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エス | シェイクスピア一考

いまはシェイクスピアが平井呈一氏や齋藤磯雄氏の雅文による翻訳にぴったりの作家だとは私は思っていません。「実際に、読んでみれば」(ただし逍遥を筆頭にどの翻訳もいいとは思えません)、英文学といえばシェイクスピア、といったようなお子様向けの作家ではないことがわかると思います。同じことばっかり言っているような英文学者たちのくだらないシェイクスピア解説はいざ知らず、そしてブルトンが何と言おうが、シェイクスピアが「シュルレアリスト」だとは私は思っておりません。シェイクスピアは、語の最も危険で過激な意味で「古典」です。(誤解のないように言っておきますが、私は現代のいかなるシェィクスピア劇にも何の関心もありません。)
シェイクスピアは徹底的な「バロック」であり、その点ではジョン・ダンや貴兄のおっしゃる「虚無主義」に近いのかもしれません。実際、「人生は白痴の語る戯言」だと語るマクベスの言葉に反論できるとは私は思っておりません。
それに私はもうかつての「異端の系譜」など信じてはいません。ブルトンのお題目だった、正面を向いてボケてしまったような小ロマン派などよりも、ダンテやシェイクスピアやシャトーブリアンの方が私にとって遥かに本質的な作家になりました。「異端」という言葉をもっと神学的に、厳密に解するならば、もはやこの言葉は大した意味をなさなくなります。
ダンテ‐シェイクスピア‐ロートレアモン…、というわけです。この系譜にアルトーやベケットやバロウズを付け加えることだって可能です。
まぁ、私の独り言ですが…



投稿者: エス    日時: 2006年12月12日 09:42 | 固定ページリンク





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