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一考 | 本と女は中古に限る

 moonさんへ

 「寸鉄人を刺す」との警句がありますが、「寸肉菊を刺す」では絵になりますまい。と言って「熟れ茄子の」の茂吉先生の自信には些か睥睨させられるものの、かかる同性愛者のけぶれるような情緒は理解できる気がします。かつて、鴻池御殿におわします天皇陛下は朝立ちをご利用なさって御子をもうけなすったとか、朝立ちの威力に吃驚仰天致したのは、なにも私だけではありますまい。思うにナニは早朝致すものにして、夕刻はひたすら飲み続けるべし。徹宵痛飲、長夜燕歌とはよく申したもので、これら総てが前偽ならぬ、前戯ではなかったか。御貴殿も潔くコトを諦め鏡花党に改宗、朝でもなく昼でもない東雲の刹那に成就なさるよう願い奉り候。
 もっとも、私なんざあ、まだまだ現役でして、洗濯屋ならぬ「ザマーミロ健ちゃん」で御座います。ノヴァーリスの日記と断腸亭日乗では意味が異なりますが、白いモノが飛び交うロケーションは同じ。大向こうを張ってチカチカ輝く星印を天文学的数値にまで高めなければと、刻苦勉励の日々を送っております。
 「健ちゃん」が誕生するずっと前に「風たちぬ」との名作あり。ジェーン颱風だか伊勢湾颱風だか忘れましたが、木の葉のように舞う小舟がヒントになったと、これはバイロスやアラステアを京都に持ち込んだ舞子のエラーイ先生から聞き及びしこと。私にはそれよりも、船縁に脚の親指を掛けてのオイッチ、ニー、サンの方が衝撃。幼少の砌、横目で学びしものに廓でのモーニング体操あり。障子の桟を用いて同様の技を競い合います。障子がガタつけば失格。音もなく、声もなく、ひたすら女人の洩らす糸の如き溜息と妍冶にのたうつ姿態。私の脳裏に焼き付いたのはそんなものばかりで御座いました。
 貴方の古里である中国は流石に歴史と伝統を重んじる国柄。腰を振るなどという野暮は下賤の行い、貴きお方は寄せては返す括約筋のうねりのみにて成仏なされるとか。当然、男の側も相方の蠕動に合わせて自らのモノを痙攣させねばなりません。男女共に然るべき習熟が必要で、鍛錬を重ねなければ、かような境地に達するのは難しかろうと思われます。これ今時の風俗のネエチャンに聞かせたい話ですね。
 私が年端もいかぬ女性に一切興味を無くしたのは、かような行為に対する彼女たちの思い込み、言い換えれば、腰は振るもの振られるものとの浅薄な一つ覚えに愛想が尽きたからに他ならないのです。ささやかな経験すら持たず積まずに男の性の有り様を決め付ける、その高飛車な態度が鼻持ちならなかったとも申せましょうか。いずれにせよ、若さ以外売りのないようなショボイ女のために汗なんぞかけますか。なんて言っちまえば当方の傲慢無礼が問われます。男女同罪、時勢のせいにしても何も始まりませんが、要はそういう種類の知識に重きを置かなくなったということなのでしょうね。
 「本と女は中古に限る、比されてこその存在よ」との信仰にも似た感慨を私が抱くに至った理由を述べました。蛇足ながら前段の読みはちゅうぶる、後段は、かの人はああだったこうだったと過去連れ添いし御仁と十二分に比較されてこそ、はじめて当方に立つ瀬有りとの意です。些かマゾヒスティックな趣向ですが、プラトニックとは本来受動的なもの、精神すなわち逡巡を伴わない性愛など毒にも薬にもなりますまい。
 渡仏中の御邪魔ビンラディンさんや比呂さんのように、韜晦もしくは衒いでロリコンを任じるのは理解出来るのですが、本音であれば、それは所有欲、独占欲を表明するに等しいのです。だとすれば、能動的な男性の性を掛け値なしに是認したに過ぎず、上述した茂吉の受け身としての性愛構造とは永遠にまみえることはなかろうと思います。尋常な御仁にあらぬ同情、あらぬ憐憫は大きなお世話、詮無いことと分かってはいても愚痴のひとつも零したくなる。いやはや、文学を読むとはかくも因果な迷惑メールを綴ることに他ならないのでしょうか。……捨て置けばいつまで続く綴り方。  



投稿者: 一考    日時: 2001年10月31日 02:03 | 固定ページリンク





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