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一考 | 紫陽花の死

 花ふたつ紫陽花青き月夜かな 鏡花

 昔、紫陽花が好きで鏡花を読むに至った。北野町や須磨のジェームズ山にはいくつもの洋館があって、庭にはかならず紫陽花が咲いていた。少年期、画筆を持って出掛けるのだが、眼目はつねに紫陽花であった。山本六三と出遇ったのも、そうした紫陽花詣での途次であった。六甲山にはわが国最古の額紫陽花が自生してい、六甲小学校の生徒の手によって株分けされ、毎年日本中へ送り届けられている。明石に住んでいた時はその額紫陽花を四株と玉紫陽花を四株殖えていた。紫陽花は栽培が易いのだが、大輪の花を思う色に咲かせるとなると、結構難儀である。下枝を利用して株立ちを助けなければ、直径三、四メートルのこんもりした紫陽花の花冠はできない。上部は捨て置いても大丈夫だが、下部には慎重な手入れが必要である。

 戸田の庭には紫陽花が植わっていた。先人が樹えた玉紫陽花と奥秩父から採ってきた山紫陽花である。後者は挿し木から四年を経てやっと大きな花を咲かせた。下枝の花を裁って枝を土に触れさせ、根付かせる機会が巡ってきたのである。来年には根と根のあいだが幹になって株が拡がる。さらに一年経てば、そちらの株からも多くの芽が出てくる。そうした手入れが十年繰り返されて小山のような花冠が完成する。
 ところが先日、下枝が一本残らず刈り込まれていた。重さで土に触れる花を不憫に思った薫子さんの為業である。言い争いになったが、たかが花のことで喧嘩はしたくない。暁方、鋸でもって紫陽花の根元を切断した。斬首された紫陽花の遺体は陽に晒されてやがて絶命する。「そこまでしなくても」と言われそうだが、それが私の流儀である。
 今後、犬を飼うことはない、金魚を育てることもない、そして薔薇に次いで紫陽花を植えることも二度とない。例えば、食事にしてからが、味付けで諍いになる可能性があるのなら、作るのも食するのも別々がよいと思う。同衾にしてからが同様で、したけりゃ一人で済ませればよい。たかが供御や肉体関係のことで喧嘩はしたくないのである。では何故に、連れ添いと暮らすのかと問われる。世の中には妻女には妻女の本質、つまり概念があるらしいが、それは私の知るところではない。私にとって連れ添いとは、いま選択した闘いを共に闘ってくれる戦友であり、死を見取る相方である。見取るのであって、間違っても看取るのではない。もし看取れば、個の領分を互いが侵すことになる。
 そもそもがどうだって、何だってよいのである。生れてきたのが不本意なら、死を迎えるのも不本意である。不本意だからこそ何だって構やしない、宛行扶持の人生を駈け抜けるまでのはなしである。宛行扶持と書いた理由はひとつ、選択はあっても、選択に自由はないからである。自由とは選択の領域を遠く超えたところにある。それ故、選択に際しての私の姿勢はちゃらんぽらんである。例え負け戦と分かっていても私は邁進する。ただし、元気はあっても、目的のない勇往邁進である。目標や理想はなにもないが、底部には私という存在に対する呪詛のような深い憎悪がある。

 さて、紫陽花の祟りで薫子さんが発熱し、店を休んでいる。紫陽花の祟りなら手を下した私にもたらされそうなものだが、取り憑かれたのは彼女である。思うに、立派な相方であり、戦友ではないだろうか。



投稿者: 一考    日時: 2006年06月29日 02:05 | 固定ページリンク





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