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五月三十一日は吉岡実さんの十三回忌でした。私は都合で出席できなかったのですが、当日「赤鴉」と題する詩集が参加者に配られました。発行所は弧木洞、限定七十二部の配り本ですから、一般への頒布は御座いません。ご送付くださった吉岡陽子さんに感謝致します。
同書に附された吉岡陽子さんの「覚書」には「元となったものは、若い吉岡実が、B五版の原稿用紙にペンで清書をしたもので、赤いクロスの厚表紙で製本し、背に横書きで『詩集 赤鴉 吉岡実』と黒く箔押ししてありました。作品に付された日付から、昭和十三年から十五年初めにかけて書かれたものと思われます」と著されています。
「戯欷」「奴草」の二部構成になっていますが、後者は句集で、前記稿本に含まれていない句作と共に近く形を改めて刊行の予定とか。楽しみな一本です。
同じ五月三十一日に書肆山田から秋本幸人さんの「吉岡実アラベスク」が上梓されました。四百九十頁に及ぶ大冊であり、実に多様なアプローチが繰り返しなされています。
「詩でね、変わらない詩人がたくさんいるでしょ。ぼくはやっぱり、絶えず変わりたい。(中略)そうありたいのね。ありたいってことが真実なのか自然なのかわからないんだけどね。やっぱり百年一日同じ詩を書く人も偉いと思うんだけど、ぼくたちは、すべて考えも変わり、環境も変わる。やっぱり変わらざるをえないという感じね」との吉岡さんの言葉をキーワードに、吉岡詩の変遷をたどった「吉岡実の《引用詩》」と「吉岡実晩年の詩境」は特に圧巻。
死後すっかり現代詩の舞台から忘れ去られた感のある吉岡実さんへの処遇に、かねてより義憤を覚えていた私には最良の贈り物となりました。
私自身かつて「括弧で括られた〈引用〉への旅」との文章を著したことが御座います。吉岡実さんへの追憶なのですが、一部分を引用して吉岡さんを偲びたく思います。
柳田国男のいう「俳諧の功力」を抜きにして吉岡詩は語られない。荘周の哲理を何もかも承知の上でおどけとパロディの「俳」に焼き直した松尾芭蕉。その芭蕉を回向し直して上前をはね、大胆この上ない「崇高な諧謔」を示唆した西脇順三郎。また金沢で出会った内藤丈草と夢の共喰いに狂じ、蓑笠をかぶった諺をひねって逝った滝口修造。そして〈引用〉という相互浸透の逆戻りのきかない流れのなかに身を置くことによって、「僧侶」の詩人という貌を剥ぎとり、原形質としての詩人を立ち昇らせようとした吉岡実。彼らにとって、詩とは機知であり、ウィットであり、イロニイであり、パラドックスであり、そして俳であった。
吉岡実が換骨奪胎の名手であるという点については、おそらく誰しも異存のないところであろう。そしてその萌芽は『サフラン摘み』に収められた「ルイス・キャロルを探す方法」「『アリス』狩り」「示影針」などに容易に見てとられる。また時を同じくして吉岡実は『耕衣百句』を編纂する。この秀句選を手掛けることによって、相互浸透の手法を骨肉化していったものと、私は解釈している。この手法は後に『土方巽頌』という美事なコラージュ集を生む。
ジャンルとは芸術家の背後にあるもの、彼の前にあるものではないと著したのはチボーデだが、吉岡実もまた、括弧で括られた〈引用〉の活用によって、すべての垣根を取り払い、自在な伸縮という新しい属性を言葉にもたらしたのである。〈引用〉されるものは必ずしも他者の言葉、すなわち作品とは限らない。絵画や音楽のタイトル、歴史や民俗学の断片、出典不明の文言、手を加えられもしくは新たに書き直された箴言、そしてかつて著された自らの作品までもが一人歩きし、勝手気ままに出入りする。括弧で括られた〈引用〉への旅、それは内と外との弁証法、すなわち〈内面性と膨張の弁証法〉に他ならない。〈俳に濡れそぼつシュルレアリスト〉吉岡実は晩年『サフラン摘み』から『夏の宴』『薬玉』を経て『ムーンドロップ』に至る四冊の詩集を遺した。それはわが邦において、ついぞ見かけることのなかった新たな詩の誕生を明示している。土方巽の言葉を借用すれば、吉岡実の詩はまさに命がけで突っ立った碑(いしぶみ)であり、オブジェと化した観念そのものであった。
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