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一考 | 人をだしにする術

 高坂さんへ
 フィクションであれ、ノンフィクションであれ、文学における作品の出来不出来はジャンルを問いません。逆に言えば、俳句であれ、短歌であれ、私小説であれ、ホラーであれ、ミステリーであれ、選れたものがよろしいのであって、読むに堪えないものはジャンルの如何を問わず駄目ということになります。ちなみに、私が結構な作品と認めるのは、その作品に作者の肉声すなわち志があるかどうか、言い換えれば、思想なり哲学なりが在するかどうかという一点に尽きます。
 澁澤龍彦さんについて「一切の観念もしくは形而上学を過価なるものとして嗤い飛ばしてやまなかった。その精神の軌跡は思いもかけぬ領域、例えばドゥルーズの流動の相と通底するような趣さえ感じさせる」と先頃加藤郁乎さんの本の解説で著しましたが、この万物を「過価なるもの」とする潔い姿勢に私は思想を視るのです。哲学という行為もしくは運動のエネルギー源は自らへの懐疑でしかありません。
 自らを信じ、もしくは自ら肯うところのものを信じ、言葉を換えるなら、拠ってたつ規範を信じる人や必要とする人、さらに言えば、自らの存在に意味や意義があると思うような人を私は俗物として退けます。例えば読書の対象が俳句のみ、ミステリーのみというような人はまさか居ないでしょうが、もし居られるとしたらその方々も同じ意味合いにおいて私は忌み嫌います。これは自らを要約してみせるような人にも同様のことが言えるでしょう。
 繰り返しますが、文学作品としての鑑賞に堪えるかどうかがすべてに優先されます。その作品がいかなるジャンルに属するかはどうでもよいことなのではないでしょうか。人も同様で、失意と懐疑というふるいによってその人がいかに風通しのよいデタラメな人品の持ち主に成り果せるかが問われるのであって、職種や職歴が問われるのではありません。
 以上、人にかこつけて自分の心情を吐露するのが、私のもっとも得意とするところなのです。悪しからず。 



投稿者: 一考    日時: 2001年10月17日 05:00 | 固定ページリンク





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