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芳賀啓 | 多摩地形図

 いかなる物語も、人の生死も、場所を伴っている。地図はひとつの言い方をすれば「神の掌」であって、何人といえどもその視線を逃れることができない。
 世にあるものは場所を脱し得ず、ついに地図から逃れられない。場所とは空間の一面ながら、ひとつひとつの所業の在処を直接指し示す。地図とは、場所を指し示すものすべての謂いである。そうしてまた、地図は時間をも指し示す。たとえそれが錯誤や歪曲を伴っていたとしても、時間は逃れようなく地図に付帯する。
 かつての現世を反映した古い地図が、出版物として世に役立ち得るためには、図葉ごとに三層の装置が不可欠であると考えている。
 ひとつは、地図の内部に記載されている言葉の一覧、すなわち注記分類索引。ひとつは、それ自身の点検のために比較されるべき、信頼できる現在の地図。そして最後のひとつは、地図を解析するヒントとなる、一連の、外部からの言葉(いわゆる解説)である。
 地図は基本的に図(イメージ)であって、言葉の世界の序列に属さない。しかし言葉の世界の外部を指し示すためにも、地図は言葉を必要とする。言葉も、その原形質はイメージにほかならないからである。
 互いに位相を異にする図と言葉の相克、あるいは相補。オーストリアの社会哲学者ノイラートの『絵とき人類史』シリーズを念頭に置きながら、地図史料出版の「標準」を摸索した。古い地図は、そのままでは情報の原石にすぎないのである。
 原石の研磨剤は記録としての言葉である。各市町村史、とりわけ地図が作成された、大正末期の三年間の記述をできるだけ丹念に拾い、場所にふりわけ、要約して綴っていった。しかしながら当然にも、地域の外部者の作業としては限界がある。最後の段階で、多くの方々に点検と教示を仰ぎ漸くに本書は一人前の身づくろいをして世に出ることになったのである。
 地図に入りこむための言葉を紡ぎながら、地図自身が雄弁に語りだす局面に出会った。「人跡は水跡に沿う」とでも言うのだろうか。江戸時代からの用水路・玉川上水以前、開拓前線は一般に水路や川を遡行していたし、また湧水点は遺物の出土地点と接するのである。建物群が等高線を覆い隠す以前の「地形」図の威力であった。また、地図が直接指し示す景観史という言葉に並行して、景音史もありえるのだった。
 田無(西東京市)の「谷戸のブウブウ」とは、中島飛行機のエンジン試験工場の謂いで、十五年戦争期は四六時中の大騒音だったという。昭和九(一九三四)年に南沢に引っ越してきた自由学園とは、一キロも離れていなかったのである。工場ばかりでなく、号令やサイレン、自動車の警笛や爆撃音、呼子やラジオの音、叫び声は、それまで桑畑と雑木林を風をわたっていた多摩地域の音の景観を確実に塗り替えたのである。
 立川が軍都だったとすれば、それはまた音の都でもあった。後世に遺されることのなかったさまざまの音もまた、目を凝らせば図柄の間からそのいくつかを聴きとることができるのである。例えば、サーベルと拳銃が交叉した憲兵隊本部の記号からも。
 衰えんとして、再び活気を帯びた音もある。水車は戦争末期の電力制限によって動力源として見直され、一時盛んに用いられたのだという。のどかなゴトン、ゴトンの響きは、サイレンや爆音と共存する折があった。
 一見、元気そうな音も朝の風に混じっていた。疎開してきた子どもたちが、宿泊先の寺や農家の蚕室から、隊伍を組んで所定の国民学校に向かうときに歌うことになっていた軍歌の類。
 戦争末期の桑や松などの樹木の運命とその残照についても、解説に盛り遺したことがある。しかし、いつまでも地図が抱え込まれていてよいわけがない。この本の刊行がひとつの契機となって、私たちの生きる社会の基層が、その具体相において発掘されることを念ずるばかりである。
                  (二〇〇四年六月十日 東京新聞・夕刊)

 之潮ホームページhttp://www.collegio.jp/
 メールアドレスinfo@collegio.jp

 芳賀啓さんが営まれる之潮(Collegio)の第一回刊本ができあがりました。大日本帝国陸地測量部と都市計画東京地方委員会によって、戦時都市計画のため空中写真測量により作成された東京西郊の3000分の1地形図をまとめたもの。書店にはおろさず直接販売のみ。『多摩地形図』清水靖夫編・菊四裁版・原図162葉収録・限定300部・価格49350円。
 案内パンフレットには「編集余滴」と題する文章が掲げられているが、それは東京新聞所収の文を補訂せしもの。地図に対する芳賀さんの熱い思いと氏一流の地図論が簡潔に著されている。芳賀さんの許可を得てここに元稿を転載する。
 ですぺらでお会いなさった方も多いと思うが、改めて略歴を掲げておく。
 1949年仙台生まれ。早稲田大学法学部中退。柏書房社長を一昨年10月に退任後、之潮(コレジオ)を興す。著書に「身體地圖」(深夜叢書社)がある。(一考記)



投稿者: 芳賀啓    日時: 2004年08月15日 21:48 | 固定ページリンク





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