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一考 | 曲肱の楽しみ

 西麻布の駐車場を拝借しているので、毎日乃木坂から赤坂まで地下鉄に乗っている。一駅なので乗車時間は二分ほど、従って扉の前で立っている。そしてドアに貼られた漢字検定のチラシを見るのを日々の愉しみにしている。今週のお題のひとつに譲与と剰余があった。
 愉しみにしていると書いたが、漢字が書けるかどうかはどうでもよいのであって、私が興じているのは連想である。日本語は漢字で書かれてしまうとそれまでだが、音だけだとさまざまなアナロジーが働く。アナロジーは,推論,説明,創造などさまざまな認知活動を支えているなどと書き出すと、これは管理人の専門領域に入り込む。昨今のコンピューターシミュレーションにおける抽象的知識(スキーマ)は手におえない。私が嵌まっているのは益体も無い気散じであって親父ギャグの類いである。
 例えば、辻潤は生涯贈与とは縁がなかったが、譲与のみで生計を立てた。バタイユはモースの贈与論から多くを学んだが、ブルトンが辻潤の譲与論からなにかを学べば、あそこまで権威主義に陥らなくても済んだのではなかったか……思うに、私の生活は辻潤のそれであって、ですぺら開店までの暮らし向きをひとことで要約するとヒモということになる……そもそも紐というものは強くて柔軟であらねばならない、そして独立した製品ではなく付属品にすぎない。ところで、私が誰の付属品であったかと言えば、いやいや、付属品が生意気に私などと主辞を用いてはいけない……
 大体このあたりでホームへ電車が辷り込む。そして店へ着くころにはなにを連想したかは忘れてしまっている。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月06日 20:57 | 固定ページリンク





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