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一考 | 瓦版なまず

 moonさんへ
 季村敏夫さん編輯の瓦版なまずが発刊されました。執筆者は安水稔和、杉山平一、宮崎修二朗、林哲夫、扉野良人、港大尋、林宏仁、季村さんと私です。知己が五名、面識のない方が三名、しかしお名前はすべて存じ上げています。moonさんは神戸華僑歴史博物館の林宏仁さんはご存じかも。
 宮崎修二朗さんとはよく飲みました、彼が神戸新聞社にいらした頃のはなしですが。その宮崎さんがわが国のSFの開祖ともいうべき矢野徹について書いています。矢野は魚崎でDPEの店を営んでいたのですが、他にも井上勤や新開地の春秋堂という薬局の倅、横溝正史のことなどを描いています。
 私の方は何回の連載になるのか見当もつきません。「当時、坊主頭の私は俳文堂の主人有川正太郎さん行きつけの茜屋で俳句の講義を三日に一度は聴かされた。茜屋は元町六丁目と五丁目のあいだに在った珈琲店である。新傾向俳句が新傾向風なマンネリズムから脱皮して自由なリズムをとるようになった大正初期の俳諧にはじまり、やがて元禄、寛永、正徳、享保の江戸俳諧へと詼々の晤語は遡って行く。其角、支考、許六、嵐雪よりは去来を、その去来よりは丈草を、暁臺、樗良、几董、月渓よりは青蘿をといった塩梅で、根が天邪鬼だった私の歪んだ性格をさらに助長させ、深化させたのは間違いなく有川さんだった」
 という調子なのですが、芥川龍之介と日夏耿之介が讃歎した上筒井のなつめや書店について書きたいと思っています。大正期は阪急大阪行きの始発駅が上筒井にあり、加えるに一中、高商、関西学院が山側にありました。従って、上筒井商店街にはなつめや書店や白雲堂などが並び、関西有数の古本屋街でした。その界隈のことは関西学院へ通っていた足穂や今東光も著しています。
 神戸の出版文化や古本屋については高橋輝次の著書以外まとまったものはありませんし、その高橋さんも川西和露や野田別天楼、なつめや書店の安井小洒については触れられていません。ぐろりあそさえてや五典書院も大事ですが、五典書院がわが邦の書誌学の方向を決定づけたように、なつめや書店の出版物は江戸俳諧の歴史を、さらにはわが国の文学史の書き換えを余儀なくさせました。どなたか書くひとはいないのかなと思っていたところ、季村さんから連載依頼があったものですからお引き受けしました。私ごときには荷が重過ぎるのですが、なつめや書店から俳文堂に到る系譜について、知っている僅かなことでも書いておけば、きっと若いひとのなかから研究者が出てくると思うのです。

 「なまず」は元町の海文堂に置いてあるそうです。海事の担当者が昔私と一緒に仕事(コーベブックスか)をしていたそうですが、お名前はじめ詳細は分かりません。立ち寄られることがあれば確かめて頂けないでしょうか。ちなみに「なまず」の連絡先は(神戸市長田区東尻池町1-11-4 神港金属)です。あなたのことは伝えておきます。もっとも、尻池のなまずじゃ、油臭くて喰えませんよ。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月11日 00:06 | 固定ページリンク





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