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一考 | すり抜けの達人

 「種村季弘の箱」をお読みとか、ありがとうございます。
 種村さんは映画を語って映画にとどまらず、舞踏を語って舞踏にとどまらず、演劇を語って演劇にとどまらず、食物を語って食物にとどまらず、といった風情で、「有心は生死の道、無心は涅槃の城」などという分かったようなはなしを最も嫌われました。変身と顛倒を生涯の伴侶とした種村さんにとって、謎は解き明かされるものではなく、より大きな謎に至るための方便でしかなかったようです。
 「種村季弘の箱」の対談は荘子で終わってますが、あれには続きがわんさとあり、遺著として出版される書物のなかでも繰り返し述べられています。

 「孔子ってのは障子の格子みたいなもんで、たとえば童子格子ってのがありましたね。格子があってそれをすり抜けるのが童子。それで童子は『悪』というかアポロン的な秩序ってのがあるとすると、それをすり抜けるヘルメスなんだけど、ヘルメスとか童子とかはトリックスターであって、格子と童子の双方の張り合いの遊戯のなかで世の中全体が、世界が成り立ってるんですね。どちらが欠けても渾沌に戻っちゃうわけですよ。
 孔子の側に立って老子的なカオスも受け入れて、聖人君子のこわばりをあざけるとか、馬鹿にするとか、批判するっていうのが、荘子の『両行』の在り方なんです」

 種村さんは老子側に立ちながら、生きてる世界では孔子を否定はしなかった。孔子を、そして荘子の「両行」との概念を認め気に入りの武器として縦横に使いながら、「それをすり抜けるヘルメス」に撤しきっっていたようです。「両行」に気を取られていると、知らない間に種村季弘はどこかへ逃げ出してしまってるわけで、敢えて申せば、この「すり抜け」に種村さんの本懐があった、と申せましょうか。山田風太郎の忍法帖やカムイ外伝にみられる「抜け忍」に殊のほか執着なさっておられたようで、今回もエイヤーと掛け声をかけたばかりに地上をすり抜けてしまった、否、出掛けた先をまたいつすり抜けるかも知れず、私が種村さんを追尾するのを諦めた日、それははじめてお会いしたときではなかったかと、そんな思いに浸っております。



投稿者: 一考    日時: 2004年09月07日 00:41 | 固定ページリンク





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