述が済んでいるものの内、No.12と14の記述に外観の描写などがあります。
 まずもって、製作と公開に感謝、加えて、より一層の充実には多大な労力と時間がかかると想像しますが、今後にも期待です。



投稿者: 松友    日時: 2002年06月26日 05:15 | 固定ページリンク




匿名希望 | (無題)

この話ですが、これについて「「岸信介」「共産主義」は ヒットしなかったが、将来入るのだろうか?」と語っていた方がいました(笑)。



投稿者: 匿名希望    日時: 2002年06月30日 02:35 | 固定ページリンク




松友 | 今回の富江に期待

 こちらは文献出自が「民俗学雑誌や江戸時代の随筆類云々」である為か、当該サイトはYahoo!カテゴリに於いては「生活と文化 > 神話、民話と民俗学 > 空想上の生物 > 妖怪 」に分類されているようです。
 さて、Yahoo!カテゴリといえば時として予想だにしない方向に走ってしまう様です。今回「エンターテインメント > 映画、ビデオ > 作品 > SF、ファンタジー > 日本映画 > さくや妖怪伝」を見付けてしまいました。そういえば同映画主演の安藤希は6月29日公開の「富江 最終章 ~禁断の果実~」で富江を演じています。今回の富江は都合四作目、フライヤーによれば『「テーマはロリータとレズビアン」とは監督の弁』。「櫻の園」(吉田秋生原作、否チェーホフ)、「コンセント」の中原俊ですので、期待です。



投稿者: 松友    日時: 2002年07月01日 06:51 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | トルコ土産

トルコより帰国いたしました二階堂奥歯です。
おみやげにトルコのおいしいお酒ラクを買いました。
ライオンのミルクと言われる酒で、葡萄から作るそうです。
アルコール度数45で、アニスの香りがつんとして、薬くさくもあって、甘みがあって、透明感があります。
水を加えると白く濁るそうですが、ストレートでしか飲んでいないのでまだ目撃してはいません。
明日ですぺらに持っていきます。お楽しみに。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年07月02日 15:49 | 固定ページリンク




素天堂 | お礼です


一考さま

先日は、たった2回目にも拘わらず、看板までお世話になり
ありがとうございました。
底の浅い幻想文学ファンではありますが、
格好をつけて赤恥をさらすことのないように致したいと存じております。
なにとぞこれからもよろしく。

二階堂さま
トルコ土産ありがたくご相伴させていただきました。
美味しかったです。



投稿者: 素天堂    日時: 2002年07月06日 12:59 | 固定ページリンク




初心者 | 質問


こちらのお店はウイスキーのボトルキープはいくらからございますのでしょうか。



投稿者: 初心者    日時: 2002年07月06日 13:22 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | ラク

素天堂さま

ご丁寧にありがとうございます。
水を入れると白く濁ると聞いていましたが、オパールのような綺麗な半透明になりますね。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年07月06日 13:27 | 固定ページリンク




Campagnolo | 高遠さま 一考さま

ご無沙汰しております。高遠さまの御著書は、先日谷川渥さんに一冊差し上げました。種村さんを通じて、てっきり御懇意かと思っていたのですが。お知り合いじゃなかったのですね。谷川さんはたいそう喜んでいました。丁度フェルメールの話をしていた所だったのですよ。ところが僕の分が無くなってしまいました。もう一冊残っていませんか。更に先日、梅木英治君の個展に行った折、夜中まで彼とワインバーで飲んでいたら自転車の話から始まって貴兄の話題になり、絵もお買いになった由。しかもそれが表紙に使われていたとは全然気が付きませんでした。   この間、スコットランドからニッカに払い下げられたウイスキー樽を200本、下取りしました。勿論、空ですよ。これら使用済みの物は定期的にヴェトナムなど東南アジアに輸出しているのだそうです。鋸で挽くとホワイトオークから未だモルトの香りが漂います。場所を取るので全部ばらしましたが、蓋だけでも一枚「ですぺら」に送りましょうか。大きすぎて邪魔だろうね。



投稿者: Campagnolo    日時: 2002年07月07日 05:22 | 固定ページリンク




高遠弘美 | ありがたうございました

CAMPAGNOLOさま

高遠弘美です。
掲示板、嬉しく拝読いたしました。
早々にお送り申し上げます。
梅木氏といひ、谷川氏といひ、大兄のお顔の広さに驚いてをります。
谷川氏は國學院大學の教授でいらつしやるはずですが、実はわたくしも1985年以来、途中在外研究でフランスに長期滞在した年を除いて、いまだに國學院でフランス語の非常勤をしてをります。それでも氏と面識がないのですからいまさらながら、自分の顔の狭さ、交遊の狭さに呆れております。
ウイスキーの樽を二百もお買ひになつたといふのはわたくしごとき凡人の想像をはるかに超えてをります。お話を伺ふだけでなんだか爽快な気持ちになります。ありがたうございました。

二階堂さま
トルコより無事にお帰りとのことで、喜んでをります。また、ご就職を心よりお祝ひ申し上げます。新天地でますますのご活躍をなさいますやうお祈りいたしてをります。
トルコのラクといふ酒は、もちろん存じませんが、掲示板を拝見する限りでは、フランスのanisetteに近いのでせうか。Ricard, Pastis, Pernod, 51(cinquante et un) , Berger Blanc(ああ、これはなかなか日本では買へず、呑みたいといふ思ひがつのります)のたぐひです。

追記。
先日、都様より貴重なご教示をいただき、やはり辞典・事典を買ふ必要ありと思ひ、カトリック大辞典は高いので、とりあへず、出たばかりの岩波キリスト教辞典(7500円也)を需めました。「一冊でわかるキリスト教のすべて」と帯にあつたので期待もしてゐたのですが、率直に申して大いに期待はづれでした。いつも本の悪口ばかり書いてゐると面上の唾になりかねないので細部は差し控へますが、岩波の辞典は例のケンブリッジ世界人名辞典といひ、どうしてかう中途半端なのでせうか。以前ある雑誌の年度末アンケートの翻訳ベスト3の一冊に、ある編集者がケンブリッジ世界人名辞典を挙げてゐたことがあつて、当方はわざわざ値の張るCD-rom版を買つたのにあまりのひどさに怒り心頭、それだけにその回答者の不見識に腹がたちましたが、今度もこのキリスト教辞典についてはまたどこかでどなたかが褒めているのかと思ふと多少なりとも暗然たる気持ちを抑へることができません。漱石の猫や、一茶句集、西鶴その他の名訳者で知られるリヨン第三大学のジャン・ショレー教授が何度も「広辞苑はだめですね」と仰言つてゐたことをゆくりなくも思ひだしました。



投稿者: 高遠弘美    日時: 2002年07月07日 09:39 | 固定ページリンク




二階堂奥歯 | ありがとうございます

高遠弘美様

ありがたいお言葉恐縮でございます。
某所で働き始めるのは来月一日よりになります。

高遠様には別件でも大変お世話になりました、ありがとうございます。
『乳房の神話学』翻訳者でいらっしゃる高遠様に、エフェスに行ったらアルテミス神像のレプリカを買いもとめお礼の気持ちを込めてお送りしようと思っておりましたが、行ってみたところ非常に安っぽい上に全体の表現が甘く、乳房が乳房とわからない有様だったので買うのを控えてしまいました。

ラクは、梅子さんによるとアブサンに似ているそうです。



投稿者: 二階堂奥歯    日時: 2002年07月07日 20:21 | 固定ページリンク




御邪魔ビンラディン伊藤 | やはり買わなくて正解だったのか!? 「岩波キリスト教事典」

さいきん岩波の本といえば、岩波文庫以外には、あんまり食指を動かされる本がありませんが、(ヘルダーリン詩集と狐物語は、たいへんよかった)それでも、「岩波キリスト教事典」、買おうか買うまいか少し迷っていたところなので、高遠先生の書き込みを見て、やはり買わなくてよかったのだ、と妙に納得しています。いずれは、カトリック大辞典の安価なCD-ROM版が出ると一番よろしいのですが、それは、一体いつごろの話になるのかな? 富山房、ガンバレ!
いつのころからか、岩波は事典、辞典関係の編集がぞんざいになっていて、「ケンブリッジ世界人名辞典」(日本語版監修者の優れた英文学者の名前でダマされるのだよな……)が、じっさいには使い物にならないという評判から、二年ほど前に十数年ぶりに版を重ねることになった「岩波西洋人名辞典増補版」が、これも、再版時に誤植の訂正を行った跡があまり見られないといったていたらくです。たとえば俳優の天知茂を「天地茂」とやるようなたぐいの誤植ならば、ある程度の同情の余地はありますが、バタイユの主著「無神学大全」を「神学大全」と正反対の意味になるような誤植をやったまま、すぐ脇に御丁寧にも原語で正確な原題を示すがごときエラーを放置しているといえば、(小生、このミスを二、三度書状で指摘していますぞ)おおよそのお察しはつくでしょう。
「広辞苑」の新版が出る周期が短くなっているのは、とりもなおさず、岩波書店じたいの経営不振のあらわれだというのは、公然と囁かれているウラ情報ですが、それでもなお、「広辞苑」1冊の値段が「ヘア・ヌード写真集」(と、今でも言うのかな?)2冊分よりも安いという事実を考えると、出来の悪さは認めつつも、コスト・パフォーマンスの高さだけは認めてやらなければいけないかもしれません。
そのむかし、岩波で仏和大辞典が計画されたことがあって、ある人が編者の河野与一氏に「どこまで進んだかね」と聞くと、河野氏いわく「Wの項まで終わったところだ」「それじゃぁ、もうすぐ完成だな」「いや、Zの方から執筆しているんだよ」というやり取りがあった由。そのうち、碩学の河野氏は天寿を全うして、仏和の原稿は宙に浮いたままですな。こうした神話的なおおらかさが、いつのまにか失われてしまったことが、最近の編集のぞんざいさを招いている一因ではないかと思います。
最後に、岩波の辞典で特に一冊だけ推奨に値するものとして、齋藤秀三郎の「熟語本位英和中辞典」が出ていることだけは、一応強調しておく必要があるでしょう。
いつもながらの、蕪雑なる感想まで。



投稿者: 御邪魔ビンラディン伊藤    日時: 2002年07月08日 01:03 | 固定ページリンク




→ひとつ後のページへ
←ひとつ前のページへ
 
ですぺら
トップへ
掲示板1.0
トップへ
掲示板2.0
トップへ
一ッ前< ||現在 頁 |旧← 8  9  10  11  12  13  14  15  16  17 ・ 18 ・ 19  20  21  22  23  24  25  26  27  28 一括!|| >一ッ後


メール窓口
トップページへ戻る