ですぺら
ですぺら掲示板1.0
1.0





« 前の記事「郡司正勝さんの句集」 | | 次の記事「恐縮です。」 »

一考 | 不実な友より

 moondialさんへ
 吉岡実さんの「サフラン摘み」は限定五部でした。自分の過去の仕事には未練も興味もありません。従って、現在では蔵していません。過ぎ去ったことは過ぎ去ったことにしか過ぎず、過去の栄光ないしは虚名にすがって生きるには私の精神は若すぎます。もっとも、いささか頑迷、というよりはわがままな部分があるのは認めますが。
 明日はまた一日馬齢を重ねることになります。今日、たったいまがもっとも若いのです。ですから一日一日に新たな迷いが逡巡が立ち顕われます。過去の肩書きを消す、どなたかの詩ではありませんが、消しゴムで自らの人生を消して歩くように生きたいと願っているのです。あいつはいろんなことをしてきたが、考えてみればなにも残さなかった。ひょっとしたら、なにもしていなかったのではないか。そう人から云われるようになりたいものです。
 とは申せ、七顛八倒の醜態を晒しながら死んでゆくのかもしれません。まあ、先行きはどうでもよろしいのです。ただただ、今のために生きているのであって、明日のために生きているのではないのですから。
 私はI田と喧嘩をして以来、二度と友は持つまいと努めてきました。そのこだわりを狂わせ、突き崩したのが横須賀さんでした。いまなお、彼のおもかげが眼前をよぎります。ふと店で泣き出すことがあるのです。友であることと友でないこととのあいだに明確な境界線は引けません。あくまで相対的なものなのです。それゆえ、私なりの概念をでっち上げようとして当掲示板と格闘してきました。概念とは物思いに耽っているときに浮かんでは消える泡沫のようなものです。ごろんとそこに転がっているようなものではないのです。概念は流動的であるがゆえに、しばしば破綻をきたします。破綻に逢着したとき、ひとしれず私は涙を流します。
 掲示板でも書き継いできましたが、貴方は神戸における唯一の友なのです。もっとも、友との表現が貴方に対して傲慢でなければのはなしですが。そして、その傲慢についてもさまざまな視点から反芻を繰り返しています。強気になったり、弱気になったりの繰り返しで、とどまるところがないのです。ご指摘の「定点を持たない」とは自信のなさを偏に表現したまでであって、自らの至らない部分、恥部を恰好よくちょろまかす術にいささか闌けているという、ただそれだけのこと。それゆえ、貴方からファンレターが送られたりスーパーアイドルなどと云われると、生きていてよかったなあと思い、俗人に立ち戻るのです。貴方の前でなら、ちょいとはいい恰好が出来るかなあ、「すごいだろう」って自慢できるかなあ、意地も見栄も張れるかなあって、それでしょう、そこだけでしょう、友の利用価値って。
 あなたの情けにはずっと感謝しつづけているのです。ですから、貴方からパソコンの手ほどきを受けた際、ファイルメーカーで拵えた出版物と著作のリスト、ペンネームで出した書物(内緒ですよ)もお渡しした記憶があるのですが、あれも夢だったのかしら。ひとりぐらい証人がいてもいいやとの私の俗物根性がそれをさせたのですが、再度お送りしましょうか。
 掲示板が再開されたとき、山本六三についての一文を載せましたが、それとは異なる50枚の稿を書きはじめました。こちらの締め切りは1月15日、薫子さんの文体云々はそのことです。はなしは変わりますが、このところ、また酒が飲めるようになりました。新宿で立て続けにウィスキーを一本開けました。忙しいと酒も底なしになるようです。そのウィスキーのはなしを12月6日発売の「料理王国」に書きました。10日発売の酒井潔の「悪魔学大全2」(学研M文庫)には解説を著しました。同じく10日に匿名の本が出版されますが、こちらは高価な本であり一般の書店には出回らないのでお送りいたします。どうかよろしく。



投稿者: 一考    日時: 2003年11月28日 19:33 | 固定ページリンク





« 前の記事「郡司正勝さんの句集」 | | 次の記事「恐縮です。」 »

ですぺら
トップへ
掲示板1.0
トップへ
掲示板2.0
トップへ


メール窓口
トップページへ戻る