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一考 | 目玉蜘蛛

 高遠弘美さんへ
 出入りの肉屋さんからカンガルーのもも肉をスモークに使えないかと云われ、挑戦したのですが、おそろしく不味いものでした。「活溌な運動を司る筋肉には赤身が多い」のはそのとおりなのですが、鶏肉のもも肉には脂ののった皮が付いています。その皮と赤身のバランスが食をそそるわけで、皮を剥いでしまえば、味けのないものになってしまいます。そこのところが気懸りですが、コオロギやイナゴで予行演習は済ませています。ごきぶりのDNAを弄くった亜種のローストやカツレツもしくはラカンやボンレスハムに期待すると致しましょう。
 蜻蛉の胸ロースにも唆られるのですが、今回の圧巻は前段。蚊の目玉は中国でも知られた料理ですが、蝙蝠が介在するところがモンテスキュー的悪趣味のきわみでございましょう。
 ところでタスマニアの目玉蜘蛛はご存じですか。東南アジア、オーストラリア、中央・南アメリカ、アフリカに広く分布し約50種が知られていますが、八眼中前列の側眼がとくに巨大なのでこの名があるのです。四角形の網をつくり、これを前脚で広げて支えるか、数本の糸でつり下げて待機。餌の小動物が近づくとこの網を伏せたりすくい上げたりしてとらえるのですが、その腰の動きが泥鰌掬いの振りにそっくりです。
 そのタスマニアのオッサ山を含む西部の山地に棲息する目玉蜘蛛は巨大なものは体長15~20センチに達すると云われます。ゴンドワナ大陸からの生き残りで、体長1メートル余りのタスマニアデビルと共に生きた化石とも云われます。
 タスマニアを発見したのは1642年オランダの航海家タスマンですが、そのタスマニアが島であることを確認したのは1798年イギリスの探検家G・バスおよびフリンダーズです。そのあたりの消息は中井英夫さんも書かれていますが、タスマンが残した膨大な航海日記とG・バスおよびフリンダーズが著したタスマニア探検記については中井さんは触れていらっしゃいません。書中、原住民が儀式に用いる、目玉蜘蛛の目玉の調烹が詳しく誌されています。しかしながら、この目玉料理と似た料理が岡山と広島の県境、高梁川流域のカルスト地形にも残されています。松本の飴市の職人から紹介され、車を飛ばして蜘蛛神社の神主に会いに行ったのは20年ほど昔のはなしです。
 眼球の球内を満たしている透明な寒天様物質を硝子体と云いますが、これが水晶体を構成する水様液とは異なり特段に濃厚、ちょうど鯛の目のごとく美味であるとのはなしを端緒に抱腹絶倒の一宵を過ごさせていただきました。白蟻の巣のペーストではなく、もち米で作った汁飴と蜂蜜を練り合わせたペーストで目玉蜘蛛の目玉を包み、陰干ししたものを古名そのままに「たがね」と云うのですが、その飴玉を舐り、たがねの部分が割れて寒天質が口腔に拡がる瞬間、地元のひとは「じろり」と叫ぶのだそうです。また、その目玉とワニ(鮫の意)の白子のスクランブルを「ぎろり」というらしく、仄かなアンモニア臭がたまらない香味であるそうな。牛眼に疾んだ蜘蛛の目玉の巨大な逸品を「大目玉」と称しますが、その眼球筋と外眼筋はとりわけ珍重、海鼠腸や海鼠子同様、半干しもしくは生のものを一塩で頂戴するとか。
 かかる料理の馳走にあずかるのが「お目玉を喰う」「お目玉をちょうだいする」といい、前述の「大目玉」を食するのを「目玉が抜け出る」「目玉が飛び出る」と云うそうです。ちなみに神主曰く、目玉蜘蛛の歴史は古く、古墳時代の棗玉から能面の飛出、龕柩の語源に至るまで、そのおもかげは瑞穂の国の津々浦々にまで形相を変えて伝えられているとか。思うに、花田清輝や石川淳の弁証法は目玉蜘蛛のニスタグムスから掻払ったのではなかったか、ここはひとつ奥本大三郎さんのご登場を願うしかなさそうです。



投稿者: 一考    日時: 2004年07月07日 22:45 | 固定ページリンク





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