ですぺら
ですぺら掲示板1.0
1.0





« 前の記事「瓦版なまず」 | | 次の記事「片頭痛」 »

一考 | 驕子綺唱の跋

  跋
 友よ、詩冊子「孟夏飛霜」の上木を賀ふてから、もう六たび裘葛(葛[第1水準1-19-75]は誤字、つくりは曷が正しい)を易へる。すると、我々の交遊も、もう六年の余になる。この六年間は、私にとって、君を別にしては洵に短く、君を交へては洵に長い。世の常の春秋に満しきれぬ思ひ出が、私の胸に残されてゐるからである。
 君が華かな鹿島立も、ひきつゞく現身(うつそみ)の憂に心を夷(やぶ)り、途次(みちすがら)、更には(さんずい偏に霸)橋驢上の閑日月を得さしめず、この六年間の、君の焦思とでう(をんな偏に堯)悩と憂磋とは、いくたび私の腸を断しめた事だ。そして、君は一度ならず詩藁を火中して、詩文を棄てようとまでした。呼、しかし、友よ、君は詩を忘れることは出来なかった。生命(いのち)にかけて忘れ得なかつたのだ。
 その思ひ出が、うれひ(立心偏に潛・僭のつくり)てはれう(立心偏に摎・樛・膠のつくり)然と私の心を逼脅(おびやか)した思ひ出の狭霧が、次第に霽れて、春闌(た)ける故園(ふるさと)の日光(ひかげ)の様な閑(しづ)かな欣びに腕(かひな)をのべて、君は、君の「驕子綺唱」は、今私の眼晴(まなこ)を煌かに差含(さしぐ)ましめる。
 曩に、「孟夏飛霜」を繙いて、金石の声に耳を欹てた人々は、うち易つた君の詩の相姿(すがた)に愕きの晴(め)をみは(目偏に崢・淨のつくり)るであらう。しかし、だれが知らう、今君が愛妻(はしづま)と向ふ夕餉の明るい燈火(ほかげ)もかつては人生の渦潮(うづしほ)の底(そこひ)に眺めて、蒼りやう(にすい偏に涼のつくり)たる月光(つきかげ)であつたことを。
 友よ、詩霄に天馬(ペガスス)を翔(か)る奔情と、法利賽(パリサイ)の徒と共に生き得ぬ資霊とは、君をして自ら世に乖き、人に孤れ、夙くもけん(め偏に絹のつくり)然として定業を直視せしめた。そして、君の情火が綜ゆる坎か(つち偏に珂のつくり)を灼きつくして、その灰の中から、君が、君の詩が、フエニツクスの如く甦つて来たのだ。茲に私は、君の詩が既に宿命に約束せられた、本然の格調に臻つたことを信ずる。
 嘗て、天狼の冷光に悲哀を矜つた心の傷みが、今、なごやかな幸多い日ざしのなかにも憂れたげな蔭翳(かげ)を落して、君の眼差を曇らすとき、古い夢の奥(おくが)に燎える、始元の霊火が、君の詩魂をして、永劫の寂寥を趁しめる。
 かくて、寥亮の伊吹の、一陣の秋風となつて、詩藁の白きに帰る日まで、友よ、君の稟賦の円熟と共に、君の詩の赴くべき定命を竭さしめよと祈る。
  戊辰夏七月
          龍謄寺 旻

 平井功の「驕子綺唱」に附された龍謄寺旻の跋文である。天才少年と謳われた平井の尖った詩が二十歳をこえて枯淡の域に達してゆく、その辺りの消息と龍謄寺の功への篤い友誼が見て取られる。
 ゆかりやよしみを描くなら他に方法があるだろうにと思う。ここまで強面を張られると、意地でも裏を探りたくなる。探れば内容の乏しさが陽に透かされる。言出し兵衛は私なのでなにも言えないが、このような文章を読むと切なくなってくる。



投稿者: 一考    日時: 2006年10月16日 22:39 | 固定ページリンク





« 前の記事「瓦版なまず」 | | 次の記事「片頭痛」 »

ですぺら
トップへ
掲示板1.0
トップへ
掲示板2.0
トップへ


メール窓口
トップページへ戻る