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このところ、以前からのフードは「肴あったりなかったり」へまとめ、黒板は居酒屋メニューに書き換えた。赤海老、つぶ貝、下足酢味噌、ハラス、鰻蒲、鰤照、鰈フライ、烏賊飯の類いだが、週二回はご新規さんが加わっている。ちなみに、今日は道産の鯣烏賊と千葉のめじ鮪の刺身が入荷した。それを知ってかしらいでか、金沢の虚無さんこと河崎徹さんからヤマメの佃煮が送られてきた。このての佃煮は砂糖や味醂の使いすぎで甘いものが多い。しかし、送られてきたものは甘味が抑えられ、ヤマメの苦みが生かされている。要するに滅法美味いのである。去年、勝井さんから送られてきた泥鰌の蒲焼もそうだったが、燗酒が無性に呑みたくなる、そんな趣が秘められている。管理人のひろさんが早速製造元の住所を控えていった。どうやら注文するようである。
河崎さんは当掲示板で三度ご登場いただいている。川魚料理「かわべ」のご亭主で、龜鳴屋主人勝井隆則さんの友である。「虚無さん」などと書いたのは他でもない。「イワナ売ります」と題された彼のサイトには落日を迎えた不良中年の咳きが満載である。人生への適応障害(河崎さんによると同障害は高貴な人しかかからないらしい)にある時はもたつき、またある時は虚勢を張って謳歌してみるといった塩梅で、投げ遣りな気配がサブリミナルのように鏤められている。
第一回の「読みたい奴は読め。わしゃ知らん」から第二十五回のタバコの話に至るまで、あかんたれ(関東のひとには分からない)と偉そうなこととが交錯する。悲しさとふてぶてしさが実を避け、虚をついての懸引きである。彼の律儀なまでの開き直りに接していると、虚無主義とは健気の謂いではなかったかと思われてくる。そうした彼の自意識のありように深く賛意を表したくなるのである。
文中、「『純文学の純とは何ぞや』、またいつもの悪いクセが出てきた。『純』があるのなら『不純』もあるのだろうか」とある。その伝でいけば「自意識」があるのなら「無意識」もあるのだろう、である。自意識が強ければこその適応障害であって、無意識なひとは終生適応障害とは縁がないのである。河崎さんの目線には屈折した価値観があり、彼の自意識こそが文学なのだと、私は信じている。
おもしろきかな 昨日 消したる初雪の朝
春なれど、なぜ咲き急ぐ 桜まで
老木なれど、まだやり直す気か、芽吹きの頃
何もかも 息を殺して 秋の暮れ
秋風に 負けじと鳴くか セミ一羽
蝶なれど 休むしぐさや 秋の風
セミしぐれ 咎めてみたし 過疎の村
釣れてよし 釣れずともよし 春の海
落つるとも 今美しきかな やぶ椿
上記は河崎さんの句である。「おもしろき」とか「美しき」は不用意な言葉だと思う。不用意とは習作の意である。けだし、彼の個がピンを刺すように正確に射留められている。彼の句を読むのは私の愉しみのひとつである。
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