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「吉田一穂詩集」に続き、加藤郁乎さんの俳林随筆「市井風流」が岩波書店から上梓された。「風流遊蕩に徹し粋に生きた江戸の俳人・数寄者達の世界」を描いた一本である。
文中、吉田一穂の項で「黒潮回帰」に収められた「半眼微笑」に採り挙げられた
三日月や早や手に触れる草の露 桃隣
の一句引用の誤りを指摘なさっている。・・・桃隣にかようの句はなく、『古太白堂桃隣句選』には中七が「手に障る」とあり、支考編の『三日月日記』にはやはり中七が「手にさはる」と見える。俳書そのほか、何に拠り右一句を拾われたものかうかがわずに終ったのが惜しまれる。ただ、桃隣という号が桃青芭蕉の俳名に似るところから『一葉集』に芭蕉の作として同句が出ることを知られた上で、ひょっとして誤記されたのかもしれぬ・・・
ここで終われば風流にもなににもなりはしない。郁乎さんの仕掛けはどうやら享保十五年に刊された『三日月日記』を登場せしめるところにあった。同書には一穂の号をしるした句が収められている。
さゝ波に居り兼るや三日の月 一穂
件の一穂は起承転結の転というよりは動顛の顛であろうか。当然、われらが『稗子伝』所収「野分抄」の初出、「聖餐」に掲げられた十一句がそのあとに続く。
夜ふけて渡る鳥あり初時雨
灯を消せば臥床に迫る虫の声
木枯や妻子の留守の残り酒
冬ごもり幾夜を月の雁の声
薄明りこもる厨の酒の匂
ふる郷は波に打たるゝ月夜かな
附された郁乎さんの文章を引用する。・・・周知のごとく、最後の句は「魚歌」に銘句として示されてある。一穂先生ゆかりの地、北海道古平の厳島神社に建つ詩碑「魚歌」を訪ね拝した折、海風松濤のなか、改めてその句柄の大きさに打たれた・・・
それにしても時空を超えた一穂と波と月のコレスポンダンス、詩精神のふるさとを詠じてこれほど大柄な随筆も稀であろう。
「市井風流」には金魚一筋の研究家松井佳一氏に託つけての「金魚」との項も拵えられている。『新続犬筑波集』を初出に、柳亭種彦の『用捨箱』や『柳亭筆記』などに引かれた詠句
をどれるや狂言金魚秋の水 松滴
が拾われ、
藻の花や金魚にかゝるいよ簾 其角
と続けられる。おそらく『嬉遊笑覧』巻之十二近藤版からの引用ではなかろうかと思われるのだが、だとすれば、作者は不角ではなかったか。立羽不角は其角よりひとつ年下、化鳥風と呼ばれた雑俳点者で、浮世風の新風から後には古典パロディ手法に堕したひと。もっとも、雑俳から川柳狂句への流れは、連歌・俳諧の本道ともいえるもの、堕したとあっては苦言を呈されよう。
もっとも、其角が不角であろうが不角が其角であろうが、そんなことはいっこうに構いはしない。郁乎さんの論点は「人生やり直しが効かぬというがあれは俗の言い触らした尤もらしい嘘で、風流の片意地さえ失わなければ七顛八起なぞ朝めしの前」にあるのであって、郁乎流ポエジー、意気の俊爽を知らずしてなにを読み解いたと言うのか。重箱の隅をつつくような野暮はよろしくない。
世に「金魚の刺身」と言う、役に立たないものの意で用いられるが、和金などは洗いにすると鯉よりも歯切りがよくて甘味がある。学芸における風流の本意俳趣も金魚の刺身のようなものではあるまいか。
この度の上梓を機に加藤郁乎さんを囲む会をですぺらにて催したく思います。日時は十二月二十三日(木)午後五時より。会費は五千円。休日につき多くの御参加を願い上げます。
小出昌洋
渡辺一考
三日月は年末23日(木、祝日)、25日(土)も営業いたします。
営業時間は通常通り。
大晦日は「お渡し蕎麦」のみとなります。
要予約。お二人前1400円。
里山(田舎風)蕎麦、お二人前1500円もあります。
ご予約他は、03-3516-6801、三日月まで。
(聞くところ、どちらもきわめて美味とか)
年始は4日よりの営業です。
なお店主は23日の夜、出掛けておりません。
いろいろのご無礼、平伏いたします。
三日月
追伸
一考さま 三日月の地図はおぼろでよう言いません。ありがとうございます。
一考さま、薫子さま
昨夜は、遅くに失礼しました。
泥酔者には酒を売らぬのが、酒屋の鉄則といいますが、
寛大なお二人にはいつも感謝しております。
アルコール血中濃度は相当に高かったと思いますが、
とりあえず飲ませていただいたウイスキーのノートを
付けております。
以下、ご参考まで
ポートエレン15yo(19821020-1980414)43%、Signatory
色:薄い琥珀
香り:スモーキーでピーティ、ビタミン剤、華やかに立ち上る、
後半はふくらみと落ち着き。
味わい:ピーティでありつつも、熟成感のある旨み、最初は以外に軽やかで
すっきり。一口ごとに旨みの厚みが増す。
ボディ・余韻:ミディアム・ボディ、ピーティな余韻。
バルミニャック11yo(19900900-19911200)43%、イアン・マクロード
色:琥珀
香り:スムーズ、香水がかった樽、落ち着きを感じる。
味わい:しっかりと麦芽、熟成感、ちょっとニスっぽい酸味、小倉餡の風味が
ほんのりと。
ボディ・余韻:ミディアム・ボディ、十分に長い余韻。
また、お邪魔します。
ポートエレンの瓶詰め年月日
1980414→19980414
バルミニャックの瓶詰め年月日
19911200→20011200
いまだ手元不如意?アルコール性の注意散漫か?
失礼しました。
21歳の飛鳥だよv(^^)v 性格はめちゃ明るいです。 外見はややぽちゃでよく豆タンクと言われるかな?(デブじゃないよーっ)。 自称★ミクロでセクシーな辻・加護系!?写メあるよ(^^). 気軽に遊べる友達からいろいろ募集中!!メール待ってるね!!
一考さま、高遠さま
「七月堂」のホームページに「昆虫食」の欄があります。
ご承知かと思いますし、食べてしまえば枯尾花かもしれませんが、いちおうご報告まで。
薫子さま
先日花の銀座のど真ん中でチクワブ食べました。やっぱり旨いと思ったのはこちらがオカシイのでしょうか。
「ですぺら」は31日まで通常通り営業いたします。
31日9時半以降には、極めて美味との噂の「三日月」の蕎麦が到着予定。
ただし数に限りがありますのでご了承下さいませ。「必ず食べに行きます」という方は手を挙げてください。
なお、年初は4日からの営業となります。4日は7時頃より恒例の鴨鍋宴会を催します。会費5000円(お酒飲まないけど、鍋食いたいという場合は3000円)。年の初めから鴨の油で口の周りをギトギトにして、暖まって、新しい一年を乗り越える活力を養いましょう。こちらの方も参加ご希望の方は手を挙げてください。(メールでも可)
29、30日の赤坂はおそらく殆ど人通りもなく、「ですぺら」でもゆっくりと飲んでいただけると思われます。走り回っても大丈夫かも。(いつもそうやんか、って言ってるのは誰や!)よろしくお願いいたします。
>薫子さま
年越そば食べにいきます。絶対に。
なお、明日、「PEGANALOST」10号の在庫を預かることができました
ら、そのまま、ですぺらに委託させてください。
あまり、部数がないようですが。
外山様
七月堂の昆虫食のサイトを教へてくださつてありがたうございました。あまりのすごさに驚倒しました。
一考様
このところずつと伺へなくて申し訳ありません。勤務先でのあまりに下らぬ雑事茫々、自宅への泥棒侵入などで身辺ごたごたがあり、とても酒杯を傾ける余裕なく、けふの大晦日に至りました。年賀状も書いてゐません。新年の用意も何もしてゐません。こんなに索漠とした歳末はめづらしいくらゐでせう。泥棒は逮捕されましたが、絵画リトグラフのたぐひ、DVD数十本はすでにリサイクルショップで見知らぬ他人に買はれて、戻つてはきませんでした。ブックなんたらにしても、何とかの創庫にしても、リサイクルショップなるところには盗品があまた並べられてゐるといふ事実に愕然としてゐます。
今は亡き前澤征男さん。
あなたの作品も全部盗まれました。一点も返つてはきませんでした。せめてはさうしたリサイクルショップに通つて、あなたの作品にともかくも目をつけて買つていつたどこかのヤカラの日々の生活の潤ひとならんことを祈ります。
私はこの先、リサイクルショップなるところに二度と足を踏み入れることはないでせう。もしかしたら盗品かも知れぬ品物が我が物顔に並んでゐるやうな場所はごめんです。本を整理するときは、町の古本屋さんに行きます。
とまれ、みなさま、よいお年をお迎へくださいますやう。
もう明けて3日になってしまいました。昨年は皆様には本当にお世話になりました。「ですぺら」が一日でも長く生きながらえることができますよう、今年もどうぞよろしくお願いいたします。4日より通常通り営業いたします。7時より鴨鍋宴会です。
大晦日には三日月の出張蕎麦、ありがとうございました。お疲れのところ追い打ちをかけてしまったかも。すんごっく美味しかったです。職人ふみちゃんにもどうぞよろしくお伝えください。
店主腰痛のため、初詣は省略。オヤジはパソコンの解体、組み立てとテレビで任侠モノと格闘技を見るのに忙しく、私は映画と「ER」まとめ鑑賞、食っちゃ寝の極楽状態。この三日間で確実に3キロは太るでありましょう。
高遠さま、災難にお遭いになったご様子。御見舞い申し上げます。居直り強盗に刺されなかっただけでも儲けモノとするしかありませんね。どうぞ憂さ晴らしに飲みにいらして下さい。
みなさま、どこがおめでたいのかよくわかりませんが新年おめでとうございます。
大晦日にお集りくださったみなさま、ありがとうございます。
重ねて御礼申し上げます。
台風やらなにやらボディブロウにつぐアッパーカットで今年は蕎麦の厄年だと思い、ダウン寸前津々浦々マット這い回ってどうにかこうにか良い素材集めましたが、そんなことどうでもよくなる災いが続きました。
むかし洗濯屋けんちゃんてのがありました。「職人ふみちゃん」はその面影残したいいにいちゃんではありますが、まだ、「ザ・職人」といえるほど立派なものではありません。蕎麦をこねる、伸す、切る、茹でる。それは並みの手打蕎麦屋がやる以上に出来るようになったとわたくしが太鼓判を押すものの、蕎麦職人、それでしまいであるわけありません。
しかし今後ともごひいきに。
おもうに蕎麦を打つのはスポーツに似ています。いわゆる素人料理ならレシピがあればとまれ何事かを作れるのかもしれませんが、プロのスポーツとなるとそうはゆきません。野球のカットボールの打ち方、サッカーのセンタリングの合わせ方、テニスの危険なストレートへのドライブショットのタイミング、つまりレシピはあっという間にどこかへ消え、実戦では御破算で何度練習した技術や戦術さえも耳鳴りのようになってしまいます。
いちどスポーツに深くかかわって、その複雑さ、限界のカナシサを体験なさった方なら、この消息、たちどころにおわかりいただけるかと存じます。
蕎麦がスポーツならやはりそれは肉体が打つのであって、同時にまた違うなにかが打つのであって、またそれらがねじれ、あるとき軋みあって、つぎの瞬間殺しあう何者かが打つのであって、それについてはわたくしは言葉足らずでなにもお伝えできません。
はっはっは、大袈裟でござんした。
ま、そんなのどうでもよいのであります。
本年も三日月どうかよろしくお願いいたします。
ではまた。
四谷シモンは、4月23日から6月12日まで、英国ブライトン市のブライトン
・ミュージアム・アンド・アートギャラリーで開催される「人びとと人形展
Guys and Dolls」にパネル展示で参加します。
同展は、人びとと人形のかかわりを探究し、ジュモーやブドワール人形、ファッ
ション・マネキン、解剖模型などさまざまなコンセプトの人形とアートとしての
人形を集めた展覧会。アート作品としては、オスカー・ココシュカの作品とそれ
に関する手紙、ハンス・ベルメール作品などが展示される予定です。
≪ This exhibition will explore the ways in which dolls, in a variety of forms, have been used as vehicles for reinforcing and questioning the cultural and social roles men and women play in society. The definition of dolls in this context has been widened to include forms not ususlly associated with the traditional concept of the doll as a child's plaything. Mannequins, anatomical wax models, the ventriloquist dummy and 'love' dolls will feature prominently as either objects or images alongside examples of artists' and filmmaker's work that has relied heavily on the use of the dolls. ≫
くわしくは、こちらのページをどうぞ↓。
http://www.simon-yotsuya.net/information/exposition.htm
本日発売の雑誌『日経マネー』(日経ホーム出版社)3月号・確定申告特集で、
小サイト「世善知特網旧殿」が「マネーDIGITALステーション~この人のブック
マーク」(152頁)に取り上げられました。取り上げてくださったのは、キャ
リア&マネーアドバイザーの渋井真帆さんで、「視点を広げる手助けをしてくれ
るサイト」とのことです。
渋井さんという方はまったく存じ上げなかったのですが、こうしていろいろな人
が小サイトにアクセスしてくださっているということは、とても励みになります。
くわしくは『日経マネー』をどうぞ♪
なお、「マネーDIGITALステーション~この人のブックマーク」は、ウェブから
もアクセス可能です↓。
http://nk-money.topica.ne.jp/bookmark.html
如月さんの記事、いつも興味深く拝読してをります。いろいろな方の目にとまるのも当然かと思ひます。今後とも刺戟的な記事を期待してをります。
さて、泥棒騒ぎが一段落したかと思ふと、今度は雑事がいろいろ押し寄せ、なかなかしづかな読書の日々が訪れませんが、一冊ご紹介いたしたい本があります。
矢野峰人訳『ルバイヤート集成』(国書刊行会)。
矢野峰人訳のルバイヤートは三種あり、いづれも七十五部とか百二十五部とかの限定出版のため、なかなか実際に手にとつて味はふことができなかつたのですが、その長年の渇を一気に癒す本です。
三種類全部収めて、本体価格五千円。
装訂はですぺらにもいらつしやる間村俊一さん。すばらしい装訂です。先日は水原紫苑さんの心打たれる歌集『あかるたへ』の装訂もなさいましたが、いづれ劣らぬみごとな出来栄えだと思ひます。
解説はけふ23日の朝日の読書欄に、悪魔の本で「ひと」欄に紹介されてゐる作家・英文学者の南條竹則さんと、不肖わたくしです。南條さんの解説は微に入り細に入つた力作です。
どうぞご支援ください。ルバイヤートのお好きな方なら、買つて損はしない筈です。
最後に余計なことをつけ加へますが、「ユリイカ」一月号「翻訳の作法」に名訳詩集についての駄文を載せました。図書館等でお目通し頂ければ幸ひです。
酒の弱い私が、なぜ モルトに惹かれるのかはわからない・・
ひとことでいうなら やはり
ですぺら は 感激 でした。
「どうして ちゃんとしたバーがないんだろう」
「客にこびるbarばかりが、どうして多いんだろう」 と
福井のイナカで、つまらないグダを巻きながら、
たまに飲む、めずらしくもないブレンデッドが
ときどきかわいそうに思えてきます。
ですぺらよりもすごいbarがあるかもしれません。
が、
ワタシのつたないモルトバー暦の中で、
やはり、ですぺら は別格でした。
出張のたびに しこしこ探し回るモルトバーの中で、
言い分けなく在住期間のすべての夜を通ったbarは
ですぺらだけでした。
初心者のワタシには とても楽しい時間でした。
また是非、お邪魔したいと思います。
いまごろ おどろいています、
酒の弱い私が、なぜ モルトをあれだけ飲めたのかはわからない・・
もはや誕生日など喜ばしくもない歳になりましたが、よくも今まで生き延びたと確かめ合うのもよろしいかと、今年も須永朝彦さんと店主渡辺一考の合同誕生会を催したく、ご案内申し上げます。
日時は二月五日の土曜日、午後七時から。場所は赤坂一ッ木通りのなかほど(一階は居酒屋かっぽうぎ)。会費は男性四千円、女性三千五百円、乙女オヤジはじめ、分類不可能な方は四千円でございます。葡萄酒とウィスキー、焼酎はたっぷりと用意いたします。
どなたさまもお気軽にお越し下さいまし。
福井の紙布屋さんからの書き込みに託つけて一言。
先日、常連の女性客が相手にしろと突っ掛かってき、「なめたらあかんぜな」と言って追い出しました。もう二度と来ないでしょう。その女性は飲み屋のママで、ですぺらの営業方針について説教を試みようとしたのです。一万人のひとがいれば、一万通りの生き方があるように、一万軒の飲み屋があれば一万通りの営業方針があります。否、あってほしいのです。
客にこびるのが飲み屋だと思っている方や、客へのサービスが当たり前だと信じている方が多いのは不思議です。お客さんの固定観念に則せば、世界中の飲み屋の営業方針は同じものになってしまうではありませんか。客に合わせるのではなく、客が飲み屋に合わせてこそ、個性ある飲み屋が生き残れるのです。
亡父によると、女郎屋、置屋、お茶屋、仕出し屋、割烹までが水商売なのであって、飲み屋は堅気さんになります。水商売という言葉自体、「商いは水物」からきたのであって、水ものを売るから水商売というのは間違いです。飲み屋風情、要するに堅気のあきんどから水商売について意見を聞かされるのは御免蒙りたいのです。水商売とは、赤坂とは等々、したり顔の小言は聴く耳を持ちません。たとえ最後のひとりの客であっても、客商売やってんだろと言われれば、即座にお引き取り願う覚悟でですぺらを営んでおります。
私は赤提灯へひとりで飲みにゆくのが好きなのです。たまに千円札を二枚握りしめて近所の「赤坂亭」もしくは戸田笹目の焼鳥屋へ行きます。そこでは口もきかず、ひたすら飲んでいます。誰からも興味を持たれず、誰からも相手にされず、ひとりで酒を飲んでいると、体内をめぐるアルコールの跫音が聞こえてきます。自分と酒、その双方が互いの呼吸をはかり、脈拍を確かめ、からだを寄せ合い、見つめ合います。やがて酒がからだを浸食し、同化し、異物同志がひとつに収斂されて行きます。そのじれったさのなかに身をしゃがませる時、そんな時なのです、生きていてよかったなあと思うのは。充実した時間、それは時間が凍てついたときなのではないでしょうか。このまま滅んでしまいたい、誰か殺してくれないかなあ、などと他愛ない妄想に耽ることができるのです。
かつて「みせびらきの詞」に「オタマジャクシに手脚が生え、尾がなくなって蛙になったり、芋虫が蛹となり、さらに繭を破って蝶になったりするのが生物学上のメタモルフォーシスであり、それら自然界の法則を空想の世界で一挙に実現させてみせるのが文学です。ところが、その変身を事もなげにやってのける存在がいまひとつ。それは淡い琥珀の液体、すなわちアルコールです。酒は人を虎に、天狗に、狼にと変身させ、挙げ句は宿酔という地獄へ向かっての道行きと相成ります。アルコールを西洋でスピリットと称するのは、まさに言い得て妙。酒には酒の人格があり、屡々人品の面倒すら看てくれるのです」と著しました。なにも変わりませんね。
外山時男さんへ
相澤啓三さんの詩集「マンゴー幻想」が高見順賞を受賞致しました。高橋睦郎さんのお骨折りに感謝。授賞式は飯田橋エドモンドで3月18日ですが、当夜は多人数のため、新宿のナジャとですぺらの二箇処で8時から二次会が催されます。相澤啓三さんや高橋睦郎さんはですぺらの方へいらっしゃいます。蕎麦好きの詩人たちの大集合となります。ぜひ外山さんのご出席を願います。チラシを40枚ほど持参してくださいね。
風立ちぬ、洗濯屋けんちゃん、ディープスロートは座右の一本ならぬ8ミリで御座いました。「職人ふみちゃん」もどこへやらご出演なさっておられるのでしょうか。三日月一家総出のadult映画「三日月屋ときちゃん」なんざあ、オスカーならぬラジー賞にノミネートされるは必定。私も風呂敷を拡げた手前、相澤さんについて書かねばならないことになり、塵芥(ちりあくた)賞をねらっております。
冗談はさておき、大晦日の蕎麦には大感激。三日月へは佐々木幹郎さん、高遠弘美さん、間村さんも何度か食しに出掛けているらしく、みなさんご満悦のようす、あなたとあなたが打つ蕎麦に相見えたことに感謝致しております。
高遠弘美さんへ
先夜はありがとうございました。
リサイクルショップを恨むのはご随ですが、真に憾むべきは逮捕された盗人やらでしょう。人を怨むより身を怨めとか罪を悪んで人を悪まずと言いますが、そのような為たり顔には腹が立ちます。その罪が道徳的または宗教的な規範に反した行為ならまだしも、法律的背反行為、要するに法律上の犯罪であれば論外だと思います。法律自体が相対的なものであり、気候、風土、時代、もしくは時の権力者によって任意に歪められるのが常態なのです。従って罪を悪むなどというのは戯言にしかすぎず、悪まれるのはひとでなければならないというのが、私の持論なのです。
「まだしも」と書いたのは、道徳的または宗教的な規範に反した罪の中心的準拠点は人間の共同体の全体的意向です。そちら側は折口信夫の専門とするところであり、掲示板で採り上げるにはあまりに重いテーマになります。しかしながら、「人」「共同体」「全体的意向」と並べただけで、なにやら胡散臭くなってきます。折口の古代研究は海辺流離や貴種流離にとどめるのが重畳、深入りは精神の深煎りになると危惧致しております。
いずれにせよ、相澤さんの詩に則って今年は「地上に呪詛を自己に嫌悪を」で行くことに致しました。
一時の客さんへ
『楽しき没落』のご購入ありがとうございます。「決定版ネオ・ラビリントスを作る勢い」は何処やら、わからぬ遠い国へ忘れ物をしたようです。幕切れがどんでん返しならその後の展開もがんどうがえしの繰り返し、結局『江戸東京《奇想》徘徊記』の続編のみが上梓されるそうです。出版社も現時点では不明だそうです。もっとも、同時代のひとたちが思い込みで拵えるより、後世生れてくるひとや御子息たちにすべてを委ねるのがよいのかもしれません。ご当人も、死後はすみやかに忘れ去られるのを望んでおられたと思います。
先ほど、角川書店から上梓されていた高名な詩人の全集が完結致しました。ご遺族や著作権継承者に印税を受け取る権利はあっても、出版の是非を決める権利はないと、その全集の編纂に携っておられた方と意気投合致しました。
いずれにせよ、柿沼さんの尽力によって『楽しき没落』はいい本になりました。4~5年の期間を置いて、あのような書冊を編めばよろしいのではないかと思っております。
わざわざ赤坂に宿をとってのご来店、ありがとうございます。こちらの方こそ感謝感激であります。モルトを楽しんでいただけたようで、なによりです。
北陸は関西に住んでいた時に度々訪れた地ですので、親近感があり、タメ口になっていたのではと後で反省しました。学生時代の貧乏旅行で福井にたどりついたはいいけれど、お金が足りなくなって銀行から引き落とそうとしたら、その当時はまだ全国どの銀行でもOKのATM、などというものが存在せず、今はなき太陽神戸銀行を探しても見つからず、その後悲惨な超貧乏旅行になりました。思い出深い場所です。
一考がなんだか冬眠から覚めたように好き勝手書き散らしておりますが、お気になさらぬように。また機会がありましたら是非お越しくださいまし。
敬愛する一考様
お説の通りかもしれません。
反駁といふのではなく、私の個人的感懐で申しますと……
何とかの創庫といつたリサイクルショップをいまとなつては蛇蝎の如く嫌ふのには、私なりの理由がないわけではありません。結局、大切な絵や版画が返つてきませんでしたが、ああいふところで「絵」がどのやうに扱はれてゐるかご存じでせうか。まさに二束三文。一枚1200円とか、それくらゐの値が附けられて雑然と放り出されてゐるのです。
画廊で売られたならまだいい。しかし、ああいふところは「物」に対するrespectがまつたく缺けてゐるのです。CDなど一枚120円くらゐ。それがただ雑然と放り出されてゐる。どこに「物」を大切にする姿勢がありますか。彼らにとつてはちんけな置物も景品も、本来の所有者からするとすこぶる大切な絵もDVDもCDも本(しかも盗品)もまつたく同じなのです。ただ、儲かればいい。そんな輩に何を同情することがありませう。
泥棒はもちろん憎い。ですけれど、同等かそれ以上に憎いのはリサイクルショップです。私は絶対にリサイクルショップを許すことはできない。何でも安く買へればいいのか。物にはそれなりの価格があるはずではありませんか。本だつて、大切にしてゐる作品が二束三文で放り出されてゐたら我慢できますか。第一、盗んだ免許証の写真も変へずに品物を売りに来たのに、何のチェックもしてゐないのですよ。そのときに変だと思つて警察に届けてくれれば私の大切な絵だつて返つてきたかもしれないのに。電化製品は返つてきました。ですが、あへて申せばそんな物より、私にとつて精神的価値の高い絵やDVDが返つてきた方がどれほど嬉しかつたでせうか。
高遠様
リサイクルショップの身元確認が甘いのは憂うべきことですが、物に正しい
値段があるという幻想は、お捨てになった方が諦めがつくかと。
どんなに貴重な書物でも、興味のない者にはただの古紙、ゴミであります。
一方、掘り出し物や格安品を探す楽しみというものもございます。
すべての人に価値があるものはなく、すべての人に価値の無いものもまた
無いのです。
不慮の災難のお嘆きに野暮を申しましたが、思い煩いはお体の毒と
申します。どうぞご自愛くださいませ。
どなたか存じ上げませんがご親切にありがたうございます。
ですから、私は「個人的見解」と申しました。
ご自分が大切にしているものがあのやうなところ(思ひ出すだに反吐が出ます)で売られた口惜しさは経験した者でなければわかりますまい。
繰り返します。「個人的見解」をこのやうな掲示板に書き込むことがいけないのなら、私は以後一切書き込みなどいたしますまい。その方が読まれる方もご不快でないでせう。
今後何を書かれても反論はおろか感想のひとくさりとも申し上げますまい。
さやうなら。
いささか難儀な問題が起こったようです。私は泥棒問題を別な方向へ振ろうとおもったのですが、どうやら、薮をつついてしまったようです。お二方に私の不用意と無神経さを深くお詫びします。
香賀薫さんには多人数の宴会などでしばしばお店を手伝っていただいております。当然、香賀さんは高遠さんをご存じで、さればこその「不慮の災難のお嘆きに野暮」でございます。一方、高遠さんからはちりめんから昆虫談義のごとく、このような掲示板に少しでも文学的香気をと、お力添えをいただいております。
個人的見解とことわってはいませんが、私の書き込みはすべて個人的見解です。だって、個人的見解しか書けないではないですか。一般論やひとさまの見解など私の知ったことではないですし、例えひとさまのことであるにせよ、それは他者に託つけて自分のことを書いているまでなのです。
ただ「経験した者でなければわかりますまい」は表現者にとっては禁句ではないでしょうか。それを推し進めれば想像力の否定にすらなりかねません。経験を含むあらゆる事象は風化して記憶となり、記憶はさらに風解されて歴史になります。その歴史という厚い風化層から自らの搏動を伝えるに相応しいと思われる砕片を撰び取り、さらにそれに形式を与える。その形式によってのみ経験は文学になり、人間の文化を表すことが可能になるのではないのでしょうか。従って、真の経験とは風化層の博捜にあるのであって、それこそが高遠さんのもっとも得意とする領域ではなかったかと。
高遠さんにひとこと、ご立腹は私に受けさせてください。そして香賀さんにひとこと、これに懲りず、ですぺらとですぺら掲示板をこれからもどうかよろしくお願い致します。
高遠弘美さんへ
矢野峰人訳のルバイヤートは装丁なさった間村俊一さんから頂戴しました。
貴方が解説で一部触れておられる上田敏、厨川白村、矢野峰人、戸川秋骨、平田禿木、竹友藻風、山宮允、片山広子、森亮などを私も憑かれたように読みました。そのうち、矢野峰人と戸川秋骨には全集もしくは選集の類いが上梓されていません。かつて大泉史代さんが「世紀末英文学史」を、先だって小出昌洋さんが「猟書今昔物語」を編纂なさったように、単行本でよろしいからつぎつぎと上梓されるよう望んでいます。
十代のときのはなしですが、田村書店に日孝山房の刊本一括が出ました。従って、私が最初に読んだ矢野峰人のルバイヤートは西川満が上梓した「四行詩集」でした。また、大雅洞の本はその大半を新本で購入しておりました。
当時、どこの古書店にも並んでいたのが「思舊帖」、もしくはその元版だった「半面像」と「途上」あたりではないでしょうか。後者では晶子の「君死にたまふことなかれ」に対する桂月と劍南との論争、また晶子自らの反駁が収録された「ひらきぶみ」を引用、
私は晶子のために辯護しようとして居るものでもなく、また桂月の所説をば、強ひて是認しようとするものでもなく、たゞ過去を囘顧する序に、むかし詩歌壇の一話柄となつた事実を紹介し、史料を提供しつつあるに過ぎない。されば、私は、今、「温藉」を以て詩歌の骨髄となす桂月の見解の是非を論ふ意志さへない。
と書きながら、数頁あとでは、
何等の危険性無きものを危険視し、更に大声疾呼してこれに衆目を集むるが如き軽挙妄動こそ、実は最も危険なのである。・・・況や、公器に拠つて、社会的地位ある人を国賊呼ばはりするに至つては、それこそ危険極まるものと言ふべく、刑罰は斯かる輩にこそ加へらるべきである。
さらに「桂月は文芸批評家として無資格なる事を茲に完全に暴露したのである」と結論づけ、桂月が示唆する「皇室或は国家に対する毒舌悪口」「反帝国主義思想の表示」を峻拒、その筆鋒は痛烈を極めます。しかも矢野峰人が「君死にたまふことなかれ」と題するエッセーを雑誌に掲載したのが戦争たけなわの昭和十七年。あっぱれ、毒にも薬にもなるきわやかなエッセーでございました。
装丁に関して一言。裏表紙の王様の顔は間村俊一さんそのもの、そのようなことを書けば間村さんが怒るでしょうが、あれはきっと自画像、彼お得意のコラージュですよ。
西川満が主宰した日孝山房は台湾の布や手漉き紙にこだわった限定本書肆、島田謹二訳アランデル・デル・レーの「のって・う゛えねちあな」なども愛読書の一でした。また西川満は「七宝の手筺」「赤嵌記」など数冊の小説集を著していますが、後者はオー・ヘンリーやダールを思わせる異色の短篇小説集、ぜひお読みくださらんことを願います。
はなしついでに、先日、間村さんと酔いどれて百万遍から銀閣寺町辺りのはなしになったのですが、若かりし頃夢二のモデルだった女将が営んでいた東今出川通の「夢二」に彼は入浸っていたそうです。百万遍の「梁山泊」は手もと不如意にて行くことかなわず、専ら寺町界隈の縄のれんか「夢二」をアジトにしていたと。間村さんと私は八歳違いですが、彼が同志社へ通っていた年頃のころ、私は四条河原町の労働会館で人文書院や京都書院の仲間と飲んだくれていました。おおかたの飲み屋のはなしは通じたのですが、千中はまったく知らないとのこと。じつは、京都千本中立売を西へ入り、愛染寺の斜向かいにあった小さな飲み屋がこころの引き出しに蔵われています。上田敏、厨川白村、矢野峰人が贔屓にした居酒屋で、鮒の洗いを喰わせる店でした。京都書院裏の「山一」同様、赤ら顔の店主と割烹着のよく似合う痩身の女房が二人で営み、カウンターの背に設けられた小さな卓子席でいつも赤子が泣いていました。はじめて行った折に座った席が先代のころは矢野峰人の席だったと聴かされて、周章てて席を変えたものです。
当掲示板をお読みの方で、その千中の飲み屋の屋号をご存じの方がいらっしゃればご教示いただきたいと思います。四十年近く前のはなしですが、間口は二間ほど、細長い飲み屋で、入って右にカウンター、左にふたり掛けのちいさな卓子が三つあったと記憶します。
42歳バツイチのさつきです。 お相手の方に贅沢言える年齢ではないので多くは望みません。 優しく包んで下さるような方でしたら年齢・容姿は不問です。 正直あまり優しくされた事がないから…。 真剣に募集してるので冷やかしはご遠慮下さい。
大泉史世さんのお名前を間違えておりました。申し訳ございません。
moonさんへ
「鷹なんとかと云うお店」は百万遍のたくまだと思います。たん熊北店の板長さんが独立してはじめられた料理屋で、京都の佐伯さんの紹介です。種村さんや田村書店をはじめ、東京の古書店のオヤジ連中とよくいきました。貴方と飲みにいったのは千本中立売ではなかったと思うのですが。
でも、貴方のメールで熊鷹という屋号を思い出しました。熊鷹との屋号は記憶しているのですが、それがどの店だったのかが分からないのです。なにかのはずみで思い出すかもしれません。
今日は58歳の誕生日です。記憶に大きな穴が開き、いっそこのまま記憶を消して新規に生き直そうかと思っております。私事はともかく、今日は相澤啓三さんと宇野邦一さんがお会いし、マンゴー幻想について語り合いたいとのこと、そこへ四谷シモンさんも加わるので、ちょいと面白くなりそうです。文学におけるポリティカルなものについてユニークなご意見が聴けそうです。
一考さま
須永朝彦さま
お誕生日おめでたうございます。
これからの一年がまさしく幸多きものでありますやうに、切に祈つてをります。
土曜日のパーティー、むろん伺ふつもりでしたが、風邪で倒れ、伏せつてをりましたので、失礼いたしました。お詫び申し上げます。
風邪はいまだなほらないので、医者に行きましたら、幸ひインフルエンザではなく、ただの風邪とのこと、ただし、安静第一にと言はれました。それは愚かなりしわが心についても言へることでせう。反省しきりではあります。
またお店に伺ひますので、よろしくお願いいたします。
けふはここにてまた布団に潜り込みます。
皆様もお風邪など召しませぬやうに。
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