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一考 | 心にもあらざる記

 ゆきちさんへ
 自分というのは人が望むところのものでしかない、というのが私の持論です。自分が自分の思っているような人間であるかどうかは自分にはなにも判りません。人が判断するところの自分が常に正しい自分の像なのです。これは松友さん宛の文章で著した賓辞の問題と同じことなのです。いついかなる状況にあろうとも、判断を留保し行使するのは他者なのです。どうしても酷い誤解があるというのであれば、五解を六解に七解にしつらえ、自らの快楽の対象にしてしまえばよろしいのであって、「そないなこと書くな」では些か見苦しくはありませんか。男の子はもう少しダンディに行きましょう。また、人の意見に対して異議があるのであれば、どうどうと議論すればよろしいのであって、それを「余計なこと」とか「いじめ」と退けたところでなにも始まりますまい。繰り返しますが、他人にかく見られたいという望みがもし有るのであれば、自らの立ち居振る舞いを然るべきものに改めるのが先決かと、爺トドからの心にもない親切心です。



投稿者: 一考    日時: 2001年11月24日 20:30 | 固定ページリンク





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