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一考 | オブセッション

 朝鮮支配と台湾の植民地化を目的とした1894年の日清戦争、翌1895年の閔妃殺害、韓国に乙巳保護条約を、中国に対華二十一箇条要求をつきつけた1904年の日露戦争、1919年の三・一独立運動の圧殺、1931年の柳条湖事件にはじまる満州侵略、1935年からの華北侵略、1937年の日中全面戦争、それら侵略戦争の結果としての真珠湾攻撃が1941年、日本の敗戦までの70年間にわたる軍事侵略や武断統治を引っくるめて自存自衛の闘いであったというならば笑止としか応えようがない。
 東アジアから東南アジア、太平洋地域一帯に対して行われた日本の軍事行動は米軍によって順次打破されていったが、私たちはアメリカ一国と闘ったのではない。いみじくも、日本の指導者層はさきの戦争を大東亜戦争と呼称した。文字通り、1874年の征韓外交から70年つづいた朝鮮侵犯と1931年の満州事変にはじまる日中十五年戦争の延長線上に太平洋戦争がある。総じて大東亜戦争と呼称してなんら問題は生じない。
 アジア諸民族の独立を促したとの異論もあるが、帝国主義の植民地体制を打破する重要な契機となったのは占領地域の民衆が抗日のための民族的な統一戦線を結成、武装抵抗を行ったところにあるのであって、日本は「帝国主義的植民地体制」の元締だったのである。
 ちょいと書き連ねてみたが、歴史というのは不思議なもので、項目の選択によっていかようにでも改竄できる。そこが文学と異なるところで、歴史にあっては選択が立場の闡明たりうるのである。だからこそ、中国には中国の、韓国には韓国の、日本には日本の歴史があるのであって、ある側面から眺めるにすべての歴史は正しいとも言える。言い換えれば、歴史とは作為的なものであって、無作為な歴史などというものは存在しない。いっそ歴史には真実がないと言った方が正鵠に当たるのかもしれない。

 天孫民族による世界統治こそ神聖至上なりとする八紘一宇の思想はあったものの、ドイツのナチ党やイタリアのファシスタ党に相応するファシズムは日本にはなかった。にもかかわらず、当時の指導者層は戦争を避けられなかった。国民の選民意識をマスコミが煽り、そのマスコミを国民がさらに煽る、そうした民意に突き上げられるかたちで富国強兵が加速され、戦争へ深入りして行ったのではなかったか、私はそのように解釈している。
 民衆が愚かであるかどうかとの設問の度に繰り返される事例がある。1905年のポーツマス講和条約の内容に国民(東京市民)が激怒し、小村寿太郎は飛礫をもって迎えられた。一方、1933年に国際連盟を退席した松岡洋右は「国民の溜飲を下げさせた」初めての外交官として、凱旋将軍のような歓迎を受けた。
 1899年末には発行部数が東京の新聞中第1位に達していた萬朝報は日露戦争開戦の折、非戦論を唱えていたものの、世間の流れが開戦に傾くにつれ、大きく発行部数を落とす。やがて、黒岩涙香が主戦論に転じるに及んで非戦を固持した幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三が退社。これを機に社業は傾き凋落の一途を辿ることになる。いかに大新聞といえども、開戦を唱和する民衆の前では形無しになる。(つづく)



投稿者: 一考    日時: 2006年08月31日 10:32 | 固定ページリンク





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