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一考 | 掲示板について

 掲示板とは申せ、いろんな種類のものがございます。よく承知しています。ただ、当掲示板はですぺらの宣伝板であり、広告塔なのです。従って、ですぺらもしくは店のスタッフに対する誹謗や中傷、勝手な憶測や邪推は許されません。私が許さないのです。どうあってもそうしたことを論議なさりたい方にはしかるべき掲示板がいくらでもございます。言論が国家権力によって封殺されるなら私も共に立ち上がります。しかし、意見を陳述なさる場所はいくらでもございます。ここはあくまで、ですぺらのお客さまとスタッフが語り合う、そしてシングル・モルトの情報や催し物をを告知するための掲示板です。ご覧になる自由はございます。しかし、書き込みには最低限のマナーと気配りを求めたく思います。

 2003年5月に上記のごとく書き込みました。思いはなにひとつ変わりません。発言の自由が問われるのは「言論が国家権力によって封殺された」ときだけです。民間の、況やネット上に発言の自由などという言葉はふさわしくありません。だって、そこらじゅうに自由が転がっているのですから。従って箇別の掲示板に自由の必要はありません。主宰者もしくは管理人が不愉快だと思えば遡ってでも全文を削除すればよろしいのであって、それが論議の対象になるなら本末顛倒です。たとえ管理人によって改竄が行われたとしても、それを問題にする側の姑息さこそ問われるべきだと思います。なぜなら、管理人は改竄によって整合性を付加しようとしたまでなのですから。
 足穂やバタイユのような作家はひとつの作品の書き直しに生涯を費やしました。改竄は文学におけるサブスタンスのようなものです。こころある作家は版を重ねるたびに修正や改訳を繰り返します。書きっぱなし、訳しっぱなしで捨て置くような姿勢こそが非難されるべきです。
 新陳代謝は自然の法則であって、ひともそれを逃れることはできません。おおよそは暫定的な存在なのです。いかに高名な作家であろうと百年もすれば忘れ去られます。われら凡人は死後二、三日もすればなにもかも忘れ去られてしまいます。同様に、掲示板における書き込みは文学でもなく、歴史でもなく、事実でもなく、資料ですらありません。掲示板をひっくるめてネットそのものはひとの存在に付随するものであって、メモや鉛筆や電話と同種の、ただし些か便利な道具に過ぎないのです。掲示板を私は簡易書簡と心得ています。だからこそ「最低限のマナーと気配り」が必要だと思うのです。不快感を抱きながら掲示板を続けるとなれば、それは人とものとの主客顛倒になります。
 当掲示板に詩についての書き込みがあろうとも、当掲示板は投稿欄ではないのです。そのような他人の理解を拒むような種類の書き込みに私は返事を認めません。掲示板に限りません、実生活の場であっても、それが不毛な対話であれば私は拒否します。たとえ相手が親兄弟や連れ添いや竹馬の友であろうとも、理不尽な言動、横暴な態度、さかしらな批判があれば即刻離別します。要するに思索のない対応であれば、それを私は許しません。
 今回、ですぺらへの誹謗中傷が書き込まれました。しかも、悪意に満ちたものです。もっとも、意味内容が理解できたはじめての書き込みだったのですが。いずれにせよ、それら書き込みをなさった方の人品の卑しさを物語るものとして捨て置くつもりです。そして私は掲示板というものへの接し方を一から考え直そうと思っています。
 以上、メールにお答えするのが面倒なので、こちらでまとめてご返事するということでご勘弁願います。この件に関して私のなかの不快感を増幅させる気はありません。それ故、少なくとも私にとってはこれですべてお仕舞い。



投稿者: 一考    日時: 2004年08月30日 18:46 | 固定ページリンク





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