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一考さんから伺つたある掲示板を拝読しました。
なかなか面白いと思ひましたが、そこでわたくしの敬愛する東雅夫さんが、一考さんや高遠のやうに掲示板でもふだんの文体と変へずに書いてゐる者は尠いといふ意味のことを書いていらして(名前を出して頂いたのは光栄ですが)、意外な感がしました。わたくしはまだメールやインターネットにつなぐときにいちいち電話をつなぐ方式なので、電話代の節約といふこともあり、掲示板に書くのは一つだけと決めてゐます。それがこのですぺらの掲示板ですが、わたくしは駄文を連ねるときとこの掲示板に書き込みをするときとで同じ文体で書いてゐるつもりはありませんでした。もちろん、信念から申して、歴史的仮名遣ひが正しいと思つてゐるので、それを禁じられることのない掲示板ではもうそれでいかうとは考へてゐますが、ふだん絶対といつていいくらゐ使ふことのない一人称主語(わたくしの書いたわづかな駄文で一人称主語をつかつた例はごく尠いはずです)を掲示板では「わたくし」として使つてゐますし、ですます体もふつうは使ひません。それでもなほ東さんがそのやうに仰言つたといふことは、如何に変へようと思つても所詮物書きとは縁遠いただの語学教師ゆゑといふことなのかと思ひました。
追記。東さんのお仕事にはいつもほんたうに敬意を抱いてゐます。歴史的時間軸と同時代への目配りのきいた批評家といふのはいつの世にも決して多くはありません。東さんはさういふ数尠いお一人です。従つてこれは東さんへのcontestationではなく、いつまでも未熟な自分自身への嘆きぶしです。
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