ですぺら
ですぺら掲示板1.0
1.0





« 前の記事「泥鰌 その2」 | | 次の記事「神戸の泥鰌屋」 »

高遠弘美 | 舌莫迦の身にして

泥鰌(鰌)について、皆さんご存じと思ひますが、喜田川守貞『近世風俗志』(私の持つてゐる版は明治41年刊。1908年)には、以下のごとき記述があります。余計なことと思ひつつ。漢字は新字にしました。

「どじやう昔は丸煮と云て全体のまま臓腑をも去ず 味噌汁に入れ鰌汁と云 三都専之を食す 京阪は是亦生洲等にて兼売る
江戸は葺屋町川岸堺屋某 龍閑橋 数寄屋橋 御門外 等鰌汁鯨汁に名あり又全体のまま醤油煮付にしたるを丸煮と云 蓋し丸煮は骨抜きありて後の名なるべし 鰌汁鯨汁ともに一椀十六文 鰌鍋四十八文也 骨抜鰌鍋の始は文政初め此江戸南伝馬町三丁目の裡店に住居せる万屋某と云者鰌を裂て骨首及び臓腑を去り鍋煮にして売る 其後天保初此横山同朋町にて是も裡店住の四畳許の所を客席として売り始め 家号を柳川と云 其後横山町二丁目新道表店に移り大に行はれ今に存在す」 

そのすぐ横には骨抜鰌鍋の図といふものが載つてゐます。説明は以下のごとし。

「二重土鍋也 上の鍋浅くし是に鰌を入る 二重土鍋をかさね蓋置きたる図此ごとし 一鍋二百文を専とす 蓋底には笹掻牛蒡を敷き其上に菊花の如く鰌をならべ鶏卵閉にする也 下の土鍋には沸湯を入れ席上冷ざるに備へ且形深く外見乏からざるが如くするの意あり」

けふはここにて



投稿者: 高遠弘美    日時: 2004年06月27日 01:00 | 固定ページリンク





« 前の記事「泥鰌 その2」 | | 次の記事「神戸の泥鰌屋」 »

ですぺら
トップへ
掲示板1.0
トップへ
掲示板2.0
トップへ


メール窓口
トップページへ戻る