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渡邉一考 | 追悼


 もっとも知りたくない、触れたくない事態に逢着致しました。横須賀功光さんの指折り
数えての死。そして今回の遁走と申すべきなのでしょうか、人生を疾駆した佐々木絢子さ
んの唐突の死。深い慟哭に襲われつ、いまの私にはなにも考えられないのです。誕生日を
四日後にして、絢子さんは25歳で歩みを止めました。その彼女の遁走をいかに解釈し、い
かに言い聞かせ、余人に伝えればよろしいのか、いよよますます「自分」がわからなくな
るのです。
 私にはこころを癒そうなどという考えはもうとうありません。ひとはみな、こころのな
かに病いをひそめているのですから。それゆえ、彼女の死から、彼女の選択から何を読み
とり、いかに読み換えるか。おそらく「この世で唯一有効と思われる選択」を選び取った
彼女の畏れと飛翔、その駈け抜ける意志力を目前にして、軽佻浮薄な私ごときはただ首を
垂れるの他、なすすべとてないのです。
 ただ、絢子さんの精神とその生き方から、私の頭のなかでは、私が23歳の年の11月25日
に遭遇した事件が思い起こされてならないのです。彼女は他動的な生を拒否し、老いも他
動的と言い続けてきました。だからこそ、毎日ダンベルを持ち、身体を鍛え、造り上げて
きたのです。純度の高い無償の愛を求めて、頑是ない子供のような無垢なこころで、とも
すれば挫けそうになるこころと、肉体と闘っていました。「美よりも速く走る」とはジャ
ン・コクトーの言葉ですが、彼女もまたストップモーションするために命を絶ちました。
間違いなく、彼女の人生には道徳が、そしてドラマがありました。「知的なものを感覚的
にあらわし、精神的なものを肉体化して定着する」それが彼女における最高の道徳だった
のだと思います。

 ですぺら掲示板はお手伝い下さった絢子さんへの恩を仇で返すような仕儀になってしま
いました。これが掲示板の限界点と知りました。本来なら棺のなかで共に消滅するはずだ
った哲さんの文章で、ですぺら掲示板の役目のひとつは終わったと思っております。
 今回の件では、ヴァレリー・ラルボーのいう〈教養人〉が表現者の世界にすら滅多にい
ないということを再認識させられました。知性とは気配りの謂であり、思索とは逡巡の、
懐疑の謂ではないかと信じ、そのことだけを掲示板で書き続けてきたつもりだったのです
が。悲しいことでございます。
 掲示板は当分のあいだ私の日記のような変則的なかたちにします。絢子さんの納骨が済
み、しかるべき時が経巡れば、掲示板としての機能を再開します。その折は絢子さんの死
についてみなさんに論じていただきたいと思っております。そして、それは掲示板の消長
に合わせ、細く長く何年も忘れずに続いてほしいと願っているのです。ですぺらのお客さ
ん全員がお書き下さればうれしく思います。どうかよろしくお願い致します。



投稿者: 渡邉一考    日時: 2003年05月06日 15:41 | 固定ページリンク





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