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一考 | 

 中学校を出てバーで働いたのだが、何事に寄らず規制を受けるのが嫌だった。黒の上下に蝶ネクタイの装束(いでたち)が我慢ならず、愚図っていたところ、一番奥のカウンターから声が掛かった。「嫌なものは仕方ないけん、こっちゃで賄いでもやれ」声の主の角田さんから三年間、洋食と喧嘩の基礎をみっちり仕込まれた。
 実は彼とは中学一年生のときからの付きあいである。福原でも名うての武闘派(やんちゃん)で、その道のプロからも一目置かれる角田さんに喧嘩を売り、一撃で伸された記憶がある。弟子入りしてから聞かされたのだが、空手四段とのことであった。
 薫子さんが目を丸くしているが、ブロックの肉を百五十グラム、二百グラムと言われるがままに狂いなく切り分けられるのは彼の仕込みである。一本の食パンを四ミリとか五ミリとか指定通りにしかも正確に直角に切り揃える、余所見をしながらキャベツのせん切りが刻める、両手にフライパンを持って異なる具材を同時に炒められるようになったのも、彼のしつけの賜物である。
 私は妙な精神主義が子供のころから大嫌いである。彼はそれを承知していた、しかし「気合いじゃけん」「気合いが入っとらんけん」とはよく言われた。それは調理で怪我をするなとの注意であり、そのための掛け声であった。沸騰した湯や飛び散った油が手に掛かるのは毎度である。それを気にしていては仕事が捗らない。そして気合いが入っていれば百五~六十度の油に指先が二~三センチ入っても火傷をしないのである。あれは掛け声というよりは呪文のようなものだったのかもしれない。
 三年後、彼は「教えることはもう何もないけん」と言って、隣の割烹の板長だった石田さんを私に紹介した。それからの六年間、さまざまな地魚や前物との格闘が続くのである。

 そんなことを思い出したのは、昨日、右手にボタンほどの火傷を負ったからである。私は自分の身体が火傷をするなどと思っていなかったのである。油が飛んだのは知っていたが、捨て置いて問題なしと信じていた。それが翌日には水ぶくれになったのである。いくらなんでも水ぶくれは恰好がよろしくないので、皮膚を包丁で切ってバンドエイドを張った。しかしながら、どう思案しても気持ちの整理がつかない。
 またまた、薫子さんが目を丸くして「あら、嫌だ、老人になったのね」。彼女に言わせると、皮膚が油を弾かなくなって、油を吸い取ってしまったらしい。火傷の主たる要因は皮膚が皮膚自体の油分を失い、枯れてしまったところにあるらしい。それを端的に表現すると「爺」なのだそうである。



投稿者: 一考    日時: 2006年09月05日 22:37 | 固定ページリンク





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