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高遠弘美さんへ
お読みいただき感謝、身に余るお言葉に満腔から謝意を表したく思います。
横須賀さんの追悼文を書きはじめてから、いよよ美文調なるものから遠ざかってゆくような気がするのです。思いをいかに著すかではなく、いかなる文章が思いをすなわち呼吸をたくすに相応しいのか。著されたものはそれなりの論理的整合性を持つのですが、ひとの思いには整合性がありません。行ったり来たりの繰り返しで、思いはゆがみ、よどみ、微睡みます。そのたわみ、ねじれ、とどこおりのようなものを、なんとかして原型を保ったまま言いあらわせないかと。これは既に修辞の問題ではなく、おそらくメタファーやアナロジーの問題だと思われます。先夜、お話し致しました言葉の輝き、そのかがやきがアナロジーそのものかと、かかる宵を過ごせましたことに深謝。
先日、宇野邦一さんから「ジャン・ジュネ」(以文社)が届けられました。巻頭の「エクリチュールと内在平面」には「確かにそれは〈書くこと〉にかかわるのだが、書かれた言葉の間にさらにもぐり込み、記録や伝達や指示や意味や表象に半身をひたしながら、そこから逸脱する気配や振動のほうにもう半身をひたしている。エクリチュールという言葉は、同時にエクリチュールが意味するすべてのものの影や分身さえも意味する」と著されています。
さまざまな意味を持ち、しかもいずれにも帰着しない定義しがたいもの。プルーストのエクリチュールについておはなしを伺えるのはあなたを除いて他にはいないのです。今後ともどうかよろしくお願いいたします。
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