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一考 | 種村季弘特集号

 「現代詩手帖」に連載された「ナンセンス詩人の肖像」や「映画芸術」に掲げられた諸エッセイを繙き、手に汗を握った六十年代後半の日々を思い出します。時はうつろい、種村季弘さんの特集号を編む羽目に陥りました。手に汗ならよろしいのですが、至らぬが故に冷や汗をかくは必定、大方の寛恕を乞う次第です。

 別冊幻想文学「種村季弘の箱」の編輯に託けて上記にはじまる駄文を連ねました。拙文をなぞりながらの捕捉を少々。
 青春の日々、種村さんと酌み交わせし数多なる美酒を宴を思い起こします、ある時は神戸で、ある時は大阪で、またある時は京都で。宴と申しましたが、過激なそして冷酷な眼差しとなりふりに私がごときは最初は懼れおののくばかりでした。ある日、ひとつの主辞に対して、賓辞を天文学的数値にまで高める、言い換えれば、雨後の筍のようにひしめきあう二項対立、ありとある弁証法が仲良くあるいは仲悪しく共存するささくれ立った球形の宇宙、ある種いびつな球体感覚のようなことを種村さんが呟きはじめました。
 「いざりにならなきゃ駄目だよ、いざりに」「未練を断ち切らなきゃ駄目だよ。そうでなきゃあ、ものは著せないよ」「書くことだけが生きることなんだよ」気付かない内に、種村さんは「情念や怨恨とのクリンチで陰々滅々とのたうち回る」俗世間からの脱出を、解放を身を挺して教えて下さっていたのです、拙い存在への憐憫を込めて。
 自らへの同情を憚り斟酌を差し控える、即ち未練未酌のなさを唯一手懸かりにする他、生き残る術のないことを繰り返し繰り返し、種村さんはお教え下さったのです。
 かの日の結論は「君、風通しだよ、風通し・・・」。それが今回の特集号のテーマとなりました。怪人タネラムネラ、百面相タネラムネラが按配よく風に乗じて舞台を擦り抜けましたかどうか。編者へのご意見、ご叱責等、お聞かせ頂ければ幸甚に存じます。



投稿者: 一考    日時: 2002年04月01日 22:23 | 固定ページリンク





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